カウンター 読書日記 ●原爆投下の謎に迫る
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●原爆投下の謎に迫る
『日本のいちばん醜い日』 ( 鬼塚英明 成甲書房 2007.8.5 )から
  
  ●醜の章の紹介を続けています。
 

ロスチャイルド財閥を中心とする国際金融同盟は、原子力に注目し、これに莫大な資金を投資し、ウラン鉱山の買収を大戦中に始めていた。原爆の実験はそのために是非とも必要だった。日本がその標的にされた。スティムソン陸軍長官が6月8日直前に天皇宛ての文書をヨハンセン・グループのルートで送ったとみられる。昭和20年6月8日の『木戸幸一日記』はとても長い。長くて引用しきれない。だが、歴史を知ろうとする人々は是非、この日記を読まれるがいい。

 天皇は動かざるをえなくなったのだ。たぶん、この中に、彼らの言い分に応じないと、東京に原爆を落とすぞ、という一文が入っていたにちがいない。それで思いあまって天皇は皇太后の元へ行ったにちがいない。原爆投下は別として、皇太后はこの年の1月から、樺山愛輔、関屋貞三郎のルートでアメリカの情報を入れて、高松宮に和平工作にのり出せと主張していた。天皇の疎開説得に応じなかった皇太后がどうして数日後に、急転直下、疎開に応じたのか。答えはいたって簡単である。ヨハンセン・グループから、原爆投下についての語を聞いたからである。
 スティムソン陸軍長官がトルーマンに、「彼らをたきつけ、持てる影響力を行使させる」と語った言葉(軍首脳も出席した)の中に、日本の運命が語り尽くされているのである。
 
次に、外務省編『終戦史録(5)』の中に掲載されている「大井篤手記-天皇制と太平洋戦争」から引用する。
 文中の「彼等」とは偽装クーデターを計画、実行した★畑中少佐らのことである。
 
彼等は、天皇は間違っていると考えました。彼等には驚くべきまでに、機微な情報が-その真実性は私には判りませんが-入手されていました。彼等の見るところでは、天皇は弱虫だから終戦を急がれているのである。原子爆弾が怖いのだ。その弱虫をさらに皇太后が焚きつけている。皇太后は御所内に堅固な防空壕を作ってくれと軍に催促されるが、資材不足でそれが出来ずにいる。そこへ原子爆弾の話が、尾ひれをはやして皇太后の耳に入ってくる。ジットしておられなくなって天皇に訴える。彼等はこの情報を信じておりましたし、又陸軍では一般に原子爆弾はそう恐ろしいものでないと信じられておりました。

この文章を読むと、皇太后ははっきりと原子爆弾が投下されること(目標が東京かは別として)を知っていたのだ。それで大本営に、赤坂御所に原子爆弾に耐えられる防空壕を造れ、と命じたのである。結局、皇太后は、8月20日に軽井沢へ出発すべく準備していたが終戦となった。スティムソンエ作が皇太后の防空壕建設の話にまで及んでいた。
 この話は別の面から見ると、重大な事件(事実?)を秘めている。その第一は、天皇が「原爆が投下される可能性」を全く知らなかったことになっているからである。ヨハンセン・グループの動きが、戦後史の中に見えてこないのである。
 もう一つ、若手将校たちが入手したという「機微な情報」とは何か、ということである。たぶん、これは天皇とアメリカとの秘密交渉の情報らしいことは分かる。大井篤は続けて次のように書いている。

 天皇制の楽屋裏を知っているこれら中枢機関の将校には、こんな臆病風で一国の運命が左右されてなるものかと考えられたようであります。
 
当時の軍人たち、とくに軍の中枢にいる軍人たちは、私が今まで書いてきた天皇制の楽屋裏、すなわち「皇室の秘めごと」を知っていた、と思えてならない。特に、貞明皇太后の「秘めごと」を知るがゆえに、彼女に対する非難の声を彼ら将校はあげていたのであろう。
 この手記を残した大井篤は、国際検事局の査間宮となる。彼は多くの戦犯たちを尋問する。1950年4月17日、巣鴨拘禁所で、日系人の査問官・フランク・Y・ナカムラ(中村雄二)とともに木戸幸一からも聴取している。首題(ママ)は「終戦時の回想若干」である。その中から引用する。

問 原子爆弾の出現が皇族方を非常に怯えさせ、それが天皇を刺激した為、天皇があれから終戦の即時実現に熱心に動かされたのだと云ふ説があるが、之に対し貴下は如何に思ひますか。
木戸・答 それは全くの臆説です。第一原子爆弾攻撃のことに関して皇族方で陛下に何か話しにこられた方たちは一人もありません。勿論私のところにも、原子爆弾がこわいから戦争を早くやめてくれ、と言って来たものは皇族方からも知人からもなかった。
 大井篤は木戸幸一を誘導尋問し、見事に罠にかけることに成功している。木戸のもとに「皇族方からも知人からも」、ある要望があったことが分かるのである。続ける。

 陛下や私があの原子爆弾に依って得た感じは、待ちに待った終戦断行の好機を茲に与へられたと云ふのであった。
 
木戸幸一も天皇と同じく、数十万の人々が死傷したのに、悲しみの感情を持っていないのである。ただ、ただ、終戦に好都合だと語るのである。終戦に好都合なように、原爆投下を受け入れるべく、天皇と木戸とヨハンセン・グループは7月のあるときから、スティムソン陸軍大臣の手下のグルー国務次官と秘密のルートで動いたにちがいないのである。それが8月6日午前8時15分の広島の原爆投下となったのである。
 
私はそれを実証しようと思う。単なる偶然はありえない。偶然を装った必然の中で、終戦工作はなされたのである。

 ************ 


 ●広島にどうして原爆が落ちたのか  へ続く。

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