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『吾輩は天皇なり』
●天皇ごっこ開幕

  はっきりした日付は、川合自身も忘れたのだろう。
 ただ、昭和十年の晩秋十一月のこととしか、わかっていない。
 その某日、熊沢信太郎天皇を迎えるために、藤田はモーニング姿に威儀を正し、裾模様紋服の妻をしたがえて玄関にひかえた。
 玄関前は塵ひとつ残さず掃き清められ、玄関から二階の十二畳間までの廊下には、信太郎のために用意されたまっ白な布の道が敷かれている。
 やがて、東京・渋谷道玄坂上に住む天皇を迎えにいっていた二台の粗末な自動車が、天皇とそのお付きを乗せて杉並区松ノ木町の藤田邸の玄関前に停まり、まず紋服姿の目黒・金仙閣の女将・福島慶子が車から降りて、うやうやしい調子で信太郎の手をとった。
 福島は「坊主の大谷光演、イタリー屋の下位春吉、海賊の江連(えづれ)カー郎、清水粗、大林組等土建業界の大ボス」といった「政界や事業界のチミモウリョウを手玉にとっていた」女傑で、奈良原男爵の末亡人とも、樺山資英将軍の落胤とも称していた。もう四十を越えているが、二十七、八歳にしか見えない美貌の持ち主だという。
 この女将に手を引かれて信太郎が降りたあと、後ろの車から、医者の近藤博士と「天皇の秘書格」の天野弁護士(おそらく辰夫)の二人のお付きが降りた。本来なら必ずいなければならないはずの東京在住の吉田長蔵の姿がないということは、この時点で吉田は、すでに信太郎の素性―大工伝蔵の末裔―を知っており、信太郎から離れて寛道のもとに走っていた、ということにちがいない

 信太郎ら四人は粛々と歩を進め、二階の十二畳の間に入った。
 そのあとを藤田夫妻、秘書の上野老人、浪人の川合がつづき、信太郎の着座を待って、一同も席についた。
 一見五十二、三歳の信太郎は、大島の着物に仙台平の袴、菊の紋章入りの無地紬の羽織といったいでたちで、角味を帯びた浅黒い顔をしている。「金ぶち眼鏡を掛け、閑院宮に似た髭を鼻の左右にはね上げている」というから、寛道より見てくれはだいぶよさそうだ。

 藤田は信太郎天皇の前まで膝行し、深々と拝礼して挨拶した。

「この茅屋に至尊の行幸を仰ぎ、親しく竜顔を拝しましたることは、臣藤田を始め草莽の微臣一同、恐懼感激に耐えない次第であります。一同に代り藤田より厚く御礼申し上げます」
 
藤田の挨拶に軽く会釈で応えた信太郎は、一同を見渡してこう言った。
 
「世をあげて逆賊尊氏擁立の北朝天子に虐政を受けること実に六百年の長きに及びました。その間、天孫正統の血は、恨みを呑んで地に伏しておりましたが、妖雲ここに晴れて、ふたたび天日を仰ぐ日を迎えることができました。天に二日なく国に二人の主はありません。暗雲深く天地を覆っている末世に、一人御先祖様の遺詔を守っているこの熊沢のために、皆々の今日こうして巣まってくれたことを心から感謝します。楠公は七生計賊を期して死にました。今よりは皆々を大楠公とも思い、小楠公とも思います。定めし御先組様も御喜びのことと思います・・」

 ここまで語ると、信太郎は声を曇らせ、眼鏡の涙をぬぐった。
  一同は思わず拳を握りしめ、心のなかで「お痛わしや、一天万乗の御身を以て」と思い、「必ず必ず御無念のほどお晴し申上げます」と誓った-というのだが、名の知れたこわもてたちがズラリと雁首をそろえて“天皇ごっコというのだから、喜劇をとおりこして、筆者にはホラー映画のIシーンのように見えてくる。これが戦前の昭和という時代の、秘められた”もうひとつの顔〃なのである。
 その後、一同は連判状に署名捺印して天皇への忠誠を誓い、信太郎から天盃を賜って、酒宴に移った。
 このとき信太郎が、読んでおくようにと一同に告げた本がある。例の『富士宮下文書』をもとにまとめられた三輪義煕の『長慶天皇紀略』がそれであった。
 
●狂気の妄想に憑かれた軍人たち

 冗談だろうと思われた読者もいるだろう。
 しかし、これは冗談ではない。熊沢信太郎を昭和天皇に替わる天皇として擁立し、クーデターを起こすという狂気の計画は、たしかに存在した。
 しかも、妄想にとりつかれていたのは藤田だけではない。藤田の背後には、革命の実動体である軍部の一部がついていた。

このとき、藤田と手をつないでいた軍人がだれなのかは、わかっていない。ただ、陸軍大将の荒木貞夫が、「キタラザルヲタノムコトナク、マツアルヲタノムベシ」という孫子の一節を片仮名で記した葉書を、藤田に送っている。
 荒木は、十月事件の際、橋本中佐や藤田らが革命政権の首相にと考えていた皇道派のシンボルだ。その荒木からの葉書を川合に示しながら、藤田はこう語ったという。
 「荒木大将が味方だ。熊沢天皇擁立の味方だ! 百人力だよ。荒木閣下と三井とは姻戚関係にある。軍用金にいよいよ事欠かなくなる」
 
しかし川合は、この葉書を見せられたときの感想を、こう記している。

 私はそのとき思った。荒木というやつは狡いやつだ。最悪の事態には馬を牛に乗り換えるつもりでいるな。しかも、読みようによっては、どうにでも意味のとれるこんな文句を書いて相手を喜ばせ、いざというときにはそんなつもりの文句ではないと逃げをうてるだけの用意周到な構えである。荒木こそ建武以前の足利尊氏であるのかもしれない。(中略)しかし、そんなことは私にとって大した問題ではない。大事なことは権力を持つものが、このような魑魅魍魎を利用してまでも私利のために大バクチを打っていることだ。

 まさしく、魑魅魍魎であった。
 自称天皇の騙り者、その天皇に殊勝な態度でかしずく海千山千の女将、尊王と国家主義で凝り固まった「秘書格」の弁護士、政界の裏で暗躍し、麻薬商売にも手を染めているフィクサーにしてクーデターのスポンサー、神憑りの軍人たち・・・。
 この狂気の顔ぶれが、革命の根拠としたのが『富士宮下文書』の後南朝関係文書や三輪義烈の『長慶天皇紀略』であり、南朝天皇による皇位継承の正当性を証すものとして引っぱりだそうとしたのが、竹内巨麿の三種の神器なのである。
 茨城県磯原町の竹内の神社(皇祖皇太神宮)に参拝した高級軍人名や著名人を、巨麿のあとを継いだ息子の竹内親方が『デハ話ソウ』のなかで列挙しているが、そのなかには荒木貞夫の名も見える。
 ほかに、この章の冒頭で貧道の上奏に賛同して署名した軍人らのうちの真崎甚三郎、秦真次、有馬良橘らが訪れており、山本権兵衛、寺内正毅、松井石根、東条英機、山下奉文らそうそうたる軍人らも参拝している。


 もちろん、彼らのすべてが竹内の怪しい神宝や。超古代文献の信奉者だったわけではない。けれども、たとえば極端な敬神尊王家として知られた奉真次などは、巨麿が当局に逮捕される前年の昭和十年十二月、天津教の宝物を警察の手から守るために、それらをわざわざ靖国神社の遊就館に移すことまでやっている。
 秦は真崎人三郎の腹心であり、、真崎は荒木とともに昭和維新を夢見る皇道派のシンボルの地位にあった。これら軍人の一部が、右に見てきた熊沢天皇や『富士宮下文書』、天津教、出口王仁三郎の大本教、神憑りの右翼勢力などと結びつき、「昭和維新」という革命を妄想したところに、ぬきさしならない時代の狂気があった。

 しかもこうした狂気を、正面きって批判できる者は存在しなかった。なぜならこの時代、政府と軍部そのものが、天皇は天照大神の直系であり、高天原から降臨した際、全世界の統治権を授かってきたとする神話を絶対の真実とする、より大きな狂気の運動体と化していたからである。

天皇を天照大神の直系とし、万世一系の現人神として信仰することと、『富士宮下文書』や『竹内文献』を真実の超古代文献として信仰することの間に差はない。
 後者が荒唐無稽だというなら、前者もひとしく荒唐無稽であり、後者が狂気だというのなら、前者もまた狂気なのである

 両者のちがいは、結局のところ、国家がどちらを自分たちの神話として公認するかにかかっている。非公認となった側は弾圧・排除されるのであり、その排除の側に、「熊沢天皇」という神話は立っていた。
 ただし、「熊沢天皇」という神話は、使いようによっては十分国家公認の神話に太刀打ちできると藤田は気づき、それを利用しようとした。熊沢信太郎や、その周辺の一僻も二癖もありそうな連中も、その点ではまったく同じであったろう。
 上様とかしずく者も、大楠公や小楠公にかしずかれる者も、要はキツネとタヌキの化かし合いをやっているのであり、その化かし合いをしている両者が共同戦線を張って対抗しようとしていた相手というのが、国家公認の神話によって地位を保証されている「天皇」とその藩屏だったのである。
    

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