カウンター 読書日記  『新しい階級社会、階級闘争』を読む。
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 『新しい階級社会、階級闘争』を読む。
6。「再チャレンジ」論の登場

 格差の存在や格差拡大を擁護する小泉の見解は、安倍前首相にも受け継がれた。もちろん安倍も、格差拡大の事実を潔く認めたわけではない。
 国会でも、小泉と同じような論法で格差拡大の事実を否定しようとしたあげく、「格差があると感じている人たちがいるのであれば、また、そういう地域があるのであれば」などと、格差拡大を仮定の問題、しかも意識の問題としてすませようとする姿勢をみせ、与野党から追及を受けた。あげくの果てには、官僚から渡された怪しげな意識調査の結果をもとに、「日本の絶対的貧困率は先進国で最も低い」などと、明らかに事実に反する答弁までした。
 しかしながら、どんなに都合のいい統計や資料だけ取り上げて事実を歪曲しようと、絶対に否定することのできない事実がある。それは、フリーターや無業者の多い20歳代から30歳代の若者たちの間で格差が拡大しており、しかもいつまでもフリーターから抜け出せないなど、格差が固定化する傾向があるということである。いかに格差を擁護しようとも、これだけは無視し続けることができない。ここから出てきたのが、「再チャレンジ」論である。
 
この「再チャレンジ」論の要点を、安倍自身の言葉で示したいところなのだが、テレビなどでみていてもわかるとおり、安倍の言葉はたいへんわかりにくい。主語と述語の関係が入り乱れ、いくつものセンテンスがゴミ箱の中の紙くずのように入り乱れている。仕方がないので、次のように要約しておこう。
―「不公平や不公正な競争の結果でない限り、能力のある人とない人、努力した人としなかった人の間に格差ができるのは当然である。格差があっても、再チャレンジのチャンスさえあれば問題がない」
 敗者復活の機会さえあるならば、また公正な競争が保障されていれば、格差が大きくても問題ない、むしろ格差の大きいことが経済の活力を生むーこれは、もちろん新しい主張ではない。もともと1990年代後半に経団連や経済同友会が提言し、経済戦略会議によって政策立案の基本原則のひとつに採用されたものである。

 しかし「再チャレンジ」という歯切れのいいキャッチフレーズを得たこともあって、一見したところもっともらしく聞こえ、耳に入りやすい。世論調査などをみると、格差は拡大しているが、頑張れば挽回できると考える人の比率は高い(たとえば「朝日新聞」二〇〇六年二月五日)。フリーターや無業者の若者だって、自分の可能性を否定したくはないだろうから、当然の結果かもしれないが、ここに「再チャレンジ」論を受け入れさせる素地がある。
 
「再チャレンジ」論の問題点については、派遣労働ネットワーク事務局長の関根秀一郎が的確に指摘している。「安倍氏が言うのは、上からロープを垂らしてやるから登れるヤツだけ登って来いという話。格差そのものを縮める発想が見えない」「再チャレンジの名で格差の底辺に細い糸を垂らす政策より、派遣など不安定な雇用を規制するのが先決だ」(「東京新聞」二〇〇六年九月三〇日、十二月二〇日)。
 実際、フリーターや若年無業者を「積極的に正規従業員として採用して育成したい」とする企業はわずか1.4%で、「とくに区別せず正規従業員として採用する」とする企業の23.4%を加えても、ようやく四分の一に達するにすぎない。これに対して「正規従業員として採用するつもりはないが、非正規従業員として採用する」という企業は23.3%で、残りの大部分の企業(41.8%)は、「正規従業員としても、非正規従業員としても採用するつもりはない」と答えている(厚生労働省『労働経済白書』二〇〇五年)。
 
いまある格差、拡大しつつある格差を基本的にそのままにしておいて、わずかな上昇のチャンスを作り出す。そして、わずかしかないチャンスをめぐって競争させる。こうして敗者の中に勝者と敗者を作り出し、勝者を称揚すると同時に、敗者の存在に対する政府の責任を免れようとする。これでは、格差拡大も貧困も解決しない。


7。格差論争は形を変えた階級闘争
 
もはや、格差論争というものの本質は明らかだろう。それは、形を変えた階級闘争なのである。
 一般に階級闘争とは、異なる階級に属し、しかもそれぞれの対立する利害を認識した者どうしが、自分の利害の実現のために闘うことをいう。それは、何も革命闘争のような激しい争いだけを指すのではない。たとえば、経営者と労働組合が賃上げをめぐって争うのは、典型的な階級闘争である。
 しかし、このように階級闘争が成立するためには、当事者たちがお互いの利害の対立を認識しているということが前提となる。利害に対立がないと考えている者どうしの間には、階級闘争としての格差論争階級闘争は成立しにくい。たとえば、お互いを親子のように考え、そのとおりに行勤している経営者と労働者の問には、少なくとも目立った形での階級闘争は成立しない。お互いが平等な関係にあると考えている者どうしの間にも、階級闘争は成立しない。
 
だから、労働者たちを階級闘争から遠ざけるためには、経営者と労働者は一体のものであり、そこに利害の対立はないと考えさせるよう仕向ければよい。事実、これまで多くの日本企業では、労使協調のイデオロギーや、労働組合と会社組織が一体化し、労働組合幹部がやがて管理職・経営者に登用されるようなシステムが、このような役割を果たしてきた。これを背景に、「日本には階級がない」という暗黙の了解も形成されてきた。
 ところが近年急速に進行し始めた格差拡大は、「日本には階級がない」という、これまで成立していた暗黙の了解に、疑念を生じさせるようになった。それを階級と呼ぶか、それとも「勝ち組・負け組」「上流・下流」などと呼ぶかはともかく、日本の社会には大きな格差があり、人々は利害の異なるいくつかのグループに分け隔てられているという見方が、にわかにリアリティを持ち始めたのである。
 
フランスの社会学者ピエール・ブルデューは、「階級が存在するかしないかということは、政治闘争の主要な争点のひとつである」と指摘した。現実には格差や不平等があるにもかかわらず、「日本には階級がない」というのが社会的合意になっているとしたら、「負け組」や「下流」などの下層階級が自分たちの利害を実現することは困難である。そもそも、そこには利害の対立はないのだから、「勝ち組」や「上流」に配分の変更を要求する根拠がない。だから、下層階級が利害を実現するためには、「階級は存在する」という合意を作ることが先決になる。これが下層階級にとって、階級闘争の第一歩になる。
 反対に「勝ち組」「上流」などの上層階級は、階級の存在を否定しようとする。格差拡大は見せかけであり、多少の貧富の格差はあっても、利害の対立はない。しかも、上層階級がその能力を十二分に発揮することによって社会全体が豊かになるのだから、格差は必要である。したがって政府も、格差を縮小させたり、配分を変更したりする必要はない。財界と政府は、このように主張する。それは、下層階級から配分の変更を求められないようにするための、容赦ない階級闘争の一部である。
 階級闘争に対するブルデューのような考え方は、西欧の社会学者や思想家には、しばしばみられるものだが、日本では「観念論」と批判されることが多かった。階級というのは客観的な存在であり、科学的な見方さえすれば必ず認識できる、と考えられてきたからである。
 しかし現実には、格差は拡大しているという見解と拡大していないとする見解、格差の是正が必要だという見解と必要ないという見解が、それぞれに「科学」あるいは「統計的分析」などと称して争っている。それはすでに、明らかな階級闘争なのである。
 だから、格差論争に参加するということは階級闘争に参加することであり、上層階級と下層階級のどちらかに与することである。その意味で現代の日本では、すべての人々が階級闘争への参加を迫られているといっても過言ではない。

  第二章 ◎階級闘争としての格差論争  <完>


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