カウンター 読書日記 『新しい階級社会と新しい階級闘争』 を読む。
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『新しい階級社会と新しい階級闘争』 を読む。
 第七章 新しい階級闘争が始まる

 1。噴出する「負け組」たちの絶望と怒り

 格差拡大の中で、膨大な数の「負け組」たちが生み出されている。「負け組」たちの階級闘争は、マルクスが考えたように理想を掲げたものではない。また民主的階級闘争の理論が描いたように、政党を通じて実現できるような定型的な要求をもつものでもない。
 残念ながら、しばしばそれは、『四丁目の夕日』や『ヒミズ』に描かれたように、そして連続射殺事件や通り魔殺人事件にみられるように、人々を傷つけ、あるいは殺し、人々の間に不信を生み出し、社会全体を疲弊させるものとして暴発する。
 さらに絶望した多くの若者たちは、自傷・自死を繰り返したり、社会に背を向け、その外部に引きこもったりしている。

 たとえば、「ニ一ト」と呼ばれる無業者の若者たち。繰り返しクビになり、あるいは面接で落とされ、採用されても過酷な単純労働と難しい人間関係に苦しんだ若者たちの一部は、下層労働からの退却を始めている。無業者の若者たちは、自分たちをアンダークラスと定義する階級構造から脱落し、そこに同化・吸収されることを拒否している。「再チャレンジ」などというまやかしでは、彼らを動員することはできない。その意味で彼らは、いまのところ無自覚であるとはいえ、新しい階級社会への抵抗勢力だということもできる。
 抵抗勢力となるのは、無業者だけではない。フリーターを含むアンダークラス全体が、
ここに含まれる。もともとフリーターと無業者には明確な境界線がなく、両者には連続性がある。そして彼らの絶望や怒りは、さまざまな形態で噴出している。

 たとえば、インターネット上でのさまざまな犯罪やネット心中。そして野宿者に対する卑劣な暴力。報道をよくみると、事件を引き起こした若者の多くが「無職」や「アルバイト」である。「おれおれ詐欺」「振り込め詐欺」と呼ばれた犯罪で逮捕された若者たちにも「無職」や「アルバイト」が目立つ。そもそも、普通に働くことのできた若者なら、こんな犯罪に手を染めることもあるまい。
 さらに2007年8月、名古屋で起こった女性拉致殺人事件。インターネット上の「闇のの職安」で知り合い、お互いの本名も知らないままに犯行に及んだ若者たちは、1人が出来高払いの新聞拡張員、2人が無職だった。3人とも金に困っており、無職のうち1人はかなり以前からホームレスだったという。

 そして若者たちの多くが、社会を形成し再生産する活動から退却している。彼らの多くは、結婚や子どもを作ることを拒否し、あるいはそこから降りてしまっている。かつて出生率低下が社会問題になったとき、女性たちは働き続けることの難しい社会に対して「出産スト」を始めたのだと評された。しかしいまや、若者たちの多くがこのストライキに参加し始めている。
 それだけでは終わらないかもしれない。一年間のホームレス生活を経験し、現在は日雇の肉体労働でその日暮らしをするある若者は、今後の夢は何かという問いに「個人的には俺の夢は国会で自爆テロなんです」と答えている(雨宮処凛『生きさせろ!』)。
 また大学を卒業したものの就職に失敗し、日雇派遣で働くある若者は、いいように使われるだけで仕事を認められることのない現状に失望し、「こういう不満が、テロにつながるんでしょうね。あまりにもばかばかしくて、国家転覆さえ夢想してしまうんです」と語っている(「AERA」2006年10月23日)。
 音楽批評家でフリーター問題についての発言も多い平井玄は、彼らのような非正規労働者や無業者のことを「永山則夫の子どもたち」と呼んだ(平井玄『ミッキーマウスのプロレタリア宣言』)。たしかに永山則夫は1949年(生まれ)の団塊世代、アンダークラスの多くは団塊ジュニア世代である。しかし永山と現代のアンダークラスの若者たちには、ひとつの違いがある。永山は獄中でようやく本当の敵の存在に気付いたのだが、その「子どもたち」には、初めから敵がみえているのである。
 現実にテロを試みようとした若者がいたとも報道されている。今年の6月、爆発物を所持していたとして逮捕、起訴された30代後半の男が、私鉄の電車内で自爆テロを試みようとしていたというのである。男は都内の大学を卒業したあと就職したが、人回関係が合わず退職し、人材派遣の仕事などを転々としたものの次々に解雇されて社会に不満を持ち始め、職のある人々を巻き添えにして死のうと考えたのだという(2007年9月10日各紙)。あくまでも捜査段階の陳述にもとづく検察側の主張だが、ついにここまで来たかという思いを禁じ得ない。
 
 永山は獄中で「驚産党宣言」を書き、現代の社会には「大ブルジョアジー」「プチ・ブルジョアジーおよび貴族的プロレタリアート」「ルンペンプロレタリアート」の三つの階級があるとした上で、「自覚したルンペンプロレタリアとは、政治的諸目標を徹底的に破壊するテロリスト集団である。地下生活者の魂を発起し、あくまでも地下組織を通じてドブネズミの如く都市を動揺せしめよ」と呼びかけた(『人民をわすれたカナリアたち』)。この呼びかけは、時期尚早だった。なぜなら当時、ルンペンプロレタリアート=アンダークラスは、三大階級のひとつといえるような規模にはなっていなかったからである。しかしいまや、アンダークラスは巨大な最下層階級に成長している。こうして永山の呼びかけに応える若者たちが、30数年を経て登場しつつあるのかもしれないのである。
 
 現状では、彼らは孤立している。しかし階級闘争というものは、もともと最初の段階ではそんなものだ。産業資本主義の黎明期にも、労働者たちはサボタージュや逃亡、モラルを無視した行動、機械の打ち壊しなどの形で、資本の支配に対する拒否や抵抗を繰り返していた。いま始まりつつある、新しい下層階級の「階級闘争」のポテンシャルを軽く見てはならない。
 何はともあれ抵抗であるならば、少しは見込みがあると安堵する左翼思想の持ち主もいるかもしれない。しかし、その考えは甘すぎる。
 少し前、雑誌に掲載されたフリーターの若者の論文が話題になった。赤木智弘というこの若者の書いた論文の副題は、「31才フリーター。希望は、戦争」である。彼はいう。フリーターからみると「非難の対象はまさに左傾勢力が擁護する労働者だ。だから若者たちはネオリベ政府に『労働者の利権を奪い取って、おれたちに分けてくれ』と期待してしまうのだ」。
 ここから進んで彼は、ナショナリズムと戦争の積極的な肯定にまで行き着く。
 「右派の思想では、『国』や『民族』『性差』『生まれ』といった、決して『カネ』の有無によって変化することのない固有の『しるし』によって、人が社会のなかに位置づけられる。経済格差によって社会の外に放り出された貧困労働層を、別の評価基準で再び社会の中に規定してくれる」。そして、戦争は「持つ者」にとっては悲惨でも、失うもののない「何も持っていない」者にとってはチャンスであり、「戦争は、それ自体が不幸を生み出すものの、硬直化した社会を再び円滑に流動させるための『必要悪』ではないのか」と問いかけ、「反戦平和というスローガンこそが、われわれを一生貧困の中に押しとどめる『持つ者』の傲慢である」と主張するのである(「論座」2007年1月号、6月号)。

 戦争やナショナリズムに対する理解の幼椎さを、あげつらうことはたやすい。しかし、その問いかけは重い。しかも、彼は多くの若昔たちを代弁しているとみることができる。現実に、インターネットの掲示板「2ちゃんねる」をはじめとするネットメディアでは、このような主張が少なくないのである。

 現在の40歳代は、終身雇用と年功制の下で安定した就職をした、最後の世代といっていいだろう。いまも40~50歳代の人々は正規労働者として、比較的安定した雇用と高い賃金を享受している。これらの人々に賃金を払い続けるために、企業はコスト削減を強いられ、その結果、大量の若昔たちが非正規労働に追いやられている。
第四章で指摘したように、資本家階級のみならず、40歳代以上を中心とする正規労働者と新中間階級の全体が、フリーターたちを搾取しているのである。このことが若昔たちを、実際には自分たちを苦しめる最大の原因である規制緩和、そして新自由主義やナショナリズムを支持する立場に追いやっている。赤木の問いかけは、これまでの左翼運動と労働運動に、深刻な反省を迫るものである      

 

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