カウンター 読書日記 ●『杉山茂丸伝』ー(8)
読書日記
日々の読書記録と雑感
プロフィール

ひろもと

Author:ひろもと

私の率直な読書感想とデータです。
批判大歓迎です!
☞★競馬予想
GⅠを主に予想していますが、
ただ今開店休業中です。
  



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


●『杉山茂丸伝』ー(8)

 第四章 日露開戦への道

 ●義太夫と日露戦争


 日露戦争直前のロシアは強権的な態度に出ていた。明治33(1900)年の義和団鎮圧(北清事変)を境に、ロシアが満洲の占領を強化していたからだ。その年の7月に連合国軍(日本、イギリス、アメリカ、ロシア、フランス、ドイツ、オーストリア、イタリア)が天津を攻撃した際、義和団と連携した清国軍が黒龍江(アムール河)対岸のブラゴヴェシチェンスクのロシア軍弾薬集積所を爆破し、将兵30人近くを殺傷した。それを口実にロシアは中国人居住者約4500名もの大虐殺を行い、1万を越える軍隊を密かに派兵し、満洲全土を制圧した。更に明治35年1月30日に日英同盟が締結された(公示は2月12日)後も大軍を満洲に派遣し、旅順口の要塞工事を急いで水陸両面から満洲併呑の機会を狙っていた。この頃のロシアの姿勢を批判したのは徳富蘇峰の『勝利者の悲哀』だけでなく、後に社会主義者を自称する石川啄木でさえそうだった。啄木がロシアとの開戦を歓喜したことは明治37年2月11日の日記で知られている。

 既に見たように、日露戦争前の日本の外交には大きく★二つの流れがあった。日英同盟のもとでロシアと戦おうという山県有朋、桂太郎、青木周蔵、小村寿太郎、加藤高明たちの一派と、韓満交換論を支持してロシアと交渉しようとする伊藤博文や井上馨たちである。そして前者の主戦論者たちの裏にいたのが杉山茂丸だった。

 この頃の茂丸は、向島の其日庵(玄機庵)で桂や児玉たちと密談ばかりしていた。戦争を戦い抜くための秘密の話し合いで、頻繁に彼らを招いて開催していたのが義太夫会だった。この時期に茂丸が王催した義太夫会には皆がよく悩まされたと陸軍中将の堀内文次郎は語っている。柏屋、花本、酔仙亭など、日本がロシアと闘っている最中に、茂丸はあちこちで義太夫会を催していた。

 東京だけでなく、茂丸は大阪の御霊文楽座にも頻繁に出入りしていた。そしてまた、義太夫会に集まったのは堀内だけではなかった。桂太郎や児玉源太郎、それに開戦直前にアメリカの支援を得るため渡米した金子堅太郎たちも、皆そうである。茂丸は義太夫の本質について『義太夫論』で次の説明をしている。「大和魂なるものは、己れの信念及び恥辱の為に遺憾なく死を実行するものにして、これを薫陶育成したるものは義太夫節という音曲の力最もその多きにるを断言し得べし」
 
 浄瑠璃の開祖である近松門左衛門の「曽根崎心中」が心中事件を題材にしていることを例に、茂丸は日本の文楽の基礎が死であったと述べる。そして「容易く死するの教育」を行うのが義太夫節に他ならないという。つまり此岸と彼岸を結ぶ死の哲学が茂丸の義太夫だった。日露戦争開戦当日に其日庵で吟じたのが「一谷搬軍記」だったと『浄瑠璃素人講釈』で書いているが、彼の並外れた会話術も、この義太夫節に帰着されるものである。更にまた戦争指導までも、それを通じて行っていたのだ。
 
 *『浄瑠璃素人講釈』( 杉山茂丸/内山美樹子)は 2004年 10月 岩波文庫で刊行された上・下本がある。 


●最初の著書『帝国移民策新書』

 日露戦争勃発の前年である明治36(1903)年に杉山茂丸は最初の著作である『帝国移民策新書』を発行した。意見書というべき形式の和綴じの冊子で、親しい政治家や営僚たちに配ったと思われる。これは大陸政策の源流といわれた茂丸の考えを知る上で貴重な資料だ。というのは植民地経営ではなく、移民を民間事業として行うことを主張しているからだ。しかも、「無用を変じて有用となし、低廉の労力をもって最大の利益を得ること」という具合に日本国内の経済発展のための移民の奨励で、それはかつて井上馨が主張した考えとよく似ている。

 井上の移民思想は彼の出身地である山口県において明治18年にハワイ官約(?)移民という形で成就していたが、明治26年のハワイ革命と続く同31年のアメリカによるハワイ併合により、民間会社が周旋する移民へ姿を変えた。その際、旧自由党系の星亨は、広島県で最大規模の海外渡航株式会社移民会社)に子分格の菅原伝、日向輝武、渡辺勘十郎らを送り込むほど、ハワイ移民の実質的支配者となった。茂丸はその関係から移民の必要性を悟り、『帝国移民策新書』を書いたのであろう。明治31年と翌32年のハワイ出稼ぎ移民からの送金の三分の一が貯蓄され、広島県で15万円に達しているという具体例を示していることで、それを知ることができる。

 しかし移民思想の嚆矢は長州藩閥の井上馨というより、明治4年の廃藩置県以来、家郷を失った没落土族たちの郷土再取得という意識において西郷隆盛の征韓論に、より深く重なる。『其日庵叢書第一篇』で茂丸が述べる、「庵主が生涯中に一番愉快に思うこと、いわゆる嗜好と云うものは日本の領土の広くなることと、未開の地を開拓すること」という意識である。あるいは夢野久作が『近世快人伝』で述べた、「祖先伝来の一党を提げて西郷さんのお伴をして、此の不愉快な日本を離れて士族の王国を作りに行かねばならぬ」という怨嵯に満ちた国家膨脹主義だ。アメリカ帰りの社会主義者・片山潜でさえ、明治34年に『渡米案内』を書いて海外雄飛を煽り、茂丸もまた同時期に三度目と四度目のニューヨーク行きを果たしていた(前述)ように、多くの日本人が海外に渡りはじめた時期だった。実際、日清戦争で手に入れた台湾を開発するため、桂太郎は台湾協会学校(拓殖大学の前身)を明治33年に立ち上げていたし、茂丸自身も児玉源太郎や後藤新平を通じて台湾の近代化を指導し、そのための移民の重要性を口にしていた。したがって日露戦争の直前に改めて『帝国移民策新書』を刊行したのも、日清戦争で台湾が新しい郷土になったのと同様、日露戦争の勝利による満洲の獲得と、それにともなう経済圏の更なる拡大を予測した移民の奨励だったのである。


 ●ロシア革命とユダヤ人

 大正10(1921)年に杉山茂丸の著した『明石大将伝』には、同郷の友人である陸軍大佐の明石元二郎が日露戦争時にストックホルムを中心に対露秘密工作を行った詳細が記されている。それによると田中義一の諜報活動を受け継ぐ形で明治35年8月15日にロシア勤務を命じられて以後、明石は情報収集のためにアナーキストや社会主義者たちに接近したという。そして茂丸もこの時期、明石と連絡を取り合っていた。

 明石は開戦直後の明治37年2月27日にストックホルム入りし、新聞記者として日本に滞在した経験を持つ★シーリヤスと、フィンランド憲政党首領のカストレン宅を訪ねた。驚いたことにカストレンの部屋の正面には、ロシア皇帝の署名入りの追放状と明治天皇の御真影が飾られていた。第一次ロシア革命の中心的役割を果たす彼らは、日本を頼りにしていたのである。そこで明石は彼らと手を組み、ロシア兵の輸送用鉄道を破壊するなどの秘密工作を企てる。このような活動に使われた諜報費は70万円を越えたが、もちろん茂丸を通じて筑豊炭田の売却資金が流れたことも容易に想像がつく(第二章参照)。

 一方、もう一つの資金源がユダヤ財閥だった。ユダヤ人たちは帝政ロシアに迫害され続けていたことで革命の主体になった。この頃、ロシアにいたユダヤ人が日本に親近感を持っていたのは、石光真清が旅順停車場にいた明治37年1月に「しっかりやってくれ」と励まされた言葉でもわかる(『曠野の花』)。あるいはユダヤ人のヤコブ・シフが高橋是清に日露戦争資金を貸した話でも、日露戦争の裏に日本とユダヤの密約があった事実が知られている。

 明石が革命工作を始めて少し経った明治37年5月27日、福岡の玄洋社が満洲義軍を門司から送り出した。当時の日本軍の兵力は二、三〇万で、対するロシア軍は百数十万の兵力。ロシア軍は敷において圧倒的に日本軍に勝っていたのである。にもかかわらず日本が勝てた理由は、正規軍による戦いに加え、革命援助と満洲義軍のゲリラ戦による結果だった。なお、日露戦争当時にユダヤ人の母を持つレーニンが日本軍に賛美のエールを送っていたのも、明石工作の一つの表れだった。後に茂丸が、「庵主は好んで社会主義者と交わる。彼らは決して非愛国者でもなければ、また乱暴過激な徒でもない」と『青年訓』で口にしたのも、その頃からの流れを語ったものだろう。あるいは夢野久作が大正11年1月にレーニンが亡くなった際、「レーニン死す/兵士が流す熱涙が水柱になった/素晴らしいレーニン」という詩を詠んだのも、父親たちが戦った日露戦争を助けた協力者への追悼と読み替えることができる。そこから見えてくるのは、日本が独立国として生き残るためには常識的な枠組を飛び越えていくという茂丸たちのマキアヴェリズムである。
   続く。
 

スポンサーサイト


この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
トラックバックURL
→http://2006530.blog69.fc2.com/tb.php/409-4072eee8



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。