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●八月十五日、日本のいちばん醜い日
 ●原爆投下の謎に迫る
  『日本のいちばん醜い日』 ( 鬼塚英明 成甲書房 2007.8.5 )から
  
 <醜の章>を続けます。

 ●八月十五日、日本のいちばん醜い日


 8月14日、最高戦争指導会議と閣議が天皇の召集のもとに開かれたのが午前11時50分。ここで2回目のご聖断(「鶴の一声」)が出た。
 午後8時、天皇は終戦の詔書に署名した。この詔書をめぐって、阿南陸相と米内海相が激しく言い争った。このことは省略する。御用学者たちも部分的に筆を入れたが、これらもすべて省略したい。
 各国務大臣が副署を終えたのが14日午後11時頃である。たいがいの本にはただちに外務省から連合国への回答公電が出されたとするが、私は阿南陸相の抗議により2時間ほど遅れたとの説を立てた(291頁参照)。そして枢密院での東郷外相の説明による15日午前1時を正式の回答時間とした。
 回答公電はスイスとスウェーデンに向けて発信された。加瀬俊一公使がスイス外務省に受諾文を手渡し、その受諾文がただちにホワイトハウスのトルーマン大統領執務室に届いたのが14日午後4時5分(東部現地時間)。ジェームス・バーンズ国務長官はイギリス、ソ連、中国(国民政府)の首相らに電話し、14日午後7時(日本時間15日午前8時)に同時発表することを申し入れた。従って、この同時発表を終戦(敗戦)の日時とする説が一般的ではあるが、異論もある。ここではすべて省略する。

 日本では、15日正午、録音された終戦の詔書がラジオ放送された正午を終戦の日時とする説が多い。いずれにしても、8月15日、国民は初めて日本の敗北を知らされたのである。
 ここでは、「終戦の詔書」の原文と読売新聞社編『昭和史の天皇』(第三十巻)の口語訳の両方を記載し、解説は口語訳でする。この原文が難解すぎるからである。対比して読んでいただきたいと思う。そうすれば、原文の意味も自ずから理解できると思う。

●<原文>

朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲二忠良ナル爾臣民二告ク
朕ハ帝同政府ヲシテ米美支蘇四国二對シ其ノ共同言言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
抑々帝国臣民ノ康寧ヲ図り万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遣範ニシテ朕ノ拳々措カサル所握二米英二同二宣戦セル所以モ亦実二帝同ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ知キハ固ョリ朕カ志ニアラス然ルニ交戦已二四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カー億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我二利アラス加之敵ハ新二残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無事ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真二測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ純二我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ知クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊二謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言二応セシムルニ至レル所以ナリ朕ハ帝国ト共二終始東亜ノ解放二協カセル諸盟邦二対シ遺憾ノ意ヲ衷セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ戦陣二死シ職誠二殉シ非命二笥レタル者及其ノ遺族二想ヲ致セ八五内為二裂ク且戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙り家業ヲ失ヒタル者ノ厚生二至リテハ朕ノ深ク翰念スル所ナリ惟フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ如ル然レトモ朕八時運ノ趨ク所堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為二太平ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲二国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠二俗骨シ常二爾臣民ト共二在り若シ夫レ情ノ激スル所濫二事端ヲ滋クシ或ハ同胞排臍互二時局ヲ乱り為二大道ヲ誤り信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク挙国一家子孫相伝へ確ク神州ノ不滅ヲ俗シ任重クシテ道遺キヲ念ヒ総カヲ将来ノ建設二傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ輦クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運二後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕力意ヲ体セヨ
  御名(ヒロヒトのサイン)  御璽(印鑑判子のこと)

 では、「終戦の詔書」なるものを検討してみよう。驕れる日本の今日の姿が見えてくる。

 この詔書が出来上がる過程についてはその一部を記した。この終戦の詔書についても、最終段階でもめにもめた。その過程は一切省略する。また、この詔書はとても読みづらい。口語体で書くべきところを難解な言葉をつかい、わざと難しくしている。それで私は、読売新聞社編『昭和史の天皇』(第三十巻)に掲載されている現代語訳を使用する。タイトルは私が勝手につけた。読みやすくするためである(一部割愛)。
  (続く)
 

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