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●八月十五日、日本のいちばん醜い日
                      日本のいちばん醜い日_1



 ●原爆投下の謎に迫る
  『日本のいちばん醜い日』 ( 鬼塚英明 成甲書房 2007.8.5 )から
  
 <醜の章>。

 ●八月十五日、日本のいちばん醜い日

 
・・・そしてつぎに「終戦の詔書」の一番肝心な「朕はここに国体を護持しえて」という「天皇制継続宣言」(千本秀樹『天皇制の侵略責任と戦後責任』)になるのだ。そして最後に「国体の精華を発揚して世界の進運に後れるな」となって終わるのだ。
 [終戦の詔書」の本質をもっとも鋭く分析したのはマクマホン・ボール(マッカーサーの諮問機関である対日理事会のオーストラリア代表・メルボルン大学教授)である。彼はいう。
 「敗戦が決定してから、天皇と日本政府の真の態度を示す最も意味深い文書である。占領期間中とるべき戦術と戦略であると私は確信する。(中略) 一つは占領者の命令にたいする完全な外面上の服従であり、もう一つは占領者の意志にたいする持続的精神的抵抗である」(マクマホン・ボール『日本、敵か味方か』以下同じ)。
 つづけて彼は、
 「この詔書は降伏という言葉をつかっていない。天皇はただ『時局を収拾する』と決意したにすぎない。そして、日本の侵略を正当化する奇妙なまでに厚かましい試みがなされる。天皇は、『帝国の自存と東亜の安定を庶幾する』誠実な願いで戦争を宣言した」というのだ。そして、
 「日本が無条件降伏に至ったことは何も示唆されていない。むしろ『戦局は好転せず』だった。天皇は日本との同盟を強要された東南アジア諸国にたいしては『帝国と共に終始東亜の解放に協力』してきたが故に、彼らに遺憾の意を表しているのである。そして、最後にポツダム宣言の受諾が、日本に『国体護持』することを得せしめたという」
 この意見は、前出の千田夏光の「終戦の詔書」観にかなり近い。ここまで言えるということは、相当に勉強しなくては言えないと思う。しかし、こんな意見もイギリスやアメリカにつぶされてしまうのだ。
 こんな、論弁、ウソ八百、すり替えに満ちた文書は、世界史の中にもそうザラにはないだろう。しかも、1990年代という50年後にも、この理不尽な「裕仁理論」はハツラツと生きているのだ。それは敗戦後に温存された宮廷勢力や大資本、自衛隊、財界や高級官僚や、彼らが握っている「番犬階級」(正木ひろし)であるマスコミによって体系的に報道操作されている。
 「終戦の詔書」の「裕仁理論」は、安保闘争後に「大東亜戦争肯定論」と教科書裁判などでむきをかえる。そして裕仁誕生70年祝典、大阪万博をへて、1975年の裕仁夫妻訪米、76年の裕仁在位50年祝典などで完全に復活して、89年の「昭和Xデー報道」でピークに達する。そのご明仁即位、徳仁・雅子結婚などがつづく。・・・


 この文章に解説は何もいらない。私たちは過去を忘れさせようとする勢力の範囲内で生かされている。「大東亜戦争肯定論」の本が氾濫するなかで生きている。
 私はロベール・ギランの『日本人と戦争』を紹介したい。彼は1938年から1946年までアヴァス通信社の特派員として滞在した。戦後もながく日本での記者活動を続けた。

 ・・・この詔勅の中で、敗戦という言葉はいちども発せられておらず、もちろん降伏という言葉も使われなかった。残忍な原子爆弾がこの戦争の終結の理由だとされた。そして詔勅が別のところで述べているように、「さき二米英二国二宣戦セル所以モ亦実二帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スル」だけがこの戦争の目的だとされた。そこでもし、旧軍人が将来自分たちの好き勝手に歴史を書き直す機会を得るならば、彼らはこの詔勅のテキストを基盤にして次のように言うこともできよう。われわれが戦争をやめたのは、われわれの敵の非人間的行動にのみ依るものであった。わが天皇は毫下の軍隊が深手を受けていないにもかかわらず、殺戮を止めることに同意されたのである。なぜなら、天皇は目本国の救世主であるばかりでなく、いかなる残虐行為にも反対する、人間文明の防衛者たらんと欲せられたからだ、と。・・・

 このロバート・ギランの物の考え方と松浦総三の考え方は、ほぼ一致する。
 「天皇は日本の救世主であるばかりでなく、いかなる残虐行為にも反対する、人間文明の防衛考たらんと欲せられたからだ・・」の中に、私は、天皇とアメリカとの間にあったであろう密約を連想する。

 天皇はたった一度だけの原爆批判を、終戦の詔書の中でのみ赦された。しかし、天皇は死ぬまで一度も原爆投下の批判をしなかった。天皇と深く結びついたヨハンセン・グループも同様であった。
 天皇とヨハンセン・グループは原爆投下の残虐行為を追及しないことによって、原爆を中心とする、米・ソの見せかけの冷戦に協力し続けたのである。それこそがロスチャイルドを中心とするユダヤ国際資本家たちが狙っていた戦略だった。原子力発電への傾斜もそのような戦略の中で推進されていった。
 ロバート・ギランの本を続けて読む。

 ・・・日本人の性格は、悲劇の幕が閉じた際にもわれわれに最後の驚きを与えた。七千五百万の日本人は、最後の一人まで死ぬはずだった。一介の職人に到るまで、日本人たちは自分たちは降伏するくらいなら切腹すると言い、疑いもなくその言葉を自ら信じていた。ところが、潤を流すためにその顔を隠した日本が再びわれわれにその面を示したとき、日本は落ち着いて敗戦を迎えたのである。彼らが敗戦を受け入れた態度には意表をつく容易さがあったように思われた。日本人は明らかな葛藤を示すことなくページをめくり、久しい開見ることがなかった輝きを顔に浮かべさえしたのである。あの日本人の微笑だ。・・・

 ロベール・ギランは日本人の微笑の場面を数々紹介する。「まず、われわれの運命の主人だった警宮たちが微笑を見せた。長い間、われわれに対する憎悪をむき出しにし、下劣な迫害を行ってきた黒い制服のあの人物たちが、三日もたたぬうちに、一人一人外人を訪れ、ぺこぺこお辞儀をして・・・」と書いている。
 決して、断じて、と言いたい。日本人は泣かなかったのである。木戸幸一が見た八月十五日の正午すぎの光景を、もう一度思い出してほしい。あの宮城広場で人々が「万歳!」「万歳!」と手を空につきあげて喜びあっていたのである。松浦総三が見事に喝破しているごとく、「マスコミによって体系的に報道操作されている」その好例が、保阪正康の『敗戦前後の日本人』に書かれている。

 ・・・八月十五日に、はたして人びとは泣いたのであろうか。
 〈八月十五日〉を思うとき、わたしはいつも一枚の写真を思い浮かべてしまう。すぐにわたしの世代のことをもちだすのは気がひけるが、わたしの同年代の友人たちも、意外にこの写真を〈八月十五日〉に結びつけているのである。敗戦の日を具体的な絵柄としてあらわすには、これがもっともふさわしいからかもしれない。
 この写真とは、宮城前で正座し、号泣している国民の姿である。学生がいる。若い婦人がいる。老人がいる。兵隊と覚しき八たちもいる。彼らは、皆一様に同じポーズでうつむいている。なかには、地べたに顔を伏せている者もいる。写真説明には、「ズ芯誠足らざる〃を詫び奉る」と書かれていたりする。・・・

 私はこの写真が完全な偽物であることを立証したし、あの8月15日の「朝日新聞」の記事の欺瞞性も追及した。しかし、天皇教を奉じてたてまつる現代史家たちは、ただ、ただ、天皇崇拝のために本を書き続けるのである。これはまさしく一つの神話である。消しても決して消えることのできない神話である。この神話の源泉を辿ってみたい。
 佐藤卓巳は『八月十五日の神話』の中で、「終戦の詔書」の意味を追求した。

 単なる「降伏の告知」ではなく、「儀式への参加」であったことが重要である。この場合、昭和天皇が行使したのは、国家元首としての統治権でも大元帥の統帥権でもなく、古来から(ママ)続いた祭司王としての祭祀大権であった。日本文学の起源を祝詞に求めた折口信夫は『上世日本の文学』(1935年)で、次のように論じている。それは、あたかも玉音放送の威力を予言するかのごとくである。

 ・・・天子が祝詞を下される。すると世の中が一転して元の世の中に戻り、何もかも初めの世界に返ってしまう。此が古代人の考へ方であった。〔略】かうして春秋冬が先ず、考へられて後に夏が出て来る。夏は一年の中の身体を洗ひ潔める時節である。此四つを三ケ月ずつに切って分けたのはまた後の事である。初め、暦を定め、春の立つ日を定めるのは天子であらせられた。天子は、暦を自由にする御力で人民に臨んで居られる。此が日本古代人の宮廷に対する信仰であった。天子のお言葉で世の中の統べてのものが元に戻り、新たなる第一歩を踏むのである。・・・

 この折口信夫の文章の中に、「終戦の詔書」の持つ「魔力」が見事に表現されている。
 天皇族は朝鮮半島から、中国大陸からやって来た。そして平安時代まで権力を維持した。平安時代に武士(原日本人)が台頭し、鎌倉時代には、その実質的権力は武士に移った。しかし、天皇家は残った。男のイメージである武士に対し、女形のイメージである無機的な恐怖を温存しえて、この世に天皇家は残った。
 「天子は、暦を自由にする御方で人民に臨んで居られる」という信仰を古代から原日本人が持たされ続け、実際に持つにいたった。私が「天皇は女形である」と書いてきたのはそれゆえである。
 男のイメージの軍人たちや政治家が、天皇の前で号泣するのは、「天子の御言葉で世の中の統べてのものが元に戻り、新たなる第一歩を踏むのである」の中で明らかにされている。古代人が持った、無機的な闇の深さが、天皇の玉音の中で蘇生されたのである。天皇の側に仕え、出世し、生活の糧を与えられた者たちは、無意識の領域の中で、祭司王の魔力に打ちのめされていた。

 しかし、その魔力に敗けじと我慢していた原日本人たちがいた。彼らが祭司王の祭場である皇居前広場に無意識のうちに集合し、「万歳!」「万歳!」の大声を発したのであった。その大声は祭司王の玉音を消し去り、日本人の心に共鳴運動をもたらし、微笑となったのである。
 祭司王を支える組織はその微笑を封印・抹殺すべく、あの写真をでっち上げ、号泣場面を創造し続けている。そして毎年毎年、8月15日が近づくと、「堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ」とあの部分を繰り返し、再び原日本人の脳髄深くに、女形のもつ無機の闇の恐怖を植えつけようとするのだ。
 こうした観点から見ると、天皇が敗戦前に、三種の神器を自分の手元に置きたいと願った意味も解けてくる。





さて、本書は終わりに近づいた。この終戦の詔書こそは、戦争の何たるかを私たちに示してくれた。結論を書かねばならない。
 一度引用した*コウケツ厚の『日本海軍の終戦工作』に、この終戦の詔書が出来た意味が書かれているので引用することにする。

 そうした意味からすれば、[国体護持」を目的とした終戦工作とは、要するに戦後保守勢力の温存という、きわめて高度な政治工作として歴史に位置づけられるべきものであった。同時に終戦工作とは、天皇制の存続を究極の目標としたように、戦前と戦後とを遮断せず、その連続性を保つための試みとしてあったともいえる。
 そのためには、戦争責任を担ってきた天皇制支配機構や、それに連なる人脈を温存するために、いわば大義名分として終戦工作が企画されたと考えられる。終戦工作とは天皇を頂点とする保守勢力の温存が目的であり、戦争終結はそのための手段にすぎなかった。
 それゆえ国土を戦場とした沖縄戦の悲劇や原爆投下による甚大な犠牲を強いられても、なおも「国体護持」=天皇制存続が保証されることを確信できるまでは、ポツダム宣言の受諾を躊躇せざるを得なかったのだ。

 私が今まで書いてきたことが、この文章の中に書かれている。
 沖縄戦の悲劇も、原爆投下も、天皇制と保守勢力(ヨハンセン・グループのことをさす)の温存のために必要であったのである。日本の国家なんぞは、天皇と保守勢力にとっては、どうでもいいことであった。彼らはぬくぬくとした心地よい生活が保証されれば、国を売ることに良心の呵質なんぞは持ち合わせない種族であった。
ミ田布施に源を発する一族はついに、この国を支配することに成功した。「美しい国づくり」・とは、今までの「うるわしき大和」にかえて異質の日本の剖造を目指す試みである。平成の今日でも、列島改造計画は続けられているのである。
 歴代首相の多くが田布施と関係するこの日本はどうなっているのだと私は訴えたい。それゆえにこそ、私は皇室のズ犯めごと〃の中に真実かおるのではと、幕末から終戦までの天皇家の人々の出自を書いてきた。鹿児島県の田布施出身の首相の後に、山口県の田布施の出身の首相が登場してきたのは偶然ではないと書いてきたのである。
 日本人をたぶらかす勢力が海の彼方にいることを私は追求した。彼らが、ズ穫めごと〃をネタにして脅迫している事実について私は書いてきたつもりだ。
 
この本の最後に徳富蘇蜂の『徳富蘇峰終戦後日記―頑蘇夢物語』を引用して結びとする。

 ・・・それから殊に驚ろくべき事は、国体擁護という一件である。実は国体護持という文句が、最近各新聞の第一面に、特筆大書せられているから、これは何かの魂胆であろうと考えさせられた。日本国民が、今日に於て、改めて国体護持などという事を、仰々しく言い立つべき、必要もなければ、理由もない。しかるにかく薮から棒に、繰り返し巻き返し、書き立てる事は、敗戦論者等が、何か仕組んだ筋書であろうと睨んでいたが、果然その通りであった。即ち敗北論者は、トルーマンに向かって、彼等が日本に降伏を指定したる条件中には、日本主権者の位地については、何等関与する所なきものと、認めて差支なきやと、質問したところ、向うからその通りとの返事を得たとて、宛かも鬼の首を取ったる如く、これを天下に広告し、無条件降伏をしたればこそ、皇室の御安泰を維持する事が出来たという事を吹聴し、皇室の御安泰を保持する為めには、何物を失うても差し支えないという剣幕で、我等こそ日本国家の一大忠臣であると言わんばかりに、手柄顔に吹聴している。即ち連日新聞に揚げられる国体云々は、畢竟如上の筋書によって出来たものである。
   (昭和二十年八月十九日午前双宜荘にて) 〔終〕
 

● 『日本のいちばん醜い日』 ( 鬼塚英明 成甲書房 2007.8.5 ) <完>。

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