カウンター 読書日記 >●陸軍の裏側を見た吉薗周蔵の手記(12)―1
読書日記
日々の読書記録と雑感
プロフィール

ひろもと

Author:ひろもと

私の率直な読書感想とデータです。
批判大歓迎です!
☞★競馬予想
GⅠを主に予想していますが、
ただ今開店休業中です。
  



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


>●陸軍の裏側を見た吉薗周蔵の手記(12)―1
●陸軍の裏側を見た吉薗周蔵の手記(12)―1
―台湾から満洲まで、政財軍を巻き込む「東亜煙草会社」の興亡   落合莞爾

 ★吉薗家伝承に登場する「東亜煙草」関係情報

 平成11年の初夏、大手出版社の編集者が、作家Sを連れて紀州に私を訪ねたいと言ってきた。平成8年出版したSの著書で触れた東亜煙草会社と日本民族学会について真相を探りたく、未知の資料を求めて、吉薗周蔵の義妹・池田チヤを遠野に訪ねた。
しかし、チヤからは「落合を通じるように」と言われたらしい。両人来訪の直前、周蔵の娘・吉薗明子が、チヤから「Sに伝えよ」と命じられた内容をファクスしてきた。曰く「叔母は資料をまだ大分持っているが、叔母がいうに、この資料はまず落合さんに渡すべきものと考えている。落合さんは何年も前から周蔵に関心を持ち、それを書きたといわれたのでお渡しした。同じように書きたいという人が別にもう一人おられるという訳だが、それは順序として落合さんに断らなければならず、自分としては落合さんに、有る資料は、もし後で出て来てもすべてお渡ししますよ。貴方の好きなようになされて良いですよ、と約束している」ので、「落合さんからご自身でお借りしてほしい。落合さんにはご自由にしてほしいと申し上げたのだから、落合さんがどなたにお貸ししようと自由ですから・・・と言いなさい」とある。
 
 チヤから一件を託された形の私は、知ることはすべて話す所存で応対したが、両人は短時間にして席を立った。発つ前にSが「周蔵さんは望月郁三という人と間係があったか、それを間いて下さい」と言うので、明子に尋ねると「一緒に東亜煙草の仕事をした人」とだけ返ってきた。

 右(上)のファクスに次の文が続く。曰く
「昭和五十五年頃、水之江殿之という人が、東亜煙草のことで何か資料などお持ちでないか、と訪ねて来られたことがありますが、その折現在は兼松江商にいると言われたので、小佐野さんの関係だと思い、何も出してあげなかった、とファクスの中に加えなさいとのことでした」。

 東亜煙草の元社員で、半生を捧げた煙草事業を通じて十四歳年上の周蔵と交誼があった水之江殿之は、自伝『東亜煙草社とともに』の著作を志し、周蔵の遺した資料を求めてチヤを訪ねたが、チヤは資料を渡さなかった。「現在兼松江商にいると関いて、小佐野さんの関係で来たと思ったから」と言う意味は分からないが、私はすぐに水産物輸入業者兼松通商を思い出した。証券界で一時評判になった仕手で、社主・佐々木秀美が小佐野賢治の養子と称していたが、平成十年二月に倒産した。総合商社兼松江商とは無関係と思っていたが、チヤの言からすると兼松江商、小佐野および佐々木の間には、実際何かの関係があったようだ。水之江の自伝『東亜煙草社とともに』は昭和五十七年五月七日に刊行されたが、当時の私はそれを知らない。

 すると明子からまたファクスが入り、「叔母に東亜煙草のことを聞きましたら、発起人として、上原勇作の一族の一人で日高さんの母方の、安達という人が入っている。多分安達りゅう一郎というと思うとのこと」とある。東亜煙草の設立発起人は煙草業者に限られた筈で、日高尚剛の母方といえば薩摩人だろうから、安達は国分の煙草業者なのか。いずれにせよ、日高ないし安達が、明治三十九年の創業時から東亜煙草に関与していた証拠である。
ファクスの続きは「また、よく彦根の話の中に出てきた菅野(すがや)という人で、高島屋の仕事をしていたとか何とかという、訳のわからない話のことで(略)この人は周蔵が株を一緒に持った人物で、菅野盛太郎という人だそうです」とある。

 以前明子から「周蔵と一緒に仕事をした人に、高島屋の社長か重役だった菅野盛太郎がいると聞き、学友が高島屋社員だったので歴代社長を調べて貰ったがその名は出てこず、訳の分からぬ話に終わった。その菅野に関する情報だが、文脈からして菅野は東亜煙草と無縁と感じた。しばらくして明子が「広瀬安太郎 住所△△△ 野村xxxx(社名と肩書き)」と書かれたファクスが来た。そのファクスの所在を見失った今は、住所の具体的地名、社名(野村生命保険?)と肩書(専務?)をここに記すことができないが、この広瀬も東亜煙草での周蔵の関係者ということである。こうして東亜煙草の関係情報が幾つか寄せられ、また『東亜煙草社とともに』の第三章以下しかない不完全なコピーも人手した。しかし本誌連載中の旧『吉薗周蔵の手記』を急いでいた私は、東亜煙草関係を後回しにして、、平成十八年暮に本誌連載を終えてやっと調査する気になり、そのコピーを取り出して見て驚いた。

 第三章のタイトルが何と「菅野盛次郎社長時代」であった。ファクスの菅野盛太郎と菅野盛次郎は兄弟か、或いは同一人物を明子が聞き違えたのか。取りあえず同人物と見なすと、菅野盛次郎は、東京税務監督局長から大正六年に東亜煙草社長に就任、十一年まで在任した。察するに、天下り社長の菅野が体面上株を待つのに必要な資金を、周蔵が出したのだ。それだけでなく、コピーには私自身の字で、「藤田謙一は上原勇作の隠し玉」「荒木大将が上原の真似をして尻尾を出した」「最終的には周蔵が東亜煙草のオーナーだが、室原と望月を表に立てた」「株は越前松平の殿様の一族に預けた」などと、当時チヤから聞いたままを書き込んでいたのである。
 <続>
 

 ←左のリンク先から★<佐伯祐三調査報告>(落合莞爾)を
 クリックして、是非定期的にチェックしてください。

スポンサーサイト


この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
トラックバックURL
→http://2006530.blog69.fc2.com/tb.php/336-464eccb6



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。