カウンター 読書日記 ●『ノモンハン隠された「戦争」』 エピローグ、あとがき。
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●『ノモンハン隠された「戦争」』 エピローグ、あとがき。
                        チェルノブイリの祈り



 ●『ノモンハン隠された「戦争」』

  エピローグ より <続>。


「ノモンハン事件」には、辻政信という人物が登場する,関東軍暴走の端緒となった「満ソ国境紛争処理要綱」を起草したといわれる作戦参謀である。彼は「ノモンハン事件」の重要な局面や岐路にいつも顔を出し、日本軍を破滅の方向に導いていった男である。しかし、こうした人物を、私たちは戦後の国会議員選挙で衆議院議員に選んでいるのである。数の論理で懸案の法案を次々と強行成立させてゆく国会議員をいまだに選び続けているのである。

 権力は、そのときの私たちの姿鏡だと言ってもよい。誰か適当な人物を血祭りにあげて権力への責任追及が終わったと浮かれている場合ではない。自分たちが彼らの犠牲者なのだと言って逃げることはできない、本当の権力の責任を追及するべきであるし、同時にまた、その顔が自分自身の顔なのだという自覚を持つべきだと思う。

 従来の戦争記録は、アジア太平洋戦争においても「ノモンハン事件」においても、この点、重心のぶれを感じるものが少なくなかった。格好の人物として東條英機や辻政信といった標的を置き、彼らによって騙されていたかのような結論で事態を収束できるほど、これは簡単な問題ではない。
そこには、傷つけ、殺した膨大な数の「他者」が存在するからである。

今回の取材で力を入れようと思ったのは、アジア太平洋戦争におけるのと同様に、「ノモンハン事件」においても見られる「他者」への視点の欠落をいかにして補い、取戻すかということだった。具体的には、戦場となったモンゴルヘの視点であるが、その取材も不十分なまま終わり、ことに「満州国」の被抑圧者=「他者」への視点を全くといっていいほど提示できなかったことが、まことに悔やまれる。
 引き続き、この問題についての関心のアンテナだけは高く保っておきたいと思う。

 「ノモンハン事件」の取材を終えてから、私は次に担当する「NHKスペシャル」の取材のため、旧ソビエト連邦ベラルーシ共和国に滞在することが多くなった。

 「ノモンハン事件」に登場するジューコフが副司令官を務めていた地城であり、ドイツとの「大祖国戦争(第二次世界大戦)」においては首都・モスクワヘのドイツ軍の侵攻を防ぐ砦となった場所である。凄まじい大量殺戮の舞台となり、4人に1人の住民が虐殺されたという。

 また、チェルノブイリ原発事故では、ほぼ同じ割合の人々が放射能汚染を被った。爆発時の風向きの影響もあり、もっとも深刻な被害を受けたのは、チェルノブイリ原発があったウクライナではなく、このベラルーシだった。

 ベラルーシには、ソビエト連邦時代の傷跡がまだ癒えぬまま置き去りにされている。

ここに、「国家」の歴史には登場しない「小さき人々」の声にもっぱら耳を傾けてきた記録文学作家が住んでいる。
  
 ★スベトラーナ・アレクシエービッチ。

 彼女は、ふるさとベラルーシを拠点に、旧ソビエト連邦の負の歴史を背負い続ける人々の姿を克明に記録してきた。登場するのは、ドイツとの「大祖国戦争(第二次世界大戦)」に女性兵士として参戦し女性性を奪われていった人々、その戦場で親や兄弟が殺されるのを目のあたりにしたことによってトラウマをひきずる子供たち、アフガン戦争に駆り出され「アフガン・シンドローム」に罹った青年兵士たちと家族、ソビエト連邦崩壊に絶望して自殺していった人々、チェルノブイリ原発事故で肉体と精神を破壊された人々など。いずれも暗く重いテーマであるが「国家」が隠蔽しようとするこうした「暗さ」、暗黒面を、彼女は「小さき人々」ヘのインタビュー・モノローグの手法を使って真正面からとり上げてゆく。 洋の東西を問わず、こうした営為には権力からの圧力がかけられるようで、彼女のこうした一連のインタビュー記録集は「国家の威信を損ない、国家を愛する心を傷つけ」るものとして発禁処分にされたり、不当な裁判にかけられたりしてきた。
 20年間、「小さき人々」へのインタビューを続けてきた彼女によれば、最近、人々の語り口に変化が表れているという。

前は自分の人生を語るとき、ほとんどの人が「我々は」「私たちは」という1人称を使っていたのに対し、最近では「私は」「僕は」という個人が前面に立つ自立した1人称を使い始めているというのである。

 彼女とともに訪ねたサンクトペテルブルグの母親たちは、まさにそういうロシアの変化を代弁しているかのような人々であった。
 彼女たちは「兵士の母の会」の活動を続けている。
 「国家」が命令するチェチェン戦争への参戦を若者たちに拒否させ、兵士を一人も戦場に送らないことを目標にかかげている団体だ。そのやり方も戦略的で、若者の肉体もしくは精神に何らかの病気を見出し、その病気を盾に軍隊不適格の「称号」を「国家」からいただき、徴兵を拒否させるのである。
 
私はその会で幾度もの取材を重ね、日本とは比べものにならないぼどの迫害と恐怖を感じながら、子供たちを決して殺人者にしない、という固い信念を貫き通している姿に打たれた。
 予定の取材期間が終了し、別れを告げようとしたとき、この会のリーダー的な役割を果たしているひとりの母親が近づいてきてこう言った。                       ・.
 「日本の憲法は大丈夫ですか?」
私は、その言葉がすぐさま、日本国憲法弟九条を示していることがわかった。彼女たちは、日本にこの憲法があることを知っているのだ。
 「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という条文は、極めて明確にいっさいの戦争を否定している。これこそが、彼女たちが今、歯を食いしばって到達しようとしている理想の条文なのだ。私は、質問に答えるのに躊躇した。日本では今、この条文を含めて(否、この条文を狙い撃ちにして)憲法を改正しようとする勢力が急速に力を伸ばし始めている。何と返答していいものか。
 「日本は、第二次世界大戦が終わってから一度も戦争をしたことかありません、この半世紀以上、戦争によって殺されたり、殺したりした人は皆無です」
 私は、ひとまずそう言って、
 「この憲法があったからだと僕は思っています。僕がもし、自分の国を誇りとし、自分の国の愛するところはどこかと問われれば、唯一この憲法を持っていることだと言えます」
 と、答えにならない返答をしてみた。すると彼女は、では大丈夫ですね、安心しました、と胸の上に両手のてのひらを重ね、さらに私に質問してきた。
 「でも、もし攻撃されたらどうするのですか? それでも戦いを放棄するのですか?」
 いつもくりかえされる問いである。彼女達の間でも、日本の学ぶべき憲法について議論になると必ずこの質問が誰かから飛び出すのだという。
 私はこの質問にも準備がない。何を言おうが、それは理想論で、生ぬるい平和ボケした現実を見ない者の台詞だと言われるのがオチだからである。 しかし、ものに試しだと思い、私は憲法前文を紹介した。そこには、武器をとらないことの根拠が示されているからである。

 ●日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した
 
戦争が絶え間なく続いているロシアという国に住むその女性は、本当にそのようなことが書かれているのですか、と大きく目を開き、
 「その言葉は日本の国民だけの言葉ではありません。日本の憲法は世界の人々の宝です。その憲法は世界の人のものです」
 と言った。

それは、私が「ノモンハン事件」の取材を通して達した考えと、まったく同じ言葉だった。

 『ノモンハン隠された「戦争」』 エピローグ 完。

 ********************

●あとがき
 
 本書は、特集番組『ドキュメント・ノモンハン事件~60年目の真実~』(1999年8月17日放送・NHK総合)における収集資料・証言記録をもとにした取材記である。

 放送終了後、私の手もとには500人を超える方々から、手紙や様々な反響が届けられた。その量の多さもさることながら、私が驚いたのは「あの映像フィルムに写っていたのは私の父の遺品です」とか「番組によって上官がわかり60年ぶりに会いました」などといった生々しい遺族・元兵士からの声だった。「ノモンハン事件」フィルムとされてきた映像の中に、明らかに別の戦争の映像が混入していることをご教示くださった方もいた。神戸の松本昇氏は、、叔父の戦争体験を何度も調査して送ってくださり、とうとうご自身でもハルハ河に行かれたという。そのほか捕虜関係文書に対する問い合わせも多く、少しでも参考になればと思い、巻末に資料として掲載することにした。
 放送直後から取材記執筆を依頼されていたのだが、番組制作の多忙を理由に先延ばしを繰り返し、はては世紀まで越えてしまい、追い詰められての書下ろしとなった、わずか1カ月余りの間に書いたものであるため、誤りがある部分も多々あろうかと思う。ご寛恕をいただくともに、加筆修正のために是非ともご指摘願いたい。

 執筆に当たって99年4月25日から8月10日までに書かれた「取材ノート」をひもとくと、制作過程で出会った多くの方々の顔が浮かんでくる。貴重な文献や資料を快く提供してくださった人、長時間のインタビューに丁寧に語ってくださった人。加えて番組を一本作る陰には、身を削って関わった何十人というスタッフがいる。彼らを支えたご家族も忘れてはならない,これらの人々の力なくしては、番組も本書も作り上げることは全くできなかった。文中にも様々な方々が登場するが、ここに、さらにほんの一部をご紹介して感謝の気持ちとさせていただきたいと思う。(敬称を略させていただきます)
 ロシア外務省、モンゴル外務省、アレキサンドル・ベリコフ、ワレリー・ワルタノフ、サブリナ・エレオノーラ、ムンフーザヤ、バートルツォクト、ナサンジャルガル、ウルチバートル、フフバートル、ゴンボスレン、ダワードルジ、ノモンハン会、芝不東、向井利光、粟生田修彦、竹原敦子、田中克彦、三木秀雄、馬場公彦、下河邊宏光、浜中博久、吉田真理雄、桑原昌之、川端義則、佐々木隆夫、神山勉、大谷純子、鎌倉由里子、怠け者の私を辛抱強く待ち続けてくれたNHK出版の吉岡太郎。そして、最大の感謝を今、ここに記せなかったすべての方々にー。
ほんとうにありがとうございました。    鎌倉英也 

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