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>●陸軍の裏側を見た吉薗周蔵の手記(12)―4
●陸軍の裏側を見た吉薗周蔵の手記(12)―4
―台湾から満洲まで、政財軍を巻き込む「東亜煙草会社」の興亡   

★「雨蛙が大蛇を呑んだ」 満洲煙草へ突然の身売り
 

 金光社長の経営下にあった東亜煙草は昭和十四年、突然身売りする。満洲煙草社、すなわち昭和九年十二月設立の満洲煙草股扮有限公司(社長:長谷川太郎吉)であった。同社設立にあたり資金援助した大和銀行から広瀬安太郎が取締役に入り、十年に新京に小さい工場を建てて操業を始めたが東亜煙草とは比較にならぬ規模であった。ところが金光康夫は十四年八月、拓務相就任を機に所有の東亜煙草株全部を長谷川太郎吉に譲渡し、旧役員も全員辞職、新役員には長谷川新社長系の人々が、就任し、株主の大和銀行からも広瀬が取締役に入った。「雨蛙が大蛇を呑んだ」と言われたこの買収劇は東亜煙草の社員一同にとって青天の霹靂で、青島工場長水之江は独新で上京し、専売局出身の金光秀文専務に真相を質したが要を得ず、金光社長にも聞くも同様だったこの満洲こそ、大正九年の大連で周蔵が三万円を出資してスタートした「満州煙草裁商店」の後身と推断するが、いかがであろう。野村合名傘下の大和銀行から出向した広瀬が、前述ファクスの広瀬安太郎であることは間違いない。「設立に当たって大和銀行がした資金援助」とは、大和銀行が周蔵資金を自行名義に仮装して株金を払い込んだので、役員として出向した広瀬はダミーであった。要するに、大正年設立当初から周蔵の所有であった満洲煙草社の実質的創業はずっと古く、大正九年に周蔵の三万円を元金として大連で開業したが、法人化せず個人企業「満洲煙草商店」と称し、室原重成を営業責任者としてケシ煙草を販売してきたものであろう。『東亜煙草とともに』の第四章で、同社営業幹部の名を掲げ「これらの人々は東亜煙草社が苦難に耐えて地盤の維持に獣身の努力を続けてきた販売の老練家である」とする中に奉天駐在所長・室原重盛の名がある。この室原重盛は重盛の別名か、それとも家族か、とにかく室原一家を挙げて、社の内外から東亜煙草に関係していたのである。

この年、専売局は東亜煙草に対する特許の認可を廃止した。これについては、辞めていった水之江も「明治三十九年、東亜煙草社が国策会社として創立され、昭和十四年に至るまでの長い間、連綿として継承してきた専売局交付の許認可事項が確たる説明もなく水泡のように消えたことは全く理解に苦しむことであった」と嘆く。これについて、Sは前述の著書で次のように述べる。
「元東亜煙草青島工場長の水之江殿之にインタビューした記事のなかに、この事件の背景についてふれられた箇所がある。『・・・推測しうることは、日中戦争という戦時下で、軍部が占領地政策推進の一環として、たばこの財政収入および生活必需物資としての重要性に鑑み、東亜煙草を専売局の監督から軍の管理統制下に組み入れようとしたところに重大な鍵が隠されているのではなかろうか』この事件の真相をおそらく知っていたであろう水之江も、『あの身売りには深い事情があった。しかし、いまだそれを明かすべきではない』というだけで、とうとう死ぬまで、この事件の真相を明かすことはなかった」 

右の水之江のインタビュー記事は、昭和五十五年に『たばこ日本』に掲載されたものである。自伝では「理解に苦しむ」と嘆いた水之江は、インタビューでは「深い事情があったが、いまだ明かすべきではない」と述べている。後者が本音で、★深い事情とはケシ煙草の関係である。東亜煙草の身売りの真相は、専売局が東亜煙草に対する特許・監督権を解消する外見を装い、実は大蔵省の課税権を外すことで陸軍の外郭として経営の自由を保障したもので、一年前から準備し、実行にこぎつけたのは★某皇族の計らいであった。以後東亜煙草社は破天荒な利益を上げたが、軍部の後押しのため税務当局を怖がる必要もなく、決算報告は単なる作り物だった。経緯は後稿に回すが渋沢敬三と親しくなった周蔵は、東亜煙草の膨大な利益を渋沢の関わる民族学研究所に注ぎ込むが、周蔵は表面に出ず、望月郁三を介して行った。
Sが著書のなかで怪人物としてしきりに強調する望月は、チヤの話では「甘粕正彦さんの乾分(こぶん)で、東亜煙草のオーナーとなった周蔵さんが、宮原とともに東亜煙草の表側に出した人物」という。Sの著書に、民俗学研究所設立者の一人岡正雄(あの柳田の言を書名にした『本屋風情』の著者、岡書店店主*ブロガー註)が渋沢敬三の思い出を回顧するくだりがあり、「望月君という後で民族学協会の理事になったが、しまいには非常なでたらめをやっていっちゃったけれども、これが東亜煙草から金を出してもらって財団(落合註:民族学協会)の資金を作った」と証言したと記す。これが期せずして周蔵が東亜煙草に関与したことの傍証をなしている。

 ●陸軍の裏側を見た吉薗周蔵の手記(12) <完>。
 


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