カウンター 読書日記 東大全共闘1968ー1969
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東大全共闘1968ー1969
                        東大全共闘1968~1969_1


                          『東大全共闘1968-1969』 
                     ★渡辺眸   寄稿・山本義隆
                     新潮社   2007.10.20 


 
 ●『東大全共闘1968-1969』という東大闘争他の記録写真集を見て(読んで)、

 現代の閉塞状況の因のひとつが見えたような気がした。

 「懐かしい顔と風景、時代」の懐古にのみ終わっては何の意味も無い。

 その因のひとつは、「解放(開放)空間」と名付けられるものから、我々が追放されて

 久しいという厳然たる「ただ今の現実」である。

 解放=開放空間の破壊、それからの追放は何をもたらすのか?

 本来、共に考え、闘うべき我々が分断されているという「現実」をもたらす。

 「分断=支配」、古来言い古されてきた支配の論理がまかり通る、という現実を。

 しかし、いま、解放=開放空間の建設はどのように、可能なのだろうか。

 以下、巻末の山本義隆・「特別寄稿」を紹介します。

 **************
   
   
 ●闘争を記憶し記録するということ

 渡辺眸『東大全共闘1968-1969』によせて
 
 山本義隆。元・東大全共闘代表、予備校講師、科学史研究家
 

 
 ●写真学校を出て間もない渡辺眸さんが、カメラひとつ抱えて安田講堂のバリケードにやってきたのは、1968年の初秋であった。駒場の教養学部はすでに無期限ストライキにはいっていたが、本郷の各学部が学生大会でつぎつぎにストライキを決議していった時期である。以来、彼女は東大に日参し、やがて安田講堂のバリケード内に泊まりこみ、集会やデモもふくめて私たち東大全共闘と行動をともにし、東大闘争を撮り続けた。
 
 最初、「眸」という名前を聞いたときカメラマンとしてのペン・ネームかと思ったが、本名だというので、出来すぎという印象をもったことを覚えている。しかし彼女は、もともとカメラマン志望というわけではなく、一時期、会社勤めをしたのち、写真学校に行ったということだ(「カメラウーマン」という言葉を聞かないので「カメラマン」で通すことにしよう)。
 
 ともあれ、彼女は東大全共闘の闘争を長期にわたって内部から撮影した唯一のカメラマンであった。69年以降、いくつかの雑誌のグラビアや著書に使用された東大闘争の写真の大部分は、彼女の撮ったものである。そのなかには、のちに東大闘争の写真といえばかならず思い起こされるようになった、有名な何枚かの写真もある。「連帯を求めて孤立を恐れず、力及ばずして作れることを辞さないが、力を尽さずして挫けることを拒否する」という安田講堂内にあった達筆の堂々たる落書きが広く知られるようになったのも、彼女の写真からであった。

 銀杏並木や安田講堂前に掲げられ、大きな印象と衝撃を与えながらも書き残されることのなかったタテカン(立て看板)の写真もある。モノクロで撮られたそれらの写真の一枚一枚は、寒さの季節にむかうなかで大学当局との対抗関係が煮詰まり、また私たちに敵対して本格的に武装介入をはじめた日本共産党・民青との緊張が高まっていた時期のものであるが、そこに写し撮られたバリケード空間の情景は解放感とともになぜか落ち着きを感じさせるものが多い。
 
 その眸さんから、何十年ぶりかで連絡があり、当時のフィルムが百本以上あり、本にしたいと言って来た。彼女がどんなフィルムを使用していたのか知らないが、36枚撮りとすれば実に3600枚以上であり、正直、これはすごいと思う。顔がはっきり映っているので当時は出せなかったような写真も少なくない。できるならば丸ごとCDにでも落とせば、大変な記録になるという気もするが、プロのカメラマンとしてはそうもゆかないだろう。やはり、彼女が自分で納得できる絵だけを選び出して編集することになるだろうけれども、ぜひとも多くの写真を収録し、きちんとした本にして遺してもらいたいと思い、できるかぎりのお手伝いをしようということになった。といっても、企画や出版社との交渉は、結局は彼女が自分一人でやったのであり、私はこの文章を書いているにすぎない。頼りにならん奴だと思われたかもしれない。
   (続) 


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