カウンター 読書日記 『書棚の隅っこ』・落合論文関連。
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『書棚の隅っこ』・落合論文関連。
●先ず、落合氏の【佐伯祐三:調査報告】からの引用を。
 第三章 第三節 落合報告なるもの より。

 **************

 ・・私は、小林報告書起草者に対する憤激の存念から、随所で美術評論家なるものを貶めてきたが、それはあくまでも一般論であり、中にはこのように見識と勇気ある人士も少なくないことを認識した。文壇の大型新星といわれる★出久根達郎も、その著「書棚の隅っこ」のなかで、取り上げて下さっている。

 草: 「佐伯祐三が、激しく私を奪って止まない所以は、モラリスト(風俗批評家)としての彼の独自な姿勢が位地の確かさの上にあって、比類ない美をわれわれに提起していることに、職として由る。」「大阪の持つ庶民的な反逆精神。そして文明への高貴な憧憬の感情。彼の体液(ユムール)を流れるこの二つの要素の上に彼のプチ・ブルジョワへの深い愛情がその独自の芸術となって燦然と輝いているのである」(安西冬衛「佐伯祐三の位地とその意義」)

 佐伯祐三真贋騒動をご存じだろうか・・・・

 出久根さんによる拙著の紹介は、上の文章で始まる。安西という人の難解な文章をまず掲げたのは、拙著と対比なさるためであろうか。ともあれ、出久根さんは、私個人の略歴と拙著の大筋を紹介した上で、次の文章で締めくくっている。

 「佐伯の絵は、妻の米子が加筆している事実が判明した。佐伯作品の再検討が始まる。そうなると美術商たちは恐慌をきたす。ニセとわかれば元値で買い戻す、という一札を業者は入れているからだ。十号数億の佐伯作品となれば,画商の経済的破綻は必至。「吉薗資料」の抹殺をはかるわけである。

 なお「草」とは、スパイの意味である。佐伯を「草」に仕立てた吉薗周蔵も、もちろん当時の陸軍の「草」だったのである。」

 このように、好意的な書評は幾つか頂いたが、その逆の拙著に対する反論は、真摯なものはもとより、嘲弄的な批判ないし噂すら、これまで私の耳には入ってきていない。一つだけ例外は、流行語“老人力”で売りだした★赤瀬川原平が、「日経アート」平成十年十二月号の紙上の対談で曰く、「4年くらい前に真贋騒動があったんですよ。(中略)絵と一緒に資料があって、この資料がすごいんです。よくもまあ、これだけ、という感じで。(中略)いまだに真作だといって本を書いている人もいて、相当複雑なんです。センスがなくて筆が立つ松本清張みたいな人が生きていたら大長編小説を書いてますね」と。

 後半部分の趣旨はよく分からないが、とにかく拙著と私をからかい気味で語っていることは疑いない。これが、私の知り得た唯一の表だった拙著批判である。この外に「闇の贋作派」がいて、たとえば安井収蔵氏のごとく「小林報告で真贋はすでに決着した」と唱えるが、堂々の論争をしようとはしない。この一派は、商業的・経済的動機がすべてのようだ。

 赤瀬川は同誌上で「絵の真贋なんか元来どうでもいい」と言い、吉薗佐伯については、「でも、ぼくは写真でしか見てませんが、この絵がどうしようもなくつまらなくて何だか嫌な気分になる」と、自ら『芸術新潮』の掲載写真の影響下に在ることを自認している。その未額装品の写真によって、間違った先入観が形成されてしまった人が多いが、赤瀬川もその一人らしい。先入観が強すぎて、拙著や月刊「ニューリーダー」で紹介してきた資料の内容が理解できず、「よくもまあ」とただ呆れるのであろうが、嫌な絵だから偽物というのは早計ではないか。それに、夫子自身が「日経アート」の対談のなかで、佐伯の公開作品を評して「この絵のここは、佐伯がああした、こうした」と評するが、作者の個性・心情と具体的作品を結びつけて論じる立場にあるなら、真贋=つまり当該作品の作者と特定個人の同一性の有無=を無視することができぬというのが、物の道理ではないのか。

 そこで一つ、赤瀬川君に問う。これは君自身で双方の報告を熟読したうえでの責任ある見解なのか?

 そして告げる。ここは一番、★千葉成夫の言に従い、真面目に争おうではないか。「どっちも頑張れ、と言っておこうか。どっちも頑張れ、ただし真面目に、だ」。
 ・・・(続く) 


  <註>
 上の★「千葉成夫の言に従い」とは、以下の文章(落合報告)を
 踏まえたもので、以下引用する。
  
 *********

 拙著に対しては、幾つかの好意ある書評をば頂いた。その代表は、美術評論家の★千葉成夫東京近代美術館主任研究官のもので、★「中央公論」平成九年十月号に、次のように評して頂いた。

 「実に面白い本だ。まるで推理小説か犯罪ミステリーを読んでいるようで、読者に息をつかせない。しかも、ただの面白い読み物というのではなく、これはきわめて真面目な考証物であり、研究書とすら言っていいだろう。(中略・事件の経緯)

 一般の人々は、その間の事情と経緯を知る由もないから、よく調査した結果、贋作と判明したので白紙に戻すとは、役所にしては偉いと思った人もいたはずだ。たとえば「贋作説」の新聞しかとっていなかったら、そう思って当然である。ところが、本書の著者の調査と推理によると、そうではない。ここから驚くべき真実があかされることになる。こういう本は、種明かしをしてしまったのでは、これから読もうと思っている人々に失礼に当たるわけだから、それはせず、結論だけを記しておこう。『刑事コロンボ』同様、本書の面白さは結論にではなく、結論に導いていく課程(*過程)にあるからである。

 吉薗資料の全面的提供をうけて詳細な解読と調査を行った著者の結論は、「吉薗佐伯」こそは、真作であり、これまで「佐伯作品」とされてきたもののほとんど、ないし多くは、画家の未亡人・佐伯米子が夫の作品(真作)に加筆して完成させたもの、他者が描いた作品に米子が加筆したもの、であるというのだ。この驚天動地の結論が、著者の綿密な解明をへて導きだされている。

 これだけでも大変なことだが、著者はさらにこの調査から、吉薗周蔵という、これまで未知の人物を歴史の闇の中から浮かびあがらせる。なんと、それは上原勇作元帥の「草」(陸軍特務=スパイ)として、幅広く複雑な人脈を持ちながら、市井に暮らした人物だった、というのである。吉薗周蔵の人物像がはっきりしてきたことは、美術に関してもこれからいろいろな情報をもたらしそうで、興味がつきない。

 さて、この著者の「吉薗佐伯真作説」に対して、「贋作説」を唱えてきた美術史家、美術研究者、美術館学芸員、画商たちは、いったいどのような反応を示し、対応するのだろうか? この著者の調査・研究・推理は、本書でみる限り、かなり綿密で本格的だから、客観的に言って、反論は簡単ではないにちがいない。部外者の僕は、無責任に、どっちも頑張れ、と言っておこうか。どっちも頑張れ、ただし真面目に、だ。
・・・略。

 

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