カウンター 読書日記 ●『杉山茂丸伝』ー(4)
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●『杉山茂丸伝』ー(4)
 ★第二章 日清開戦の機運 も目次に見るとおり興味深い記述が続くが、
 
 落合論文の関連として、よりテーマに近い第三章へ進みます。

 ★第三章 膨張する視座


 ●幻の『露西亜亡国論』

 三国干渉の副産物は閔妃暗殺事件だけではない。内田良平の『露西亜亡国論』の発行もその一つだった。明治34(1901)年に彼が主催する黒龍会から出された対露主戦論を説いた書で、以下の三つの内容が記されていた。
一、日露戦争の予言。
二、その戦争で日本が勝利する予言。
三、日本の勝利で帝政ロシア(ロマノフ王朝)が滅び、革命ロシアが出現する予言。
 内田も福岡の玄洋社出身者で、日清戦争のきっかけを作った天佑侠の一人として東学党を助けた一人であった(第二章参照)。そのため三国干渉で遼東半島の返還を求めてきたロシアに反感を抱いたのである。
 
三国干渉から4ヵ月後の明治28年8月下旬、彼はロシア偵察のために単身ウラジオストックに入った。その後一旦帰国し、翌明治29年春に再びウラジオストックに赴き、柔道場を開設しながら密偵を続けた。ウラジオストックーバイカル湖-イルクーツクーペテルスブルグーストレーチエンスクーウラジオストックのルートの往路でシベリア横断探査を行ったのが明治30年8月で、翌31年7月に帰国して、日露戦争に備えた民間組織として明治34年2月に黒龍会を立ち上げるのだ。頭山満の主催する玄洋社が筑前勤王党の遺族や遺児によって組織されたのに対し、黒龍会は更に若い世代と幅広い人脈を集めて全国的な組織として作られた(黒龍会の初期陣容には、天祐侠の系譜を継ぐ玄洋社員や『二六新報』の記者、民権党派のメンバー、社会主義研究会をつくった人物など多彩な顔ぶれがあった)。その結果、内田がロシアの内情分析に基づく対露主戦論として明治34年9月に、前掲の『露西亜亡国論』を黒龍会から出版したのである。しかしロシアとの開戦を予言する過激な内容に政府は即刻発禁処分を決め、全てを押収した。ちなみにこのときの内閣は第四次伊藤博文内閣で、親露政策を進めようとしていた伊藤の逆鱗に触れた結果だった。このため内田は政府と交渉し、内容を少しやわらげたものを『露西亜論』と改題してようやく出版に漕ぎつく。このような経緯により、発禁処分となった『露西亜亡国論』は表紙以外に現存していない。
 
一方、内田がロシア偵察を始めた頃と思われるが、杉山茂丸も、「新潟にてウラジオストックより密航し来たる同志に面会して、またこちらより同方へ密航させねばならぬ用向きに従事した」と『百魔』で語っている。つまり彼もロシアの動きを探っていたのだ。このとき山岡鉄舟の門下生だった新潟県知事の籠手田安定(こてだやすさだ)に面会しているので、籠手田の赴任期間である明治24年4月から明治29年2月までの間の話であったことがわかる。籠手田はロシア偵察の問題で官憲が動き始めているから気をつけるよう茂丸に情報を流した。日清戦争に前後する時期に、★茂丸もまた内田と同様、ロシアの動きに敏感になっていたのである。
 
日清戦争と日露戦争は戦った相手が違うので異なる戦争名になっているが、茂丸や内田の意識の中では、二つの戦争は連続したものだった。


●台湾鉄道の敷設

 台湾に近代的な鉄道を敷いたのは日本だった、といっても過言ではない。日本本土で鉄道が近代化の原動力だったように、日清戦争後に日本の統治下に置かれた台湾でも、台湾鉄道を敷くことで近代化が進むのである。これを植民地政策という言葉で切って捨てれば簡単であるが、現実は日本政府が多くの負担を強いられた。そして、この事業に中心的に関わった長州人に、工学博士の長谷川謹介が知られている。安政2(1855)年に厚狭郡千崎村(現山口県山陽小野田市千崎)に生まれた長谷川が明治32年4月、44歳のときに台湾鉄道・敷設部技師長となり、台湾鉄道敷設に邁進したからだ。第四代台湾総督の児玉源太郎が、同じ長州出身の長谷川に台湾鉄道敷設の一切を任せた結果である。

 しかし、その先駆けとなったのは杉山茂丸だったことを知る人は少ない。明治29年から30年にかけて茂丸と同居した月成勲は、ハ丁堀の事務所へ毎日出向き、台湾鉄道会社の出資者を求めるために茂丸が奔走していた様子を昭和10年8月1日付の『玄洋』で語っている。つまり最初は、台湾鉄道も民設で計画されていたのだ。
 
 台湾鉄道は清国統治時代に基隆から新竹までが敷設されていたが、台湾北部の一部に過ぎず、しかも線路の勾配がきつく、汽車が壊れたりで日清戦争後は使えない状態になっていたのである。そこで初代台湾総督に就任した★樺山資紀が明治28年8月に「南北縦貫鉄道の敷設」「基隆築港」「道路開墾」の三本柱を政府に建議したことで、台湾鉄道の整備がはじまる。これにより近衛篤麿をはじめとした265名の連盟で、明治29年5月に台湾鉄道株式会社創立の願い出が台湾総督府に提出された。総代には頭山満から筑豊炭田を買い取った原六郎や、財界の大物の渋沢栄一、茂丸が福岡県令に勧誘した安場保和たちが名を連ねていた。茂丸が奔走したのはこの頃で、測量隊を組織したり、同ホウ義塾を開設して以来付き合いのある広崎栄太郎(第二章参照)を横浜の米国商館に遣わして機関車や機械類の調査をさせたりした。河原アグリに聞かせた築地一丁目の待合「柏屋」の暢気倶楽部(第一章参照)を拠点に、台湾鉄道敷設の準備を進めていたのである。

 ところが突然の計画変更を迫られる。日清戦争後の不況で株式募集が困難となり、台湾鉄道株式会社が行き詰まるのだ。以後は政府が公債を発行して資金を集めたことで、明治32年11月7日に台湾総督府・鉄道部官制が発布され、官設の鉄道として工事がッ進んで行く。長谷川謹介の活躍も、そこからだった。それから9年後の明治41年11月24日に台湾縦貫鉄道開通式が行われた。このとき茂丸は、「台湾鉄道全通式ノ大典ヲ祝ス」(『台湾鉄道史 下〔未定稿〕』)という祝文を寄せている。

●台湾銀行の創設

 明治29(1896)年度の日本政府の全税収が8000万円だった当時、台湾への国庫補助として690万円もの大金が当てられた。第二次松方正義内閣の時代だが、これがもとで明治30年末に内閣は総辞職する。台湾を一億円でフランスに売却する案が出たのも、この頃だ。

 続いて誕生したのが第三次伊藤博文内閣(明治31年1月12日成立)である。しかし台湾という大赤字を抱えていることに変わりはなく、そのため大蔵大臣になり手がなかった。第二次伊藤内閣で蔵相を務めた渡辺国武も就任を断り、伊藤は仕方なく友人の井上馨に無理をいって大蔵大臣を任せることになる。

 台湾経営がうまく行かなかったのは樺山資紀、桂太郎、乃木希典という歴代台湾総督が抗日ゲリラとの戦いに明け暮れていたことにも象徴されていた。そこで第三次伊藤内閣で陸軍大臣として入閣した桂太郎は、同じ長州出身の児玉源太郎を第四代の総督に据えることにした。そのうえで岩手県出身の後藤新平を民政長官に任命し、この二人のコンビにより台湾統治を成功させてゆく。

★その児玉、後藤コンビの裏にいたのが杉山茂丸だった。後藤が民政長官として手腕を発揮しはじめた明治32年頃、茂丸は浅草観音の裏にあった吾妻座という芝居小屋に後藤と入り、芝居見物をしながら台湾経済が自立できる方策として台湾銀行の創設を口にした。そのとき後藤が興味を示したことで、茂丸は次に経済通の松方正義を訪ね、自らの石炭貿易の経験から、香港経済の発展の裏にイギリスの香港上海銀行の存在があることを訴え、台湾にも同じような銀行を作るべきと進言したのである。

 台湾銀行の設立計画が表面化したのは、それから1カ月後だった。児玉が東京にいた茂丸の所へ銀行の頭取の人選を願い出たのである。このとき茂丸は郷土の友人で財政経済学者の添田寿一を推薦した。こうして台湾銀行は明治32年に創設されたのである。なお、後年、台湾銀行が経営破綻した理由を、後藤が民政長官から南満洲鉄道総裁に転任した際、台湾銀行を大蔵省直属にして中央集権化したからだと茂丸は語っている。台湾銀行は台湾を自立させるための銀行であるべきと彼は考えていたのだ。

一方、台湾の基幹産業の育成にも茂丸は寄与していた。児玉が総督として台湾に赴任する直前、築地の瓢屋(ひさごや)に茂丸を呼び出して意見を聞いたことがあった。茂丸は、「砂糖で台湾経済のもとを立てその上にて他の行政軍備の基礎となすべき他の生産の調査を進めてみたいものと思います」と答えた。これに児玉が同意したことで、以後製糖業が台湾の経済政策の柱となるのである。その後、後藤が新渡戸稲造を台湾総督府技師として招き(明治34年)、品種や栽培方法のの改良を加えたことで台湾の製糖業は軌道に乗った。

 続く。
 

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