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●夢野久作・『近世快人伝』
 ●奈良原到 (上)
 
 筑摩文庫版 夢野久作全集 11 より引用します。


 前掲の頭山、杉山両氏が、あまりにも有名なのに反して、同氏の親友で両氏以上の快人であった故・奈良原到翁があまりにも有名でないのは悲しい事実である。のみならず同翁の死後と雖も、同翁の生涯を誹謗し、侮蔑する人々が少なくないのは、更に更に情ない事実である。

 奈良原到翁はその極端な清廉潔白と、過激に近い直情径行が世に容れられず、明治以後の現金主義な社会の生存競争場裡に忘却されて、窮死した志士である。つまり戦国侍代と同様に滅亡した英雄の歴史は悪態に書かれる。劣敗者の死屍は土足にかけられ、唾せられても致方がないように考えられているようであるが、しかし斯様な人情の反覆の流行している現代は恥ずべき現代ではあるまいか。

 これは筆者が故奈良原翁と特別に懇意であったから云うのではない。又は筆者の偏屈から云うのでもない。

 志士としては成功、不成功なぞは徹頭徹尾問題にしていなかった翁の、徹底的に清廉、明快であった生涯に対して、今すこし幅広い寛容と、今すこし人間味の深い同情心とを以て、敬意を払い得る人の在りや無しやを問いたいために云うのである。

 その真黒く、物凄く輝く眼光は常に鉄壁をも貫く正義観念を凝視していた。その怒った鼻。一文字にギューと締った唇。殺気を横たえた太い眉。その間に凝結、磅礴(ほうはく)している凄愴の気魂はさながらに鉄と火と血の中を突破して来た志士の生涯の断面そのものであった。青黒い地獄色の皮膚、前額に乱れかかった縮れ毛。鎧の仮面に似た黄褐色の悠髭、乱髯(らんぜん)。それ等に直面して、その黒い瞳に凝視されたならば、如何なる天魔鬼神でも一縮みに縮み上ったであろう。況んやその老いて益々筋骨隆々たる、精悍そのもののような巨躯に、一刀を提げて出迎えられたならば、如何なる無法者と雖も、手足が突張って動けなくなったであろう。どうかした人間だったら、その翁の真黒い直視に会った瞬間に「斬られたツ」という錯覚を起して引っくり返ったかも知れない。

 事実、玄洋社の乱暴者の中ではこの奈良原翁ぐらい人を斬った人間は少かったであろう。そうしてその死骸を平気で蹴飛ばして瞬一つせずに立去り得る人間は殆んど居なかったであろう。奈良原到翁の風貌には、そうした冴え切った凄絶な性格が、ありのままに露出していた。微塵でも正義に背く奴は容赦なくタタキ斬り蹴飛ばして行く人という感じに、一眼で打たれてしまうのであった。

 この奈良僚翁の徹底した正義観念と、その戦慄に価する実行力が、世人の嫌忌を買ったのではあるまいか。そうしてその刀折れ矢尽きて現社会から敗退して行った翁の末路を見てホッとした連中が「それ見ろ。いい気味だ」といったような意味から、卑怯な嘲罵を翁の生涯に対して送ったのではあるまいか。
  実際・・・筆者は物心付いてから今日まで、これほどの怖い、物すごい風采をした人物に出会った事がない。同時に又、如何なる意味に於ても、これ程に時代離れのした性格に接した事は、未だ曾て一度もないのである。
そうだ。奈良原翁は時代を間違えて生れた英傑の一人なのだ。・・・
略・・・

 こうした事実は、奈良原翁と対等に膝を交えて談笑し、且つ、交際し得た人物が、前記頭山、杉山両氏のほかには、あまり居なかった。それ以外に奈良原翁の人格を云為(うんい)するものは皆、痩犬の遠吠えに過ぎなかった事実を見ても、容易に想像出来るであろう。

 明治もまだ若かりし頃、福岡市外(現在は市内)住吉の人参畑という処に、高場乱子(たかばらんこ*ママ)女史の漢学塾があった。塾の名前は忘れたが、タカが女の学問塾と思って軽侮すると大間違い、頭山満を初め後年、明治史の裏面に血と爆弾の異臭をコビリ付かせた玄洋社の諸豪傑は皆、この高場乱子女史と名乗る変り者の婆さんの門下であったというのだから恐ろしい。・・・略・・・
 (*奈良原少年もこの高場女史の薫陶をうけた。この塾に集う青少年が後に「健児社」を結成、時は西南戦争(事変)のころ。この「健児社」は「玄洋社」の前身をなす。)

・・・
そんな連中と健児社の箱田六輔氏等が落合って大事を密議している席上に、奈良原到以下14・5を頭くらいの少年連が16名ズラリと列席していたというのだから、その当時の密議なるものが如何に荒っぼいものであったかがわかる。密議の目的というのは薩摩の西郷さんに呼応する挙兵の時機の問題であったが、その謀議の最中に奈良原則少年が、突如として動議を提出した。
 「時機なぞはいつでも宜しい。とりあえず福岡鎮台をタクキ潰せばええのでしょう。そうすれば藩内の不平士族が一時に武器を執って集まって来ましょう」・・・
 これを聞いた少年連は皆、手を拍って奈良原の意見に賛成した。口々に、
「遣って下さい遣って下さい」
と連呼して詰め寄ったので並居る諸先輩は一人残らず泣かされたという。その中にも武部小四郎氏は、静かに涙を払って少年連を諌止した。
 「その志は忝ないが、日本の前途はまだ暗澹たるものがある。万一吾々が失敗したならば貴公達が、吾々のあとを継いでこの皇国廓清の任に当らねばならぬ。・・・間違うても今死ぬ事はなりませぬぞ」
 今度は少年連がシクシク泣出した。皆、武部先生のために死にたいが結局、小供たちは黙って引込んでおれというので折角の謀議から退けられて終った。

 かくして武部小四郎の乱、宮崎車之肋の乱等が相次いで起り、相次いで潰滅し去った訳であるが、後から伝えられているところに依ると、これ等の諸先輩の挙兵が皆、鎮台と、警察に先手を打たれて一敗地に塗れた原因は、皆奈良県少年の失策に起因していた。奈良県少年が破鐘のように大きいのでその家を取巻く密偵の耳に筒抜けに聞えたに違いないという事になった。それ以来「奈良県の奴は密議に加えられない」という事になって同志の人は事ある毎に奈良県少年を敬遠したというのだから痛快である。・・・略・・

 一方に盟主、武部小四郎は事敗れるや否や巧みに追捕の網を潜って逃れた。・・略・・とうとう大分まで逃げ延びた。ここまで来れば大丈夫。モウー足で目指す薩摩の国境という処まで来ていたが、そこで思いもかけぬ福岡の健児社の少年連が無法にも投獄拷問されているという事実を風聞すると天を仰いで浩嘆(こうたん)した。万事休すというので直に踵を返した。幾重にも張廻わしてある厳重を極めた警戒網を次から次に大手を振って突破して、一直線に福岡県庁に自首して出た時には、全県下の警察が舌を捲いて雲散したという。そこで武部小四郎は一切が自分の一存で決定した事である。健児社の連中は一人も謀議に参与していない事を明弁し、やはり兵営内に在る別棟の獄舎に繋がれた。
 健児社の連中は、広い営庭の遥か向うの獄舎に武部先生が繋がれている事をどこからともなく聞き知った。多分獄吏の中の誰かが、健気な少年連の態度に心を動かして同情していたのであろう。・・・略・・

武部先生が、死を決して自分達を救いに御座ったものである事を皆、無言の裡に察知したのであった。
 その翌日から、同じ獄舎に繋がれている少年達は、朝眼が醒めると直ぐに、その方向に向って礼拝した。「先生。お早よう御座います」と口の中で云っていたが、そのうちに武部先生が一切の罪を負って斬られさっしやる・・俺達はお蔭で助かる・・という事実がハッキリとわかると、流石に眠る者が一人もなくなった。毎日毎晩、今か今かとその時機を待ってい  るうちに或る朝の事、霜の真白い、月の白い営庭の向うの獄舎へ提灯が近付いてゴトゴト人声がし始めたので、素破こそと皆決起して正座し、その方向に向って両手を支えた。メソメソと泣出した少年も居た。

 そのうちに4・5人の人影が固まって向うの獄舎から出て来て広場の真中あたりまで来たと思うと、その中でも武部先生らしい一人がピッタリと立佇よって四方を見まわした。少年達のいる獄舎の位置を心探しにしている様子であったが、忽ち雄獅子の吼えるような颯爽たる声で、天も響けと絶叫した。
「行くぞオオー-一一オオオ--」
 健児社の健児16名。思わず獄舎の床に平伏して顔を上げ得なかった。オイオイ声を立てて泣出した者も在ったという。

「あれが先生の声の聞き納めじやったが、今でも骨の髄まで沁み透っていて、忘れようにも忘れられん。あの声は今日まで自分(わし)の臓俯(はらわた)の腐り止めになっている。
貧乏というものは辛労い(きつい)もので、妻子が飢え死によるのを見ると気に入らん奴の世話にでもなりとうなるものじゃ。
藩閥の犬畜生にでも頭を下げに行かねば遣り切れんようになるものじゃが、そげな時に、あの月と霜に冴え渡った爽快な声を思い出すと、
腸がグルグルグルとデングリ返って来る。何もかも要らん『行くぞオ』という気もちになる。貧乏が愉快になって来る。先生・・・先生と思うてなあ・・・」
 と云ううちに 奈良原翁の巨大な両眼から、熱い涙がポタポタと毀れ落ちるのを筆者は見た。

奈良原到少年の腸(はらわた)は、武部先生の「行くぞオーオ」を聞いて以来、死ぬが死ぬまで腐らなかった。
 
 奈良原到 (上) より。 略部あり。 

 


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