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『吾輩は天皇なり』
 ●アヘン密輸で巨利を得る

 満州事変の劇的な成功に意を強くした橋本らは、日本国内のクーデターも一気になしとげようと動いた。満州事変の翌月に計画され、露見して未遂に終わった十月事件がそれである。
 橋本ら陸軍内の急進派、および彼らと連携閣係にあった右翼勢力の大川周明や北一輝門下の西田税らは、首相以下の閣僚を斬殺し、警視庁・陸軍省・参謀本部を制圧して、荒木貞夫を首班とする軍事政権を一気に樹立するという計画をたて、クーデターに要する資金の提供を藤田に求めた。

 このときも藤田は応諾し、巨額の資金を提供した。
 満州事変とこの十月事件のために藤田が提供した金は、合計で六十三万円にものぼるという。当時の教員の初任給五十円の一万二千六百倍だが、この倍率を東京都の公立学校教師(小・中・高校)の初任給約二十三万六千五百円(平成十九年度)にかけていまの物価に換算すると、二十九億七千九百九十万円になる。実に三十億円前後もの巨額の資金を、藤田は橋本らにポンと提供したことになるのである。
 
 この資金を、藤田は自分の邸宅を抵当に借りた三十万円と手持ちの資金でまかなったというが、問題はその手持ち分の出どころだ。
 藤田は大正十二年におこなわれた東京市長の後藤新平とロシア代表のヨッフェによる日露交渉のセッティングをおこない、その功績を認められてロシア政府から国賓待遇をうけ、功労章とロマノフ王朝所有だった巨大なダイヤモンドを贈られた。
 しかもこのとき、ウラジオストクで拿捕されていた高田商会の「麻薬密輸船」を釈放するようロシア政府に働きかけ、成功させた謝礼として、高回商会から二十万円を受けとった。これが満州事変と十月事件で提供した資金の原資だというのである。『橋本大佐の手記』中野雅夫編・解説)。
 藤田と麻薬の関係は、その後もつづく。それはまた、満州国史や日中軍閥史、関東軍史、三井物産史などの裏面史の一部でもある。
 
 少し横道にそれるが、ここで当時のアヘン事情について簡単にふれておきたい。
 ジャーナリストの佐野眞一氏が労作『阿片王』で暴きだしたように、日本の軍部を日中戦争に踏みきらせた「心理的理由の一つ」は、張作霖や馮玉祥ら中国の軍閥たちが独占していた「アヘン利権を武力で収奪すること」にあった。
 関東軍は、アヘン戦争でアヘンの独占販売権を握り、巨万の富をつかんだイギリスのジャーディン・マセソン商会やサッスーン商会にとってかわることをもくろみ、事実それを実現した。アヘン専売による収益は、建国当初の満州帝国の国家予算の十五パーセントをカバーして国家経営の「基礎的資金」となっただけでなく、「特務機関や憲兵隊の豊富な謀略資金ともなった」のである。
 
 満州国建国後、関東軍が日本政府の意向を無視して戦線を拡大していった理由のひとつも、アヘンだった。

 昭和八年、関東軍は熱河省に侵攻して同省を満州国に併呑するとともに、熱河省唯一の財源とされるケシ畑やアヘン・ヘロインエ場を入手した。さらに昭和十年には、参謀長・東條英機中将の指揮のもと、熱河の西隣にあたる内蒙古の察恰爾・綏遠地区に侵攻した。
 侵攻の表向きの理由は、第二満州国ともいうべき「蒙彊政府」の樹立だが、陸軍にはもうひとつの重要な狙いがあった。乏しくなりつつあった関東軍の財源を確保すべく、アヘンの一大産地であるこれらの地区の支配に乗り出したというのである(佐野前掲書)。
 
 藤田勇は、軍部によるアヘンエ作に深く関与していたらしい。その最大のものが、イランからのアヘンの密輸だ。
 昭和十二年、藤田は「陸軍省」の依頼を受け、「戦費調達のために」二十万ポンドのアヘンをイランから密輸したと、藤田と昵懇だった徳川義親が証言している(『最後の殿様 徳川義親自伝』)。
 当初、陸軍省は、二百万円の成功報酬を藤田に約束した。けれども密輸成功後に変心し、結局二十万円に値切ったというのだが、前出の佐野氏は、このときイランからのアヘン密輸を仕切ったのは、「多いときには航空母艦一隻分の建造費にも匹敵するアヘン取引」をおこない、大陸の裏社会で「阿片王」の名をほしいままにした里見甫(はじめ)だとして、極東国際軍事裁判における藤田の宣誓書を証拠にあげている。
 
 その宣誓書によれば、藤田はたしかに陸軍省からの依頼を受けて、三井物産に二十万ポンドのアヘンを注文してはいるが、密輸されたアヘンをさばいたのは別人(里見)であり、藤田自身は一切タッチしていない。「里見の登場によって、藤田はアヘンビジネスの世界から外された」というのである。
 とはいえ、満州事変後の藤田には、国内で。事を起こすにたるだけの、十分な資金があったとみてまちがいない。
 昭和八年の満州帝国建国後、彼は「満州国顧問」という、使い方によっては打出の小槌となるにちがいない肩書を手に入れた。また、彼が満州事変のために橋本を介して提供した工作資金は、「のちに河本大作があっせんして百万円、朝鮮銀行大阪支店を通じて関東軍が返却」していたというからである(中野前掲書)。
 
 前ふりが長くなった。これでわれわれは、ようやく熊沢天皇にもどることができる。

 ***************
 

   ●昭和維新の「隠し玉」とは  へ続く。

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