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●原爆投下の謎に迫る
 ●原爆投下の謎に迫る
  『日本のいちばん醜い日』 ( 鬼塚英明 成甲書房 2007.8.5 )から
  
 ●醜の章の紹介を続けていきます。


 
 ●広島にどうして原爆が落ちたのか


 前項「原爆投下の謎に迫る」の中で書いたが、皇室関係者、一部の重臣たち、そしてヨハンセン・グループの人々は、確実に、敗戦前のあるときに原爆が落ちることを知っていた。それも、遅くとも6月中旬には知っていた。
 それでは8月6日、午前8時すぎに広島に原爆が落ちた謎に迫ってみよう。「原子爆弾の投下」という記事が外務省編の『終戦史録(4)』の中にある。
 
ポツダム宣言発表以来、緊迫した空気のうちに、一途にソ連の回答を鶴首していたところ、8月6日午前8時過ぎ広島に侵入したB29一機は、新型爆弾一個を投下し、その一弾のため広島はほとんど壊滅したと伝えられた。7日朝にいたり、米側ラジオは、トルーマン大統領の声明として、「6日広島に投下した原子爆弾は戦争に革命的な変化を与えるものだ。日本が降伏に応じない限り、さらに他の場所にも投下する」と伝えてきた。〔略〕
7日、この問題で関係閣僚会議が開かれた。東郷外相は、そこで原子爆弾投下云々のアメリカ放送を詳細報告した。陸軍側は、ともかく調査報告をまって必要措置をとろうと主張し、なるべくその効果を軽視しようとするもののようであった。外相は、またその席上で、原爆の出現は、軍側にも戦争終結の理由を与えることになるので、ポツダム宣言を基礎に終戦を考えては如何かとはかったが、その時、外相の提案を議題として議論するには至らなかった。
 さて、東郷外相は、原爆に関する米英側放送が引き続き猛烈なので、翌8日朝、鈴木首相と打ち合せたうえ参内した。外相は、天皇に右の趣を詳細申し上げ、もはやポツダム宣言を受諾するより他なしと思う旨内奏した。陛下は、これを聞こし召されて、原爆のような新兵器の出現をみた以上、戦争継続は不可能である。速やかに終戦措置を講ずるようにせよ、なお、その旨を首相に伝えよと仰せになった。
 東郷外相は、早速右の思召を木戸内府ならびに鈴木首相に伝え、なお首相に対し、至急構成員会議を召集せられたいと申し入れた。首相は、右様(ママ)取り計らったが、会議は翌9日開かれることになった。然るに、翌9日朝、ソ連の参戦を見、急遽右構成員会議が開催されている最中、さらに第二の原爆が長崎に投下された。

 以上は公式的な原爆の記録である。それでは、どうして原爆が落とされたか、を考察する前に、天皇の動きを別の面から見ることにしよう。 


 2002年8月13日、「ジュネーブ発13日共同電」は、「まやかし日本秘密口座」について報道した。この内容は長く複雑であるので、私が以下にダイジェストした。

――日本は1944年9月、赤十字活動の支援を表向きの目的として、スイス国立銀行に横浜正金銀行名義(天皇の銀行)で秘密口座「第一特別勘定」と「第二特別勘定」を開設した。
 しかし、横浜正金は入金する一方で、この金には一切手をつけず、赤十字活動のために拠出する金は、横浜正金東京支店に開設された在日スイス公館の口座に振り込んだ。さらに東京から中国への送金の際も円と元の公定レートを強制し利ざやを稼いだ。
 日本はこの特別勘定をスイスとの取引決済や武器調達などに使用したほか、特別勘定の資金をスウェーデンなど中立国に移す資金退避を何度か繰り返した。45年8月の時点で5860万スイスフランの残高があったが、終戦とともにスイス政府が口座を凍結。その後、英国などへの賠償金やサンフランシスコ講和条約に基づく連合国捕虜への捕償金などで没収され、特別勘定は56年に閉鎖された。―

 この記事には解説がついているが、真実を伝えていない。天皇は敗戦が近づくと、自らが戦争その他で貯蓄した大量の金を、日本銀行や横浜正金銀行から、スイスにある国際決済銀行(BIS)の力を借りてスイスに移すのである。
 天皇は国際決済銀行とスイス国立銀行に今日でも世界トップクラスの秘密資金を持っている。ポール・マニングの『米従軍記者の見た昭和天皇』にも、シーグレーブ夫妻の『ゴールド・ウォリアーズ』にもそのことが詳しく明記されている。横浜正金銀行が1944年9月にスイス国立銀行に開設した「第一特別勘定」と「第二特別勘定」も、天皇の資産隠しのために使われたとみる。しかし、天皇は、自らの秘密口座と、皇后名義の秘密口座をスイス国立銀行に持っていた。
  
工藤美代子の『香淳皇后』には次のように書かれている。

 日本でも、外面的には、あくまで戦争を続け、本土決戦に臨むという態度ではあったが、その実、敗戦を予測してのそれなりの動きはあったようだ。
 木戸幸一をはじめ、当時の日本の首脳部にいた人々の日記は、すでに幾つか刊行されているのだが、不思議なことに、敗戦を予測しての具体的な準備について触れた記述は全く見あたらない。
 しかし、実は何者かによって着々と、手は打たれていた。そう思わせる証拠の一端が、ロンドンの公文書館に保存されている。
 それはスイスの赤十字国際委員会とイギリスの外務省との間で、昭和21年8月から昭和23年9月にかけて交わされた一連の外交文書である。
これらの文書によると、昭和20年の4月に、日本の皇后が赤十字国際委員会に一千万スイスフランの寄付を申し出たというのである。
 一千万スイスフランといえば、現在のレートで換金しても約七億円近い金額である。まして、当時のレートで換算したら、莫大な金額だったはずである。
 まず興味深いのは、4月の時点で、すでにこの寄付の申し出がなされていたことである。
 これは、日本の敗戦を予測して、皇室の財産を処分しておこうとする動きではなかったかという見方ができる。それ以外に、こんな莫大な金額を寄付する理由はかんがえられないというのが、スイス側やイギリス側の見解だ。

 この工藤美代子の『香淳皇后』が出版されたのが2000年。その翌年の2001年8月13日に、「ジュネーブ13日共同=藤井靖」で、この内容を追認する記事が出た。

 日本が1945年8月の終戦直前、スイスの赤十字委員会(ICRC)に対し、昭和天皇の皇后名で一千万スイスフランの巨額寄付を提示。連合国の対日政策決定機関である極東委員会が禁止決定を出したものの、赤十字がこれを覆して戦後の49年、秘密裏に送金が実行された経過が13日、スイス政府やICRCの公文書で分かった。
 寄付は横浜正金銀行(旧東京銀行の前身)がスイス国立銀行に保有し「日本の秘密口座」と呼ばれた「特別勘定」から拠出された。日本が皇后名の寄付を申し出た事実は英公文書で確認されているが、その動機は不明。公文書は米英両国にスイス、ICRCを巻き込んだ送金実行までの4年間にわたる「攻防」の詳細を明らかにしている。一千万フランは現在のレートで約七億円。当時と現在のスイスフランの購買力を単純に比較すると約三十三億円に上る。

   (続く) 


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