カウンター 読書日記 「あとがき」ふたつ。 高橋哲雄。
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「あとがき」ふたつ。 高橋哲雄。
                  高橋哲雄_1


 ★最後に、『東西食卓異聞』の「あとがき」(*2007.1.21付)から。

●・・・この本は大阪商業大学の比較地域研究所のニューズレター(milePost誌)に、1997 年の創刊以来「味官品騭」(みかんひんしつ)のタイトルで連載してきた食をめぐるエッセイをまとめたものである。そのさい一部の章は大幅に手を入れ、またあらたに五篇を書き加えた。

・・・私は阪神間の甲南大学という私立学校に長年職を奉じてきたのであるが、ヽ阪神大震災の翌年、六十四歳のとき大学院をつくってくれないかというお誘いがあって、大阪を挟んで反対側の東大阪市にある前記の大学に移った。

 東大阪市というのは、町工場の数で東京の大田区と日本一を争い、外国人比率(多くは韓国系)も日本一という町だから、たいていの人は騒音と塵埃にまみれた、文化果つるところと思い込んでいて、友人たちも、阪神間のグルメ・ゾーン育ちの食いしん坊の私には受難のときが訪れたと同情してくれたものだ。
 私は、しかし、そうだろうかと疑問をもっていた。中小零細企業が当時この町に約一万社あったのだが、それは社長が一万人いるということであり、彼らのすべてが東大阪に住んでいるわけではないが、少なくとも昼飯は社の近くで食べるだろう。簡単な接待の必要もあろう。社長の全部が食道楽であるとは、もちろん思わないけれど、彼らを味音痴ときめてかかるのもおかしい。少なくとも安サラリーマンや学生よりは小遣いに困っていないだろう。また外国人が多いことは食の選択肢の多様さを担保してくれるかもしれない。といったふうに考えると、食い物屋の水準は、前任校のある神戸の岡本界隈よりはかなりましであっておかしくない。岡本はファッショナブルな高級住宅地のイメージがつよいが、学生や若い人が多いので、意外にこれはという店にめぐまれていないのだ。そこへいくと東大阪は、お洒落な店はともかく、実質的な旨い店がそこここにあって当然ではないか、というのが私の予想だった。

 というわけで、私は着任とともに地図と自転車を買い、昼食時の行動半径を広げて、美味探究に乗り出した。「発見マップ」なるものをつくって新設の大学院オフィスの壁に貼り、毎週の「成果」を公にし、人の顔を見ると書き込みを依頼して有志の寄せる情報にも期待した。もちろん、まっさきに市役所で店のリストをもらい、商工会議所でも話を間いた。
 探索は予想以上にうまく行き、かなりの教のいい店を発掘することができた。私のランチタイムは甲南時代よりずっと充実したものになった。ただ、そのほとんどは足で稼いだもの、つまりは店構えやメニューを実際に見ての飛び込みの成果である。教職員や住民からの情報は、少数の例外を除き、役立たなかった。人の思い込みは恐ろしいもので、この町に旨い食べ物証があるはずはないと信じている人が実に多いのである。そのうえ、人には定まった行動ルートがあって、おどろくほどそこからはみだすことをしない。・・・

 そしてここ一両年の私の関心はさらに私的な領域に収斂して、食をとおしての自己の過去の掘り返しに向かった。「比較」とか「外国」とかいっても、私の知っているのはヨーロッパにほぼ限られるけれど、そのいくつかの都市や地域とは、食についても、浅からぬ馴染みを重ねてきた。ところが、この齢になると脳裏に浮かぶのは奇妙にも、旨いものを広く漁り、好きなだけ味わうことができた壮年時代ではなく、いつもおなかを空かせていた芋やかぼちやの故里の少年時代やせいぜい貧乏助教授時代までの思い出ばかりなのである。古川柳にいう-
  ふるさとへ廻る六部は気の弱り
とでもいうことであろうか。縁を切ったはずの故里にふと足が向いてしまう老巡礼の心の弱りは私のものでもあったのか。・・・

・・・最後にこの半年、私は末尾においた「絶望のスパゲッティ」の章(*あえて略した章です)に記したような妻・史子の病気とともにいた。

 あそこに書いたつらい選択にしたがって、彼女は膵臓癌の切除手術を受けたのだが、縫合不全で合併症(膵液漏)を起こして百日余、京大病院での悲惨な体験については、あのつらささえきれいごとにみえるほどである。私たちの選択は惨惚たる失敗だった。そのことはいずれ書く機会があろう。

 そうしたなか、彼女は苦痛と望みのなさに耐えながら、以前と変わらず「第一読者」として全部の原稿を読み通してくれた。「未開人のお産じゃないのだから、あなたまでが苦しまなくていいのよ」と、逆にこちらを励ましながら。私にとって本書との格闘は、すこしでも気を紛らわせる「悲しき玩具」でもあった。ただ、生きているうちに間に合わせたいという思いに駆られたため、遅筆の私は、とくに第1部のいくつかの章について、予定していた大幅な改稿をあきらめざるをえなかった。
 ・・・
<追記>

 妻・史子は二月六日(2007年)永眠した。この小さな、私たちの最後の共同作業の成果を彼女の霊に手向けたい。

 
 ***********

 ★2004年5月の日付をもつ『スコットランド歴史を歩く』の
 「あとがき」を次に。(時計は戻るが。)

●・・・本書には思いもかけぬ長い歳月を費やすことになった。その過程で必要な枚数をはるかに超えた。アカデミック・ヴァージョンがまず出来てしまって、あとはそれを読みながらの削りこみの作業となる。「第一読者」である妻は、これでは「スコットランド史を歩く」でなく「スコットランド史を究める」ではないかとひやかし、私は「スコットランドを端から端まで歩けばこれくらいはかかるよ」と弱々しく抗議した。生まれたのが双子の過熱児で、順序もふつうとは逆とあってみれば難産もしようというものだ。
 
 この五年もの長丁場をひたすら忍耐で伴走してくださったのが編集部の早坂ノゾミさんで、彼女の絶妙の間合いの声援と、眼配りの利いた助言・提案がなければ走り抜けたかどうか。話の糸口をつけてくださった年来の畏友・熊沢誠氏と、おふたりにまず感謝したい。直接間接に助けていただいた多くの方たちのうち、貴重な史料を惜しみなく提供してくださったうえ原稿に眼を通して有益なコメントを下さったスコットランド史の常見信代さんと、同じく社会思想史の田中秀夫さんにはとくにお礼を申し上げたい。
 老来とみに仕事の面でも家族の支えが大きな意味をもつようになる。近年の私の仕事は個人の作品というより家族工房の共同制作に近づいてきた。従前からの秘書兼お抱え運転手役に加えて、近年はパソコン操作や書き手の健康管理まで引き受けることになったパートナーヘの謝辞を、今更めくからと省けば、あまりにへそ曲がりということになろう。娘たちも時に援軍に加わるようになり、ハリエットにつづいてヘレンの庇護下におかれた晩年のミルの「女性への隷従」の心境をちょっぴり想像してみるこの頃である。

  二〇〇四年五月               高橋哲雄

 ***************
   

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