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●原爆投下の謎に迫る
 ●原爆投下の謎に迫る
   
 ●醜の章の紹介を続けていきます。

 ●かくて、鶴の一声が発せられた

 名文である。私はこの名文を幾度も読み返し読んでみて、ふと思った言葉がある。「恋闕」という言葉である。恋闕とは天皇を恋することである。天皇の言葉に号泣する軍人たちは確かに天皇に恋していたにちがいない。どうして、このような感情が生まれてきたのであろうか。その一つの理由は、正木ひろしの『近きより』(昭和21年再刊号)の中に見出せると思う。
 高級職業軍人や憲兵や検事の大部分、その他の戦犯らが戦争の継続を必死になって望んだのは、敗戦になれば、戦勝国の手による刑罰の必至であったため、それを恐れて1日も長く自分の寿命を延長するため、また絞殺されるよりは、国を焦土と化し、全国民と無理心中するため、一億戦死を叫んだもので、その残忍酷薄非人道は、地獄の悪魔の心と少しも変はるところがない。

 しかし、正木ひろしは恋闕の半分しか答えていない。正木ひろしは戦争継続を叫ぶ軍人たちが敗北を覚悟で徹底抗戦を叫んだのを、生活基盤の面から見ている。もう一つの理由があると私は思っている。彼ら老いた高級職業軍人たちは言葉が悪いが、他に表現方法がないのだが、女形の天皇にぞっこん惚れこんでいたと思えてならない。女形が持つ無機的な闇の部分に惚れこんでいたのである。あの号泣の場所は、恋のぬれ場であったと思う。犯したいが犯しえぬ一人の女形を前にして、彼らはその恋情がやがて終わりとなることを意識したのである。
 天皇に直接会える政治家や軍人はごく少数である。天皇に直接会えるということは、正木ひろしではないが、その女形の魅力ゆえに残忍酷薄非人道、地獄の悪魔の心を持って出世の階段を一歩一歩登りつめた結果なのであった。

多くの「高級職業軍人や憲兵や検事の大部分」の者たちは、犯すに犯しえぬ恋情=恋闕に憧れたのである。だから、戦争をするという行為に何ら疑問を感ずることなく、天皇の意のままに動くロボットのような人間集団と化したのである。
 敗北が近づくにつれて、その女形のもつ、いとあやしき魅力にかげりが見えてきた。日本劇場の幕切れが近づいてきた。女形は、古い恋人たちを捨てて、廻り舞台の上で乗りかえようとしていたのである。そこで、女形はあらためて、自分の魅力とは何だろうと思うようになった。この小男で、猫背で、体をいつも小きざみにふるわせている女形の魅力とは何であったのか。天皇ヒロヒトは絶えずそれを考えていた。女形を権威づけてきたものは・・・と天皇ヒロヒトは考え続けたにちがいない。
 それは大室寅之祐以来、隠しに隠してきた出自を、完璧に隠蔽できるものであった。彼は自分が大室寅之祐の血さえひいていないのを知り尽くしていた。皇統は完全に絶えていた。しかし、裕仁は連綿と続く皇統の唯一の存在者であると確信していた。それが大いなる誤謬であれ、裕仁は確実にそのように信じていた。

 『昭和天皇独白録』を見ることにしよう。
 当持私の決心は第一に、このまゝでは日本民族は滅びて終ふ、私は赤子を保護する事が出来ない。
 第二には国体護持の事で木戸も同意見であつたが、敵が伊勢湾付近に上陸すれば、伊勢熱田両神宮は直ちに敵の制圧下に入り、神器の移動の余裕はなく、その確保の見込が立たない、これでは国体護持は難しい、故にこの際、私の一身は犠牲にしても講和をせねばならぬと思った。

この本の中に「注」がついている。たぶん、半藤一利の解説である。

 また、国体護持のためには三種の神器を確保せねばならない、とする天皇の考えは、20年夏ごろにしばしば側近に洩らされている。たとえば、7月25日、前日の伊勢神宮爆撃について語ったとき。
 「もし本土決戦となれば、敵は空挺部隊を東京に降下させ、大本営そのものが捕虜となることも考えられる。そうなれば、皇祖皇宗よりお預りしている三種の神器も奪われることも予想される。それでは皇室も国体も護持しえないことになる。もはや難を忍んで和を講ずるほかはないのではないか」
 あるいは7月31日に、
 「伊勢と熱田の神器は結局自分の身近に御移して御守りするのが一番よいと思う。・・・万一の場合には自分が御守りして運命をともにするしかない」と語っているのである。
 この解説者の書いている通り、『木戸日記』を読むと、三種の神器にこだわる天皇の姿がたくさん書かれている。木戸関係文書の中にもたびたび登場する。阿南陸相が戦争継続を木戸に訴えているとき、「それでは三種の神器はどうなるのですか」と木戸が反対する場面が、その文書の中に登場する。木戸は天皇の話を聞いているうちに天皇に感化されているのが分かるのである。
 この『昭和天皇独白録』について、痛烈なる批評をなしている本があるので紹介する。★小森陽一の『天皇の玉音放送』である。(2003年五月書房刊)
 
「第一」の「理由」は、迫水の語ったところと一致している。これ以上死者を出してしまうと「日本民族」が「滅びて終ふ」、「天皇」を支える「赤子」が死に絶えてしまうことに、ヒロヒトはまず恐怖したのである。
 しかし「第二」に固執しているのは「国体護持」しかも7月25日や31日と同じように神器が置いてある伊勢神宮と熱田神宮が「敵の制圧下」に入ったらどうするのか、ということなのである。ヒロヒトが「聖断」を下したのは、本土決戦になれば「神器の移動の余裕はなく、その確保の見込が立たない」からなのだ。広島、長崎への原爆投下の後も、ヒロヒトの頭の中に変化は起こらなかったのである。

 「私の一身を犠牲にしても」と、あたかも決死の覚悟であったかのように語ってはいるが、ヒロヒトの頭の中にあったのは要するに自分が戦争に敗北した大元帥になったとしても、「三種の神器」の保全を優先して「国体」を「護持」する、という神話的妄想にほかならない。
 「聖断」は、国民ではなく、「三種の神器」の安全を守るために下されたのだ。この一点を私たちは忘却してはならない。

私は「三種の神器」については書かないことにするが、一言だけ書くとすればこれは★レプリカであるとのみ書く。
 
私は天皇の「独白録」を読み、「注」を読み、そして小森陽一の説に接しつつ、思ったことかあるので正直に書いてみよう。

 伊勢神宮と天皇家は本来、関係がないのである。天皇家は仏教を信じていた。伊勢神宮は仏教を信じない人々の心の拠り所であった。
 幕末、この伊勢神宮を参った人々(お伊勢まいり)は、「ええじゃないか」の旗を立てて、革命を煽る集団と化した。この「えゝじゃないか」の旗の中に「エタでもえゝじゃないか」の旗が見えるのである。ここから明治維新の波が起こってきた。だから、大室寅之祐こと明治天皇は、この伊勢神宮に参ったのである。

 簡単な表現をするならば、(被差別)部落解放運動が明治維新となったのである。あの天皇も重臣の多くも部落出身者であった。彼らは自分たちを権威づけるために「三種の神器」という伝説を創造したのである。ヒロヒトがこの「三種の神器」にこだわる理由がそこにある。

 もう一つ考えられる。ヒロヒトは、スイスに入れた金と「三種の神器」をごったにして考えているふしが見え隠れする。最下層の生活から一変して大金を手にした人間は、擬い物の芸術作品や偽作の血統書を手に入れて、自分の出自を隠そうとする。自分の子供たちを高貴な血統(?)と結びつけようとする傾向がある。これと同じである。ヒロヒトは「三種の神器」を口にするたびに、心の中では「大室寅之祐以来、蓄めに蓄めた金」をどうして占領軍アメリカに渡されようか、と考えていたはずである。
 だから、原爆をアメリカに都合よく投下してもらい、あとは国体護持を維持することに専念する。その第一歩が「鶴の一声」であったのだ。
   (続く)
 

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