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『吾輩は天皇なり』
  第七章 「天皇ごっこ」の行方

 ●天皇制を支える顕業と密教

 
 天皇と言う存在は、近代のはじまりの時点から、時の権力者によって巧みに利用されてきた。
 天皇の問題を考えるとき、筆者の頭にまず最初に浮かぶのは、哲学者の久野収、が明らかにした天皇制の二面性だ。

 この国の支配者は、国民には天皇を絶対的な神として信仰させ、裏では天皇を、いわば自分たちのあやつり人形(パペット)として操ってきた。明治憲法はまさにその結晶で、「顕教」と「密教」という二つの顔をもっていると久野はいうのである。
 顕教とは、あからさまな、表にあらわれた、万人のための教えのことであり、久野の言葉でいえば、「天皇を無限の権威と権力を持つ絶対君主とみる解釈」のことをいう。
 戦前の一般国民が、日本人ならだれもが無条件にこの信仰をもたなければならないと教えこまれ、事実そのとおりに信仰してきたのは、この現人神天皇教とでもいうべき顕教にほかならない。
 顕教の教育は、学校・家庭・職場など、日本社会のあらゆる場所でおこなわれた。日本の支配下に組みこまれた戦前の朝鮮・台湾・満州も例外ではなかった。
 
 天皇家の神聖な血は、神代の昔から「万世一系」で連鎖してきたと顕教は教え、日本人は全員が天皇の赤子、大日本帝国は天皇を家長とする神聖な家父長国家だと刷り込むことで、全国民一丸の体制を築きあげてきた。
 けれども、日本を実際に動かした者たち―具体的には、明治維新を実現し、明治憲法など近代目本の骨組みをつくりあげた伊藤博文ら薩長閥を中核とする支配層は、顕教ではなく密教によって国を動かす仕組みを、巧妙につくりあげた。
 
 密教とはなにか。

 それは、ごく一部の支配層だけが知ることのできる秘密の教えのことであり、「天皇の権威と権力を憲法その他によって限定された立憲君主とみる解釈」のことをいう。
 密教の目的は、天皇が万能の絶対君主になることを防ぐことにあった。
 そこで薩長、とりわけ長州を軸とした明治政府は、国民に対しては天皇を絶対的な君主、生きている神として信仰させる一方で(=顕教)、自分たちは、天皇を裏からコントロールする仕組みをつくりあげた。それこそが、久野のいう「密教」なのである。
   

 ●操られる天皇 (*ベルツの日記等参照)

 明治憲法は、天皇が国政を総攬すると定めている。つまり、司法・行政・立法や軍の統帥などの一切は天皇が握っているということで、一見すると国家は天皇の意志ひとつでどうとでも動くような印象を、国民にあたえる。
 しかし、事実はそうではない。国政は、実際には内閣の「輔弼」なしには動かないし、軍についても陸軍参謀総長と海軍軍令部総長の「輔翼」なしには勤かない仕組みがつくられていた。
 つまり、国政も軍事も、実際には天皇ではなく、天皇と国民の間に立つ政府や軍部のトップが握る仕組みができあがっていたのであり、彼らは「密教」を駆使して、「もの言わぬ天皇」、ないしは「もの言えぬ天皇」を、つくりあげていたのである。
 
 現代史家の秦郁彦氏は、天皇の裁可や署名の「本質」は、明治・大正・昭和の三代にわたって「政府・軍部の決定に重みを加え、権威づける」ことだったとして、こう書いている。

 個人としての天皇がこの決定過程に介入しようとする試みがなかったわけではないが、ことごとく失敗した。期待に背く「玉」はいつでも取りかえるぞ、という無言の圧力が背景にあったからだ。                  (『昭和史の謎を追う』)

 明治・大正・昭和三代の天皇は、「密教」にもとづいて明治以降に新設された帝王学を叩きこまれ、明治・大正・昭和三代の国民は、「顕教」にもとづいて明治以降につくりあげられた現人神天皇信仰を叩きこまれた。
 天皇も国民も、操られているという点では変わりはない。このことから、この国のほんとうの支配者が見えてくる。顕密体制を駆使して天皇と国民の双方をコントロールしてきた者(官僚組織)-それこそが、事実上の支配者であり、その支配者の系譜は、今日まで連綿とつながってきているのである

 政治家や軍人らが天皇にかけてきた圧力の具体例を、前出の秦氏が挙げている。
 その一例に、第二章でも書いた南北朝正閏論争の際の明治天皇の裁可がある。
 このとき明治天皇は、自分が属する北朝ではなく、南朝を「正統」であると裁可した。そのため大然や寛道は、明治天皇の「えらさ」を絶賛してやまなかったのだが、この裁可は天皇の意志にもとづく「英断」というわけではなかった。その背景には、伊藤博文亡きあと長州閥の大ボスとして君臨した「元老・山県有朋の強圧」があったのである。
 
 ほかの例も引用しておこう

 日本海軍建設の父といかれた山本権兵衛(中略)は大正政変のさなかに松方正義へ「陛下の思召とはいえ、それは先帝の場合とは恐れながら異なるところあり。自分の所信にては、たとえ御沙汰なりとも国家のために不得策なりと信ずれば御沙汰に随わざる方却て忠誠なりと信ずる」と発言した。
 つまり山本は明治天皇ならともかく、大正天皇への忠誠心は持ち合わせがない、と述べ、桂がでっちあげた「勅命」には従わぬ、と示唆しているのである。

 別の例ではロソドソ軍縮条約の批准問題で、聖将とされ、かつて御学問所総裁でもあった東郷平八郎が、財部海相に「死をもって(天皇に)お諌め申しあげるべき問題だ(中略)聖上の誤りは臣下がこれを正す」と痛論した記録がある。
 
 こうした乱暴な勅命不服従の論理は、海軍の伝統でもあったが、終戦史では特攻戦法の創始者である大西軍令部次長が「天皇の手をねじりあげても抗戦すべし」と放言している。
 
 昭和天皇の反対を無視して関東軍が日中戦争を拡大していったことからもわかるように、同様の発想は陸軍にもあり、国体護持のためには。玉のすげ替も辞さないという思潮すらあった。その極端な例が、橋本大佐らが藤田勇と組んで実行しようとしたクーデター計画なのである。

 終戦という天皇の聖断を拒絶した陸軍将校も、少なからず存在した。なかには「終戦をすると仰せられる陛下にはご退位願い、皇太子を奉じて戦いを継続する」と叫んだ陸軍中佐もいたし、「天皇らしくない天皇は天皇の名に値しない」と言いきった少佐もいた。
 
 自分たちの意に添わない天皇は排除し、意に添う者を天皇に据えるという発想は、尊王を口にしながらたとえば孝明天皇の御所に向けて発砲した長州や、天皇を「玉」扱いした薩摩以来の伝統にほかならない。
 その伝統は、明治・大正・昭和の三代にわたって、”密教の管理者たち”により、脈々と継承されつづけたのである。


 ●熊沢天皇事件とは何だったのか

 もちろん、薩長閥は時代とともに変化しており、戦前と戦後をそのまま結びつけるのは暴論にすぎる。
 ただ、それでもなお天皇制に関する顕教と密教の顕密体制は、戦後も依然として保持されてきた。戦前から戦後の時期に政治を担った層がなによりこだわったのは、まさに天皇制の存続・国体の護持だったからである。
 
 この国の支配層にとっての国体とは、顕密体制のことにほかならない。
 象徴天皇という表現で、天皇制は巧みに護持された。これは、天皇のためだったのだろうか。筆者はそうとは思わない。それによってメリットを得、ないし得ようとしたのは、天皇その人ではなく、「天皇の藩屏」を自認する財閥・政官界・旧軍閥の要人らにほかならなかったことを、歴史、が実証しているからである。
 
 戦後、政府は米政府と協調のうえで、天皇を憲法の枠外に置いた。
 天皇神話についても、すべてが否定されたわけではない。「人間宣言」∩国運振興の詔書」)の時点から、天皇にまつわる神話の”キモ”ともいうべき部分は、大切に保存されていた。

 人間宣言は、まずGHQが起草し、幣原内閣ら日本側が天皇の意志を汲みつつ修正したうえで、昭和二十一年正月元旦に発表された。

 『昭和天皇』の著者ハーバート・ビックスも指摘しているとおり、この詔書で注目すべき点は、天皇が人間だということを認めた部分ではない。真に注目すべきは、「裕仁が天照大神の末裔であるとの考えを否定しなかったこと」、および戦後アメリカが日本にもちこもうとしている民主主義は、明治天皇の精神にはかならないとして、明治天皇の「五箇条の誓文」を詔書に挿入したことなのである。
 
 昭和天皇は、自分は天照大神の子孫だという考えを、一貫して抱いていた。
 ここから、宣言が執拗に食い下がりつづけた「万世一系」にまつわる北朝・足利天皇の問題が浮上してくる。

 昭和天皇も寛道も、天皇が天皇であるのは、万世一系の天照大神の血筋だからだと信じてきた。戦後の新憲法や『皇室典範』は、もちろん万世一系などというフィクションには一切ふれていないが、昭和天皇が天照大神の血筋であることを「否定しなかった」ことにより、この神話はいわば息をひそめるかたちで生き残り、いつかまた天皇の神聖性が焦点になったとき、神聖性の「しるし」として復活できるよう、大切に保管された。

 また、民主主義(より正確には民主主義と君主制が融和したかたちの一種の立憲君主制)は明治天皇の精神に含まれていたという昭和天皇の考えは、戦前と戦後を連続した一本の流れとしてつなぎあわせるはたらきをした。
 なるほど主権は国民のものとなり、戦前の国の仕組みは、すべてが変えられようとしている。しかしそれは、進駐軍という。黒船の力によって、明治天皇の五箇条の誓文の精神が改めて敷かれなおすことにほかならないのだから、戦後の革命的な変革は、実は明治天皇の志の実現と見ることもできる。五箇条の誓文の挿入には、そんな秘められた意図があった。
 
 そのことを、天皇は昭和五十二年の記者会見で打ち明けている。日本が民主主義を採用したのは、国民に主権があるからではなく、「明治大帝の思召し」だからだというのである。
 ここには、密教が依然として色濃く生き残っている。
 昭和天皇のこの考え方に立脚するなら、戦前と戦後は、けっして断絶したものではないということになる。つまり、かの有名な「人間宣言」は、表面的には戦前と戦後に一線を画す詔書ではあったが、同時に、ぎりぎりのところで戦前の顕密体制を守る詔書ともなっていたのである。
 熊沢天皇問題は、戦後も続くこの顕密体制を浮き彫りにした。

 当初、寛道が「味方」だと信じていたGHQは、海の向こうからやってきた新たな密教の創作者兼管理者にほかならなかった。そのGHQと手を組んだ日本の支配階級が、ほどなく戦前のように密教の管理を受け持つこととなったが、寛道は自分を呪縛しているその密教の管理人に対して、徒手空拳の戦いを挑みつづけた。
 その際、彼は顕教に呪縛されたままの頭で、戦いを継続した。寛道の悲劇は、まさにそこにあった。
 一方、熊沢信太郎一族は、戦後も隠然たる力を保持しつづけている密教の管理人に食いこむことで、実利をつかんだ。
 この強固な顕密体制を戦後の時点でしっかりと検証し、清算すべきものは清算すべきだったにもかかわらず、日本国民はそれをやらなかった。のみならず、アメリカの世界戦略にもとづく「天皇制民主主義」を甘受することで、顕密体制の亜種がこの国に定着する手助けをしたのである。
 
 前出の加藤教授がいっているように、天皇制民主主義は占領軍が押しつけたものではない。それはたしかに、国体護持を求める日本国民から「歓迎され、受容され、定着した」ものにはちがいなかった。

 しかしそれと同時に、天皇制民主主義は「太平洋戦争開戦直後から、米国によってイマジンされ練り上げられた『設計された共同体』であり、アメリカの国益と世界戦略に沿ってデザインされた共同体にほかならなかった。

 この天皇制民主主義のうちに戦後生まれの顕密体制の亜種が組みこまれ、密教の管理者のなかに、米国政府が加わった。この国の政権与党-彼らは強固な天皇制護持者でもあるーが、戦後一貫してアメリカの方向”のみ”を見て政治をおこなってきた本質的な理由は、ここにある。
 この状況は、いまも変わっていない。変わっていないどころか、反テロの名目のもと、ますます危険な領域に足を踏み入れようとしている。

 筆者は、熊沢寛道をドンキホーテと笑うことはできない。
 読者は、さきごろの『皇室典範』改正議論、女帝をめぐる議論の際、一部の学者や戦後民間に降下した旧皇族らから、「男系」という言葉とともに、「万世一系」という言葉が執拗に飛びだしていたことをご記憶だろう。
 
 敗戦と、その後につづく日教組主体の教育によって解体された天皇神話を再構築しようという動きが、近年、はっきりとめだってきている。
 もちろん、文化の営みとしてそれがおこなわれることには、筆者はなんら異論はない。ただ、そこに政治的な思惑がからむとなると(たとえば森喜朗元首相による幼稚な「神の国」発言など)、黙って見ているわけにはいかなくなる。天皇神話の政治的な意味での再構築は、そのまま国民の統制・管理へと結びついていくからである。
 
 顕密体制は、聞かれた皇室を欲しない。

 だからこそ、皇室の情報は「密教の管理人」によっていまも完全にコントロールされており、国民は検閲済みの皇室情報以外には接することができない。
 
 熊沢寛道による戯画的な行動と、現皇太子による驚天動地の宮内庁批判は、筆者にはそう隔たったものとは見えない。彼らの異議申し立ての先には、戦前からつづく顕密体制の分厚い壁が、でんと立ちはだかっているからである。

・・・第七章  完
 

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