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『吾輩は天皇なり』
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 第七章 天皇ごっこの行方

 ●脱税で告発された熊沢信彦

 寛道と照元は激しく対立していたが、南朝の皇裔だと信じていた点や、その証明に人生を賭けていた点では“同志”
だった。
 けれども、戦前、藤田勇らに担がれていた熊沢信太郎の子の乃武夫・信彦兄弟は、熊沢天皇としての大義を口にしつつも、本音の部分では、過去の穿繋などに興味はなかった。彼らの関心の中心は、「天皇」ブランドに弱い人々をうまくとりこみ、それを実利に結びつけることにあった。
 
 昭和四十一年の寛道の逝去後、しばらくマスコミから消えていた「熊沢天皇」の文字を、大々的に復活させたのは、この熊沢”宗家”であった。
 昭和四十七年十一月一日、東京国税局は「日本政経調査会理事長」を名のる熊沢信彦(当時五十二歳)を、十億七千余万円にのぼる所得税脱税の疑いで東京地検に告発した。
 信彦は愛知県津島市で貴船被服という会社を経営していたが、それとは別の”裏の仕事”
をもっていた。父・信太郎以来の政財界との太いパイプを利用した「会社ゴロ」(朝日新聞)、がそれである。
 
 脱税の手口を、朝日新聞はこう報じている(昭和国十七年十一月二日付)。
 
 ①「日本鋼管経営諮問委員会」の経費などの名目で、日本鋼管から得た四億余万円 の収入の大部分を幽霊政治団体である「日本政経調査会」の会費収入であるかのよう に偽装した

 ②日本鋼管所有地だった埼玉県熊谷市の旧熊谷飛行場跡地を売買して約六億五千万円の利益があったのに、倒産したいんちき会社を売買主にして利益をごまかした。

 要するに、日本鋼管という一流企業に食い込んで莫大な額の顧問料などを受け取り、日本鋼管の土地を転がして儲けた金を脱税したというのである。
 この事件は、まさに謎だらけだった。
 どう見てもいかがわしいはずの自称熊沢天皇・信彦に、日本鋼管はなぜ億単位もの金を提供していたのか。提供者だった前社長が前年、ガソで急死していたため、謎はいっそう深まった。

 さらに、信彦が実体のない幽霊政治団体を自在に駆使できた理由も不明だった。信彦の背後には政治家の影が見え隠れしており、東京地検は政治資金規正法での立件も視野に入れて捜査したが、結局、背景には迫りきれなかった。

 一方、週刊誌は、熊沢信彦天皇の華麗な私生活を暴くことに熱をあげた。信彦の生活は、まさに週刊誌ネタの宝庫だった。
 東京・目黒区に時価数億円といわれる豪邸をかまえ、ホテルニュージャパソ内に事務所をおく信彦は、つねに複数の愛人を囲い(最も多いときで八人といわれる)、運転手付きのリンカーンなど高級車三台を乗り回し、夜ごと銀座の一流クラブで豪遊していた。
 愛人はマンションや車を買い与えられ、信彦が理事長をつとめる日本政経調査会の職員の名目で給料までもらっていた。
 同調査会の代表者は信彦の妻の母、会計責任者は実娘がつとめ、息子や義弟も役員というように、調査会は一族が税金のかからない会を吸いあげるための、脱税の隠れ蓑にほかならなかった。

 しかし、そうしたことより、もっと驚くべきエピソードが出てきた。政財界と信彦との異様な結びつきである。
 

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