カウンター 読書日記 ●『ノモンハン隠された「戦争」』
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●『ノモンハン隠された「戦争」』
 第一章 断筆 司馬遼太郎のノモンハン

日本の秘密というのは、日本の弱点を秘密にしているだけのことですね。
ばかばかしくて、こんなものを書いていると精神衛生上悪いと思って書きませんでした。
                                司馬遼太郎(「司馬遼太郎講演録」より)

未知の取材への航海は、いつもふとした、計算づくではない、きっかけから始まるものだ。はじめは誰ともわからぬ同乗者の顔が、日を追うごとに鮮明になってゆく。カメラの三脚を立てる場所のポイントが次第に絞り込まれてゆく。たどり着くべき目的の港は、そうして幾度かの軌道修正を経たのちに決まってゆく。

 「ノモンハン事件」という、それまで何の知識もなく、それゆえに何の興味も見出せなかった航海に乗り出したときも、あらかじめ準備された海図や羅針盤があったわけではない。
 1996年春。私は、東大阪市にある作家・司馬遼太郎の書斎にいた。
 新聞をはじめとするマスコミが、その死去を悼む特集で埋め尽くされていた頃である。NHKでも業績を紹介する特集番組を編成することになり、たまたま一仕事終わったばかりで当面担当する番組がなかった私に、業務命令としてお鉢がまわってきたような按配だった。

書斎の主人は2月に急逝したばかりで、愛用の机や書棚には、執筆に向けて取村中の資料や書きかけの原稿がそのままのせられている。かつて、産経新聞の記者だった故人は、作品を作り上げるために膨大な資料を蒐集し、一方でまた、現地取材の過程を逐一、取材ノートに書き遺していた。ライフワークとなった「街道をゆく」の取材ノートをはじめ、数々の小説のための取材準備ノートなど、その数は優に百冊を超えていた。それらは、この作家が、それぞれの作品にどのような動機をもって入り、何をメーセージしたかったかを探る上では貴重な資料になると思われた。

 私は書庫に入り込み、引き出しを物色して資料漁りに没頭していた。
 「これは必要ある? まあいいでしょうね、これは。結局、書くのをやめちゃったからね」
 ふりかえると、司馬遼太郎のかたわらで蒐集資料整理を長年担当してきた伊藤久美子さんが、本棚の隅に埋もれた段ボール箱に視線をおとしている。
 「なんですか? それは」
 「『ノモンハン事件』 っていうのがあったでしょ。あれを書きたかったんですって。それでずいぶん資料も集めたし、聞き取り調査もしたんだけど全部ここに押し込んであるのよ。もう書かないから目に見えないところにしまっといてくれって言われてね。そのくせ、何でもとっておくと手狭になっちゃうでしょう。私が『あれはもう処分してもいいですか?』 って聞くと、決まって『捨てちゃ困るんだ。とっといてくれ』って言ってね。それが、この段ボール箱なんだけど・・・」

「ノモンハン事件」? それっていったい何だったっけ。
 戸惑いが先に立った。
 それは、15年以上も前の、受験勉強の記憶の片隅から突然ほじくり返された歴史用語のひとつに過ぎなかった。一夜漬けで叩き込んだはずの知識は、当然のことながら曖昧で、その事件がいつ、どこで、どのように起こったのか、思い起こすことさえできなかった。

 早速、遺族である妻・福田みどりさんに許しをいただいて段ボール箱を開封した。
 とりあえず、今回の取材の目的である『司馬遼太郎の遺産』という番組の材料のひとつにでもなれば、という気持ちからだった。ところが、出てきた取材の痕跡を前にして、私はそれが単なる番組構成上の挿話の領域をはるかに超えるものであると感じざるを得なくなった。

 そこには、この「事件」についてまとめられた様々な資料書籍、関連記事のスクラップとともに、地誌や戦闘状況について調べた取材準備ノート、大量の元軍人らへのインタビュー速記録が眠っていたのである。

 今にして思えば、1973年から(つまり四半世紀も前から)彼が訪ね歩き、集中的に聞き取り調査を行った証言者は、「ノモンハン事件」当時の参謀本部作戦課長・稲田正純や、捨て身の肉弾戦を指揮した歩兵第26連隊長・須見新一郎などを含んでおり、作戦計画や戦闘状況を知る上で大変重要な資料だった。しかし、残念なことに、当時はその鉱脈の当たりに気付くだけの知識を、こちらが持ち合わせていなかった。むしろこの時、興味をそそられたのは、司馬遼太郎の断筆の理由だった。

 なぜ、彼は「ノモンハン事件」を書こうと思ったのか。
 どうしてここまで調べ上げた資料を埋もれるままにしていたのだろうか。
 そして、なぜ「ノモンハン事件」は終に書かれなかったのか。
 
1939年5月、満州西北部満蒙国境で起った国境紛争事件。日本軍はソ連戦車軍と機械化部隊のため死傷2万の潰滅的打撃で、9月停戦協定。    (日本史用語集』山川出版社)

 高校時代に使っていた古ぼけた歴史用語集を引っぱり出してみると「ノモンハン事件」とはそういう事件である。
 1939年といえば、日本がアジア太平洋戦争に突入する2年前のことだ。・・・中略・・・

・・私は、早速みどりさんにインタビューを申し込んだ。・・・
「取材から帰ってくるでしょう。『面白かった?』って聞くのね。すると、『ふん』とか言うだけでね。あとから日をおいて『つまらなかった』とか『あんなやつ』とか、いろいろ言ってましたよ」(みどりさん)

 ・・・
 「出版社の方なんかに書くってお約束もしていたんですけれど、だんだんもういつ書くかわからないってことになってしまって・・・。それで、今でもはっきり覚えていますけれど、編集の方が『ノモンハンよろしくお願いします』って言ったときに、こう言ったんです。『ノモンハン書いたら、俺、死んじゃうよ』。皆、ハッとして黙ってしまいました」


  <続く>
 

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