カウンター 読書日記 『新しい階級社会と新しい階級闘争』
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『新しい階級社会と新しい階級闘争』
第七章 新しい階級闘争が始まる。 

 5。格差が拡大する社会に未来はない

 しかし、その間にも格差は拡大を続けていく。そして格差拡大は、社会にさまざまな弊害をもたらしていく。まず格差の拡大は、機会の平等を破壊する。平等を論ずる場合、機会の平等は必要だが、結果の平等は悪平等だからよくないというのが、よくある主張である。いまや、主流だといってもいいかもしれない。スタートラインは平等にしなければならないが、競争の結果として格差が生まれるのは当然だというわけだ。
 しかし現実には、機会の平等と結果の平等は分かちがたく結びついている。働いても働いても生活困難なワーキングプアには、そもそも教育を受けたり技術を身につけたりする余裕がない。だから、再チャレンジの機会があるといわれても、それを生かすすべがない。さらに貧困層の子どもたちは、十分な教育が受けられない。格差が拡大して貧困層が増えれば、そのような子どもたちはさらに増加する。

 つまり結果の不平等が拡大化することによって、機会の平等が失われるのである。機会の平等が失われると、貧困層の子どもたちの才能や能力は活用されなくなり、社会は活力を失う。だから機会の平等は確保されなければならないし、そのためにも、ある程度までの結果の平等が不可欠なのである。
 さらに格差の拡大そのものが、さまざまな社会的弊害、社会的損失を生み出す。米国で盛んに行われている社会疫学の研究によると、経済的格差が大きい地域ほど各種犯罪の発生率が高く、また心臓発作や悪性腫瘍(ガン)、殺人による死亡率、そして乳児死亡率が高い。そしてその原因について社会疫学者のイチロー・カワチとブルース・ケネディは、所得格差が拡大すると社会的信頼感が損なわれ、連帯感や社会的結束が衰退するからだと指摘している(カワチ、ケネディ『不平等が健康を損なう』)。
 また国際比較研究によると、格差が拡大するほど労働時間が長くなる傾向がある。
 なぜか。サミュエル・ボールズとパク・ヨンジンによると、それは格差の拡大にともなって消費水準に大きな違いが生まれ、このことが人々に羨望とストレスを生み、長時間労働へと駆り立てるからである(ボールズ、パク『模倣・不平等・労働時間』)。
 それだけではない。格差が大きく、しかも労働時間が長い国の代表格である米国の現状はさらに深刻だ。クリントン政権で労働長官を務めたロバート・ライシュは、労働時開か長くなった理由を「最下層に近い人たちがまともな生活をするために以前よりたくさん働かなければならなくなったということと、最上層に近い人々にとって、たくさん働かないことで失う金額がより大きくなったということの両方」によるものだと説明している(ライシュ 『勝者の代償』)。
 これは羨望やストレス以前の問題だ。つまり社会は、長時間働かないと生活できない貧しい人々と、余計に働けばそれだけ莫大な富を得ることのできる豊かな人々とに二極化されたのである。このような社会を好ましいと考える人は少ないだろう。
 さらに、より原理的な問題もある。それは、大きな格差は人々の「自尊(セルフ・レスペクト)」を破壊するということである。政治哲学者のジョン・ロールズは、すべての人々には「自尊」をもつことが保障されなければならないと指摘した(ロールズ『正義論』)。ここでいう「自尊」とは、自分の活動の意義が認められること、あるいは自分が役に立っていると感じることができるということである。
 格差拡大を擁護する人々は、能力のある人や努力した人には、それだけの高い報酬が与えられるべきだと主張する。しかし報酬を与えられるべきなのは、このような一部の人々だけではない。目立った才能や能力に恵まれなかった人々、運悪く大きな成果を上げることのできなかった人々を含めて、すべての人々には社会的な承認というものが与えられなければならない。
 この原理的な立場に立つならば、能力や努力の違いに起因するものだとしても、格差を無制限に承認するわけにはいかない。どんな下積みの単純労働に従事する人であったとしても、それだけで生活できる報酬が与えられるのでなければ、社会的に承認されたとはいえないからである。また、仕事そのものから得ることのできる満足、たとえば「やりがい」「働きがい」といったものも報酬の一種だと考えれば、最終的には労働のあり方を再編成して、極端な単純労働そのものをなくしていくことも必要だろう。
 格差によって人々の意欲を引き出し、経済効率を向上させることができるという主張もある。しかし、この主張にはあまり説得力がない。現実にこれまでの日本企業では、少なくとも男性に限れば、ほとんどの人が正社員として就職し、一定の年齢まではほぼ横並びに昇進してきた。査定によってボーナスや昇進時期などに一定の差はつくものの、さほど大きな差ではなく、たとえ平社員のままにとどまったとしても、それなりの生活ができる賃金は保障されていたのである。
 しかし、そのことによって日本の経済成長が損なわれたというわけではない。むしろ日本の企業は、社員の賃金や昇進年齢に比較的小さい差異をつけることによって、会社の一体感と矛盾しない範囲で競争を作り出し、その意欲と能力を引き出してきたのである。同じことができないとしたら、それはその会社が金銭以外の手段で人を動かすことができなくなっているということ、要するにマネジメントに欠陥があるということだ。
 事実、格差の大きい国が優れた経済競争力を示しているかといえば、そうではない。世界経済フォーラムが毎年公表している「世界競争力報告(二〇〇六年)」によると、競争力世界一となったのはスイスで、二位フィンランド、三位スウェーデン、四位デンマークと、経済格差の比較的小さい国が上位を占めている。米国は六位と前年の二位から転落し、日本は七位だった。
 格差拡大を批判すると、決まって「格差は必要だ」と反論する人が出てくる。これは、反論になっていない。私を含めて格差拡大を批判する人々は、すべての人々がまったく等しい収入を得るような、完全平等状態を求めているわけではない。人々の努力や創意、顕著な社会的貢献に対して、特別の報酬を与えることを否定する人はいないだろう。問題は、大きな格差にはさまざまな弊害があるということ、また格差が必要だとしても、それはさほど大きなものである必要はないということなのである。

 6 岐路に立つ新中間階級「二つの道」

 両極分化の進む新しい階級構造の中で、新中間階級は上と下から吸引され、引き裂かれつつあるといっていい。
成果主義の下で業績を上げ、莫大な年俸を手にしたり、ストックオプションによって資本家階級に接近する可能性は、たしかに拡大している。この意味で新中間階級の1部は、単に学歴が高かったり、終身雇用によって安定した地位を守られているといった意味での中間階級ではなく、資本家階級に接近したということができる。
 しかし逆に、成果を上げられずにリストラされたり、非正規労働への移行を余儀なくされたりする可能性も大きい。それ以前に、会社が倒産するかもしれない。失業の可能性があると感じる人は、新中間階級の14.8%に上っている。同じ調査によると、失業の可能性が「まったくない」という人は、50.7%にすぎない。過労死の可能性だってある。過労死寸前で退職を余儀なくされる可能性は、さらに大きい。ホワイトカラー・エグゼンプションが実施されれば、過労死の危険がさらに高まるだけでなく、収入は労働者階級並みの水準にまで低下するかもしれない。

 新中間階級の子どもたちもまた、転落の危機に瀕している。これまで新中間階級の子どもたちは、まあまあ収入がある高学歴の親の下で大学を卒業し、自らも新中間階級になれるという見通しをもつことができた,しかし、これはもう過去の話である。大企業の採用が増えて「超売り手市場」などと報じられているが、現実には大卒でも14.8%、8万3000人は卒業時点でフリーターまたは無業者である。就職率は67.6%で、バブル期より10%以上低い(文部科学省「学校基本調査(速報値)」2007年)。しかもこの就職率には、かなりの数の非正規労働者が含まれているとみた方がいい。さらに、就職はしたもののすぐに退職する若者も多い。

 親の立場からすれば、自分の子どもが就職に失敗し、あるいは仕事に耐えられずに退職し、フリーターや無業者(いわゆる「ニート」)になる可能性が依然として大きいということだ。とりあえずは月々の給料で、パラサイトさせてやるしかない。そしてその後は、少ない年金でパラサイトさせてやる。しかし自分が死ねばどうなるか。子どもはホームレスになるかもしれないし、生活のために犯罪に手を染めるかもしれないし、餓死するかもしれない。

 それでは、どうすればいいか。簡単なことである。格差を縮小させればいいのだ。もちろん、格差を縮小させるためには恵まれた人々、つまり搾取者である資本家階級と新中間階級の収入を引き下げる必要がある。しかし、このことは資本家階級の利益は損なうが、必ずしも新中間階級の利益を損なうものではない。
 格差が縮小し、非正規雇用の労働者でもなんとか生活できる、たとえば最低でも月額20万円、年額で240万円程度の収入が得られるようになり、これに合わせて失業者への給付も引き上げられれば、リストラされても、また会社が倒産しても、なんとか生活していくことができる。フリーターの子どもだって、なんとか生活できる。フリーターどうしで結婚して収入を持ち寄れば480万円になる。これなら、子どもを生み育てることも不可能ではない。
 これは、現在の生活保護のような穴だらけのセーフティネットではない。すべての人々を守ってくれる究極のセーフティネットである。具体的には、たとえば最低賃金を時給1200円に引き上げれば、年・2000時間労働で年収240万円になる。この1200円という水準は、けっして非現実的なものではない。EU諸国では普通の水準である。いきなり1200円に引き上げるのが無理ならば、税金による所得再分配を併用すればいい。
 経済の活力も増すだろう。セーフティネットとは、単に転落した人を守るためにあるのではない。セーフティネットがあれば、たとえ転落しても命の危険はない。だからこそ危険な綱渡りも、空中ブランコも、思い切って演ずることができるのである。だから、転落してからの再チャレンジではなく、いまいる場所での大胆なチャレンジが可能になる。経営者だって、従業員を路頭に迷わせる心配がなくなるから、経営上の決断も下しやすくなるだろう。
 だから格差を縮小することは、相対的に所得水準の高い新中間階級の利益にもなる。アンダークラスに手厚く所得が配分される分、新中間階級の所得はいくらか減るかもしれない。しかし、確実なセーフティネットを手に入れることができる。子どもの将来を不安に感じることも少なくなる。この1点でも、新中間階級にはアンダークラスと連帯して、格差縮小を求める意味がある。

 そのための具体的な施策としては、労働時間を短縮して雇用を数量的に増やすこと、つまりワークシェアリングが有効だろう。とかく働きすぎになることの多い新中間階級の労働時間を短縮する。その分、収入の総額は減ることになるが、雇用が増える。またそれ以前に、有給休暇の消化率を100%にするだけでも、かなりの雇用創出効果が期待できる。雇用が増えれば、これまでフリーターだったり失業者だったりした人々が、より安定した雇用の機会を得ることができるようになる。これらの人々の収入は増加し、賃金格差は縮小する。
 もちろん、効果を確実なものにするため、最低賃金の引き上げは不可欠である。経営側は無理だというかもしれないが、従業員に最低限の生活のできる賃金すら払えない無能な経営者には退場していただこう。もちろん経済の停滞している地方の企業に対しては、最大限の経営努力を求めたうえで、一定の補助をすることは考えてよい。企業には、雇用の場を提供して地域経済の骨格になるという公共的な役割がある。これに対する補助は、政府の当然の役割である。
 資本家階級はもちろんのこと、新中間階級、さらには大企業正規労働者の収入も減少する可能性がある。こうした犠牲を覚悟の上で、格差を縮小するだけの覚悟があるのか。参議院選挙で圧勝した民主党と、その最大の組織基盤である連合に問われているのは、この点である。たとえば、非正規労働者の待遇改善のための原資を、経営側と正社員が半分ずつ負担するような大胆な提案ができないか。この程度の提案もできないようなら、いまや巨大な勢力となりつつあるアンダークラスからの支持は得られないし、政権奪取など不可能だ。


 それでも、やはり自分の収入を減らしたくないという人には、米国のコラムニスト、バーバラ・エーレンライクの次の言葉を贈りたい。

 「・・・私たちが持つべき正しい感情は、<恥>だ。今では私たち自身が、他の人の低賃金労働に「依存している」ことを、恥じる心を持つべきなのだ。誰かが生活できないほどの低賃金で働いているとしたら、たとえば、あなたがもっと安くもっと便利に食べることができるためにその人が飢えているとしたら、その人はあなたのために大きな犠牲を払っていることになる,その能力と、健康と、人生の1部をあなたに捧げたことになる。「働く貧困層」と呼ばれる彼らはまた、私たちの社会の大いなる博愛主義者た        ちともいえる。・・・。
もちろんある日―正確にいつかは予測できないがーさすがの彼らも、報われることのあまりに少ないのにうんざりして、自分たちの価値に見合った当然の報酬を要  求する日がやって来ることだろう。その日が来れば、怒りは爆発し、ストライキも破壊行為も広がるだろう。それでも、天が落ちてくることはないし、おかけで、結局は私たちみんながもっと幸せになれるはずなのである。(エーレンライク『ニッケル・アンド・ダイムド』) 


 私はエーレンライクのいう「その日」を、できるだけ争いの少ない形で、犠牲をともなわない形で呼び寄せるための行動に、日本の新中間階級が立ち上がるべきだと考える。恵まれた位置にありながら、貧富解消政策を支持する人の比率が大きい日本の新中間階級には、その力があるはずだ。

 資本家階級に仲間入りして大きな富を手にするという、あまり大きくない可能性を信じて、この居心地の悪い境遇に耐え、引き裂かれ続ける道を選ぶか。それとも、引き裂かれることを拒否し、アンダークラスとともに、より格差が小さく、転落のリスクも小さい社会を求めるか。

 いま日本の新中間階級は、岐路に立っている。それはもちろん、日本社会全体にとっての岐路でもある。                


 
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この記事に対するコメント
ロールズ
ロールズの場合は、共産主義のように平等状態自体を目標にしているのではなく、「最も不利な状況にある社会構成員」にとって利益になる状態を目指しますから、格差もその限りにおいて肯定されますね。例えば、平等だけど社会の構成員全員が貧乏な状態と、格差があっても貧乏人が完全平等状態におけるよりも物理的により恵まれている状態とでは、後者が選択されることになる。
【2008/01/27 02:29】 URL | Hermeneus #TQJJvfrU [ 編集]


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