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二つの暴言と小泉の婦女暴行疑惑
 ●引き続き、『新しい階級社会、新しい階級闘争』から、紹介していきます。

 第二章 階級闘争としての格差論争

 1。 宣戦布告した政府と財界


 格差は、現代日本における最大の政治的争点となった。いや、より広く、社会的争点になったといった方がいいかもしれない。論争しているのは政治家だけではない。経営者と労働組合は、激しく格差論争を繰り広げてきた。新聞には、格差拡大批判派と容認派の両方が、入れ替わり立ち替わり登場する。テレビの討論番組でも、しばしば格好のテーマとして取り上げられてきた。

 それだけではない。格差論争は、私たちの社会のあちこちに広がっている。居酒屋で普通のサラリーマンや自営業者が、格差をめぐって論争しているのをしばしばみかける。私のように格差や不平等の研究をしていると、専門外の知人(決まって裕福な生活をしている)から「日本の格差など大したことはない」などと論争を挑まれることもある。格差をめぐって、さまざまな場所に対立の構図が生まれている。
 その中でも、とくに論争的で対立を煽るような二人の発言が記憶に残る。一人は経団連副会長の柴田昌治(日本ガイシ会長)。もう一人は、元首相の小泉純一郎である。

 「格差があるのが資本主義の原点。連合は『二極化』とよく言うが、(現在の日本のような)この程度の格差は当然だ。飢えて死ぬような人がたくさん出るのはいけないが、そこまでひどい格差ではない」(柴田昌治「朝日新聞」二〇〇六年一月一四日)
 「私は格差が出るのは別に悪いこととは思っておりません」「貧困層を少なくするという対策と同時に、成功者をねたむ風潮とか、能力のある者の足を引っ張るとか、そういう風潮は厳に慎んでいかないとこの社会の発展はないんじゃないかと」(小泉純一郎「参議院予算委員会会議録」二〇〇六年二月一日)
 これは貧困層のみならず、普通に働いて生活している人々に対しても、宣戦布告に等しい発言ではなかろうか。
 これくらいの格差は当然、飢えて死ぬような人がたくさん出ているわけではない  ということは、飢えて死ぬ直前くらいまでなら賃金を切り下げてもいい、搾取してもいいということだろう。

 柴田は知らないだろうが、現実には日本でも餓死者は多数出ている。’その数は統計に現れただけで、二〇〇三年九三人、○四年六八人、○五年七七人に上っており、その大部分は四〇歳から六四歳までの中高年男性である(厚生労働省「人口動態調査」各年度)。北九州市の職員から生活保護の辞退屈を出すことを強要され、二〇〇七年七月に「オニギリ食いたIIい」と書き残して餓死しているのを発見された男性も、五二歳たった。しかし、これは水山のI角とみた方がいい。このほかにも、事実上は餓死に等しい、行き倒れで亡くなった人や、栄養失調で亡くなった人などが多数いるからである。
 収入を断たれ、餓死する前に自ら死を選んだ人々もいるだろう。若者の貧困についての執筆活動で知られる作家の雨宮処凛は、自分の身の回りで自殺した若者たちの多くが、実は餓死する前にせめて人間らしく死のうとした「見えない形の餓死」者だったのではないかと問うている(「論座」二〇〇七年四月号)。

 さらには、釜ケ崎や山谷などの且屁労働者の街、ホームレスの集まる公園など、各地で行われている炊き出しや物資配布などの支援活動によって、多数のホームレスの人々の不条理な死がぎりぎりのところで防がれていることを忘れてはいけない。すでに日本は、餓死あるいはそれに準ずる死が、日常的に起こりうる状態にある。
 小泉の答弁は、格差拡大批判に対する典型的な開き直りである。格差拡大を批判する人々は、ごく一部の例外を除けば、格差そのものを否定しているわけではない。むしろ、ある程度までの格差は積極的に肯定する人が多い。ところが小泉は、格差拡大を批判することイコール格差全面否定であり、成功者をねたみ、能力のある人の足を引っ張るものだと決めつける。こうして小泉は事実上、すべての格差、すべての格差拡大を受け入れろと主張しているのである。

 貧困研究が世界で最も進んでいる国のひとつは、英国である。
 英国の貧困研究は▽几世紀末から二〇世紀初めにかけて、まずチャールズこぐIス、次いでベンジャミン・シーボーム・ラウントリーという二人の人物によって始められた。実はこの二人はいずれも、裕福な企業の経営者であり、調査研究は巨額の私財を投じて行われている。自ら進んで、資本主義の発展がもたらした貧困の増大を暴き出した彼らの業績は、その後の英国が福祉国家として歩む基礎を築いた。
 彼らに限らず、英国の貧困研究や福祉研究、労働者研究の多くは、裕福な家庭に生まれたエリートたちによって担われてきた。これらの研究は、生い立ちに恵まれた自分たちの境遇を、貧困層の実態と照らし合わせるところから自然に生まれた、一種の服罪意識によって支えられていた。

 これに対して小泉は、小泉又次郎、小泉純也と三代続く世襲議員である。日本の世襲議員には残念ながら、自らの恵まれた境遇の埋め合わせのために、貧困や不平等の実態を認め、恵まれない境遇の人々を救済しようとするような人物は見当たらない。それどころか小泉は、貧困の増加や格差拡大の事実すら否定し、批判者たちを、成功者をねたみ能力あるものの足を引っ張る輩として切り捨てたのである。
 

 <続けます>

 次回は、この記事のタイトル「 二つの暴言と小泉の婦女暴行疑惑 」に関して

 小泉についての「記憶」を確認しておきます。

 寄り道になりますが、無意味ではないでしょう。


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