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年末の二冊。
                 今日の二冊 2007.12.24_1
 

 一冊目はそのタイトルからうける印象とは違い、かなりの力作。

 ★①:『吾輩は天皇なりー熊沢天皇事件』 藤巻一保 学研新書 2007.9.14

先ず、まえがきを紹介しておきます。

 ●はじめに

 過激な天皇批判で知られた戦後生まれの雑誌に、『真相』がある。
 敗戦で言論の自由が保障されたとき、同誌の編集者は「天皇制に対する積年のウップンをはらすために、『天皇評論』とでも名付ける月刊雑誌を出そう」と計画し、それ、が『真相』になった。
 その『真相』が、昭和二十一年から始まった天皇の全国巡幸を風刺して、「天皇はホウキだ」と書いた。巡幸予定の地方自治体が、天皇を失礼のないようお迎えすべく行幸路を清掃し、施設などの整備を最優先でおこなったからである。

昭和二十一年といえば、どこも戦災の爪痕が生々しく残っていたが、天皇の行く先々は、まるでそこだけが真新しいホウキ目のように、きれいに掃き清められた。そこで『真相』の「天皇ホウキ論」となったわけだが、この風刺に憤激した人々が、さっそく不敬の極みだ、告訴だとかみついた。
 
これに対し、作家の坂口安吾は「やっぱり天皇はホウキである」と題するエッセイを書いて、『真相』を擁護した。その文章のなかで、坂口は当時絶大な人気を誇った女優の田中絹代と昭和天皇を並べて、こう書いている。
 田中絹代嬢の人気は、まだしも健全なる人気である。実質が批判にたえて、万人の好悪の批判の後にきた人気だからだ。
 天皇の人気には、批判がない。一種の宗教、狂言的な人気であり、そのあり方は邪教の教祖と信徒との結びつきのあり方とまったくおなじ性質のものなのである。
                  (『真相』昭和二十三年十月号)

いまのわれわれには意外に思われるが、敗戦直後からしばらくの間、日本には「天皇ブーム」という、奇妙な現象が発生した。天皇に対する厳しい批判や過激な弾劾が声高に叫ばれる一方で、「狂信的な人気」の高まりが、各地で起こったのである。
 坂口はそれを「ただ単に時代自身の過失が生んだ人気であって、日本は負けた、日本はなくなった、自分もなくなった、今までのものを失ったその口惜しさのヤケクソの反動みたいなもので、オレは失っていないぞといって、天皇をカンバンにして虚勢をはり、あるいは敗北の天皇に同情したつもりになってヒイキにしているその程度のもの」と分析した。それまでの自分たちを支え、支配してきた心の大黒柱が倒れ、一種のエアポケットに陥った国民が、「ヤケクソの反動」で古い価値観にしがみついたところにおきた異常人気-坂口はそうとらえたのである。
 
ところで、この天皇の異常人気の“ネガ像”ともいうべき現象が、並行しておこっている。神聖かつ絶対であるべきミカドの帝国が戦争に敗れ、未曾有の国難に陥ることになったのは、偽物ないしは非正統の天皇家が皇位についているからだとして、いおば皇家のリセットを要求する「自称天皇」が、昭和二十年代に、陸続とあらわれたのである。

彼らは、ホンモノの天皇が復権すれば日本は再生すると訴えた。この自称天皇のさきがけとして登場し、たちまち時代の寵児となったのが、名古屋のしがない一雑貨商、熊沢天皇こと熊沢寛道なのである。
 
熊沢寛道の生涯をきちんと追った論評・評伝の類は、いまのところ皆無といっていい。誤伝やからかい半分の論評が広く流布し、戦後のアダ花、天皇妄想にとり憑かれた気の毒なピエロといったポジションが寛道の定位置となっているが、それらは到底まっとうな評価とはいいがたい。
 
熊沢寛道という存在のもつ意味は、はるかに重く、一見滑稽に見える寛道の後南朝復権運動に内包される問題も、けっして過去のものではない。
 熊沢寛道とは何者か。
 どんな一生を送り、いかなる問題を提起して逝ったのか。
 小著の狙いは、曖昧なままに放置されてきたこれらの疑問を明らかにすることにある。
 *************
 

 二冊目は、★②:『私はこう考えるのだが』 鈴木孝夫 人文書館 2007.12.10

これも、冒頭の部分から。
 ************

 第一部 言葉と社会一言語力を取り戻す
 一 美しい日本語を作るために
 ・・・
 ラジオやテレビには、それこそ美しくない、汚いことば、ぞっとする言葉遣い、いやな感じを与える偽善的で妙に優しい表現などが溢れているからである。
 言うまでもなく、美しい日本語とはこれだぞと具体例を示すことは大切だが、同時に日本語を本当に美しくするためには、こんな言葉や表現は汚らしいから使うな、使う人の低劣な品性、いやらしい性格がまるだしですよと、遠慮せずに指摘し非難することを、ためらってはならないと私は考えているからである。
 もともと自分で碌にものを考えない人が多い日本では、ラジオで聞いた、テレビで使っているというだけで批判も反省もせずに、ただ恰好がいいと思って自分も使い出すという、ことばの共振現象が著しい。

 ●失われた言葉の躾
                             
 考えてみると戦後の日本では、家庭でのことばの躾が全く失われ、学校ではものを知らぬ子供におもねり迎合ばかりして、日本語の伝統美や正しい規範を無視し、その上、社会の規範そのものを教え込むことまで放棄しているのが現状である。
 こんなわけで、これは良くない、これは間違っていると、子供より少しはものを知っている筈の大人たちが、今のように教えることをためらい怠っていては、日本語は益々ひどくなっていくばかりだと思う。
 さて前口上はこの位に留めて、これから少なくとも私は美しくない言葉遣いだ、汚い日本語だと思う実例を、思いつくままに挙げてみることにしたい。

 大学を停年退職して以来、私は昼食を家で家内と一緒にとることが多くなったため、それまで余り見たことのない昼間のテレビを見る機会が増えた。そして今更のようにテレビ関係者の日本語が、余りにも下品で汚いことに驚くことになったのである。
 一例を挙げると、「おもいッきりテレビ」という題の番組が日本テレビで毎日昼食時に放映されている。これは何でも長期にわたって高い視聴率を誇っている人気番組だという。
 ところがその司会者(*みのもんた)の話し方、表現は、これで下品、嫌らしさ、下らなさの標本と言ってもよいほど、不愉快きわまる日本語に終始しているのだ。
 この男はスタジオに集まっている婦人たちに話しかけるときに、しばしばどう見ても若くない、いやかなり年配の女性に対して、何と「そこのお嬢さん」と臆面もなく呼びかけるのである。
 これが漫才のギャグならいい。また私たちでも皮肉や軽蔑の気持ちを表わすときは、ひょっとしたら使うことがあるかも知れない。だがこのように公の場で、面白がらせるつもりかも知れないが、年とった女性をお嬢さんと称することは、相手を侮辱することに他ならないと私は思うのだが。
 
 そしてもっと悪いことは、このような司会者の非礼きわまる言葉遣いに対し、居並ぶ女性たちは不快感を示すどころか、面白がっている様子なのである。まさにこの司会者にしてこの聴衆ありである。

 ●狡猾な言い替え

 しかもこの男は、番組の途中しばしば挿入されるコマーシャルのことを、何と必ず「お知らせ」と言うのである。司会者の相手役の女性はコマーシャルと正しく言うところを見ると、これは別に放送局の方針というわけではないらしいのがせめてもの救いである。
 放送における「お知らせ」とは、まさに放送する側か視聴者に何かの事務的な情報を知らせること、例えば番組の予告であるとか、局からのお願いなどに用いられる用語であって、番組を金銭的に支えている企業の宣伝は、どうあっても「お知らせ」ではあり得ない。それはまさにコマーシャルそのものである。一体どうしてこの男は「コマーシャル」を「お知らせ」などと言い替えることを考えついたのだろうか。

 この司会者に限らず一般に日本のテレビなどでは、話題が戦争中の軍部の言葉遣いに及ぶと、きまって狡猾な軍報道関係者たちが、日本軍が戦いに敗けて退却したことを「転進」と呼び替え、不運にも「全滅」した場合は、それを「玉砕」と美称して、日本軍の陥っている不利な戦況を、国民の目から覆い隠そうとしたことを、国民を裏切る愚かな行為として嗤うのが常である。
 だがいかにも金の匂が前面に出る「コマーシャル」という用語を、無色透明な「お知らせ」と言い替える魂胆こそ、まさに全滅を玉砕と称することで、自分たちにとって都合の悪い真実を胡麻化そうとする卑劣な行為と、その精神において少しも変わらないと私は思うのだが。そして困ったことに、この巧妙な表現はいま他局の番組、例えば毎日曜の朝に放映される「報道2001」などにも拡がり始めている。

 私は不適当な表現を監視する役目をもったテレビ用語委員会などは、真っ先にこのような、人々が気付かないうちに正しい日本語を歪め、巧みに破壊する悪質な言葉遣いこそ、直ちに禁止すべきだと考えるが、いかがなものだろうか。

 ●曖昧な表現に置き換える
 
 テレビと並んで、人々の言語生活を左右する力を持つ新聞にも、いろいろと問題がある。ここでも事実を正しく伝えず、何かに遠慮して、極力悪い印象を弱めようとする、不必要なまでの思いやり、かばい合いの風潮が強く見られる。一時しょうけつをきわめた差別用語追放の偽善的な大波は、どうやら収まったようだが、未だに厳しい現実から目をそむけたいという戦後特有の柔な心理は、正しい言語表現を着実に蝕んでいる。

 一例を挙げると、「脱税」という表現がいつの間にか、「申告洩れ」などという変にあいまいなことばに、可能な限り置き替えられていることに気付かれた方があるだろうか。
 税金というものは太古の昔から、人間が集団で暮す以上どうしても避けることのできない社会制度の一つである。確かに税金が無ければそれだけ儲けが増えるわけだから、単純に考える人は税金など無い方がよいと言うかも知れない。
 しかし私たちが毎日通る道も、川を渡る橋も、また子弟を教育する学校、傷病時に頼らざるを得ない病院など、個人では造ることも維特することも出来ない公共施設なのだから、税金に頼らざるを得ない。もちろん悪税や不公平は困るが、税金そのものは社会生活を営む以上、止むを得ないものなのである。だからこそ戦前の日本では税金を納めることは国民の大切な義務とされ、税金を国に沢山納めた人は、男爵という華族に列せられたのである。
 この社会運営上、必要欠くべからざる税金を、巧みに悪知恵を廻して免れようとする者、つまり脱税者は、他の人々にその分だけ余計な税金を払わせることになるという意味で、他人の金品を盗む泥棒と何ら変わることのない悪人なわけだ。

 そのような反社会的行為である脱税を、なぜ申告洩れなどという責任の主体をぼかす、あいまいな響きをもつ“優しい”表現で表わそうとするのか、殊に“悪質な申告洩れ”となれば、まさに脱税そのものではないかと私は思うのだが。
 ・・・中略・・・

●美しい日本語とは何か

 さて簡単に結論を述べさせて頂こう。
 私の考えでは、日本語を美しいことばにするためには、汚いことば、いやらしい表現、訳の分らない言い方などを追放しなければならない。誤解のないように申し上げるが、事実本当に汚いものを表現する汚いことばは必要であり、いやらしい行為や事柄を表わすためには、いやらしい表現がなくては困るのである。
 私か汚いとかいやらしいと言うのは、表現される対象と表現との間に、何かの汚らしい見方とかいやらしい品性に発する不純なものが介在する場合を指すのてあり、前に挙げた例で言うならば、明らかに年寄りである婦人を「お嬢さん」と呼ぶような表現行為は「いやらしい」ということである。

 またちょっと考えれば小学生にでも分る、たとえば「全国民が注視している、手に汗を握っている」などという、何気なく多くの人が公に使う表現は、つまるところ自分以外の考えや好みを他人がもつことを許さないという、大変に危険な全体主義的発想につながる、正しい事実認識に基づかない不用意な発言なのだ。だから美しい日本語とは言えないのである。

 日本の進歩的政党がよく使う「多数の暴力」という表現も、そもそも民主主義は多数意見を物事の当否を決める根拠としているという大前提を否定する暴言なのである。だから現在の日本は、大切なことが何一つ政治の場で決められず、崩壊の一途を辿っているのも当然なのだ。

 美しい日本語は、話をする人、文章を書く人の心が美しくなくては生まれてこない。整形し厚化粧で飾りたてた女性よりも、一生懸命額に汗して働いている女性が美しく見えるのも、美しさとは、その裏に正しく生きようとする努力、溢れる活力、秘めた情熱、そして強い信念などがあって、初めて表に出てくるものだからである。

 そして深く考えもせず、固い信念もないくせに、ただその時々の“空気”に迎合して、したり顔で月並みなことばを並べる人々、権威を否定しながら実はその権威にひそかな憧れを抱くさもしい人々、このような人の口から出る意見や主張は、なんとも軽薄であり、うす汚れていて、およそ美しい日本語とはほど遠いものと私は考えている。                                    (二〇〇二年)
 
*************
 
 
 続いて①から紹介していきます。

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