カウンター 読書日記 『小泉純一郎と日本の病理』 藤原肇 (光文社、2005.10)
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『小泉純一郎と日本の病理』 藤原肇 (光文社、2005.10)
 『小泉純一郎と日本の病理』 藤原肇

 ●ロンドン大学留学は単なる「遊学」にすぎなかった

 2004年2月、それまでくすぶり続けていた「小泉疑惑」が次々にマスコミで騒がれるようになった。それは民主党のイケメン議員・古賀潤一郎の「学歴詐称」が問題化したからであり、それに伴い安倍晋三や小泉純一郎までもがマスコミによって調べられたからだ。

 小泉の「留学疑惑」は、「レイプ疑惑」を考慮しなければ、実に単純なものだった。要するに、各種のデータに相違点が多すぎたのである。興信データ社刊の『人事興信録』では、「1968(昭和43)年ロンドン大政経学部に留学」とあり、東京大学出版会刊の『日本近現代人物履歴事典』では、「1967(昭和42)年7月ロンドン大・政治学部留学」となっていて、1年もズレている。さらに、小泉事務所は、「首相は慶応大卒業後の1967年から、父親の急死で衆院選に初出馬する1969年までロンドン大学政治経済学部に留学していた」と説明しているのだから、これを確定する必要があった。
 
 もちろん、これは当事者であり、日本の最大の公人である首相本人の最低限の義務minimum duty である。
したがって、この件で力を発揮したのは週刊誌メディアであり、とくに『週刊ポスト』は再三にわたって追及し、2004年2月9日号の記事で、「小泉首相がロンドン大に学生として登録されていたのは1968年から69年6月20日まで」と確定させた。つまり、彼が1967年に離日したとすれば、ほぼ1年間「遊学」した後にロンドン大学に行ったことになる。
しかも、そのロンドン大学留学もまた、「留学」 ではなく、ただの「遊学」であって、政治家が履歴書に書けるような代物ではなかった。『週刊ポスト』(2004年2月27日号と3月5日号)が下した結論は、次のようなものである。

 く小泉首相が初挑戦した1969年12月の衆院選挙の際の選挙公報、初当選した1972年12月の衆院選挙の選挙公報に届出されていた小泉首相の履歴は、「慶応大学卒。ロンドン大学政治経済学部留学」とあるが、これは★虚偽記載に当たる。なぜなら、ロンドン大学(UCL、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン)には政治経済学部はないからである。ロンドン大にはいくつかのカレッジがあり、政治経済学部といえば、一般的にロンドン大学政治経済学院を指し、優秀な学生が集まることで知られているが、小泉首相が在籍したのはここではない。小泉首相は、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(ロンドン大)の経済学部に1年足らず聴講生のような形で遊学していただけにすぎない。〉

 ここまで書かれれば、そして、これが事実で常識がある人間なら、虚偽を認めて謝るのが普通である。しかし、小泉がしたことは驚くべき破廉恥なことであった。すでに、読者は承知しているだろうが、彼はロンドン大学(UCL)のマルコム・グラント学長Prof・Malcom Grant を日本に招いて会見させ、「小泉首相は正式の学位degreeを取る学生ではなかったが、1960年に与えられた外国人留学生intemational student向けの単位を取っていた」「小泉首相は伊藤博文以来、わが校出身の2人目の日本の首相だ。ぜひ、名誉教授になってほしい」などと言わせたのである。

 もし、心あるジャーナリストが日本に存在するなら、小泉事務所がロンドン大学に対して、どれはどのコントリビューションcontribution(ワイロ)をしたのかを調べてほしい。
 

 ●「レイプ野郎!」と揶揄したラップまで登場

  「遊学」が明らかになったことで、そこに結びつく「レイプ疑惑」も顕在化し、なんとこれは、前記したように民事訴訟というかたち(「経歴詐称などで日本国民に精神的及び物質的損害を与えたことによる損害賠償請求」)で、東京地裁に持ち込まれたのである。
こうして、「レイプ疑惑」は裁判記録として残ることになったが、小泉本人も事務所も沈黙を通した。 また、2004年6月14日、民主党の平野貞夫議員が、参議院の「イラク復興支援・有事法制特別委員会」で、こうした一連の破廉恥事件の疑惑を質問したが、いつもの小泉節は聞かれなかった。ただ、この局面で、大手マスコミを除くいくつかのメディアに、小泉の過去を暴露する記事が載った。
 
 ここではその1つである『FRIDAY』(2004年7月2日号)の記事をあげておきたい。これは小泉の学生時代の友人や仲間の証言を集めたものである。
く小泉は慶応大時代に地元の横須賀で、「慶応横須賀学生会」の会長を務めており、近所の倉庫をダンスホールに改装して、OLや女子学生を呼んでダンスパーティを行っていた。そして、横須賀以外に「出張」するときには★結城純一郎と名乗り、レイプを表す隠語として「やっつけようか」まで使っていた。〉

 日本の情報空間は恐ろしいほど歪んでいる。かつまた、日本の大手メディアは各種の情報統制と過剰な自己規制で、何がジャーナリズムの使命かを忘れてしまって久しい。

 また、警察は常に政治的な圧力に屈服するために、証拠になる情報は秘匿や隠滅をしてしまう。これでは裁判所は事実の解明を放棄せざるを得ず、日本は永遠に法治国家たり得ない。この国の最高権力者である首相が、もし過去にこれまで指摘されてきたような乱行を本当に起こしてきたなら、たとえ法律的には時効が成立していても、そのまま放置してすむような問題ではないのである。

 今、試しにグーグルGoogleの検索で、「結城純一郎」と「小泉」を組み合わせれば、なんと3000件にも及ぶ項目がヒットする。また、首相を「このレイプ野郎!」と揶揄したラップミュージックがインターネットの世界に流れている。私はこうした世界にうといので久しく知らなかったが、自民党関係者がそれを教えてくれた。
さらに、参考までにとCD-ROMをくれただけでなく、こんなことを言っていたのである。
「こんな下品なラップ音楽が、いろんなサイトで流れているので頭を抱えているんです。警察に頼んで消して回ったので、最近では少なくなりました。でも、これは、もぐら叩きと同じで根比べです。しかも、どうも国内だけではなくて、海外からのルートも加わっているようです・・・」
 

  第二章 隠された過去  <完> 

 *以上、『小泉純一郎と日本の病理』 藤原肇 (光文社、2005.10)の

  第二章を忠実に再録しましたが、英語併記部分は大部分省略しました。 


  再び『新しい階級、新しい階級闘争』にもどります。

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