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水素エネルギー
毎月末は、『ニューリーダー』誌連載の<落合論文>の紹介をしていますが、今月は同誌から、興味深い対談を先にアップしておきます。

連載《作弥のハートフル対談》水素エネルギー開発で「偽りなき空の色」を追究
●フィロソフィなき科学技術に生命なし
対談者:横浜国立大学名誉教授・元学長 太田時男

 ★西田哲学「純粋経験」への疑問

藤原: 先生は、世界から「ドクターハイドロジェン(水素」と呼ばれるほど、水素エネルギー学のパイオニアとして活躍してこられました。そのご本人を前にして、お話をお伺いできるなんて、めったにない機会です。よろしくお願いいたします。
 ただ、先生の本来のご専門は物理学で、金沢の旧制四高に学ばれ、その縁で西田幾多郎の哲学に傾倒された。ところが、壁にぶつかったりもした。要するに西田哲学との格闘が哲学から、物理学に移行していくことになったと伺っています。

太田: 西田先生とは縁がありまして、生まれたところが、私の生家から汽車で一五分のところでした。先生は定年になって、鎌倉の稲村ケ崎に住みましたが、今私が住んでいるところでもあります。
 西田哲学が言う「純粋経験」というのは、理性がまったく入らないような経験、後天的な知識で加えられていない経験のことです。たとえば、よく知られている話ですが、かのリルケが南方の島のホテルで朝聴いた鳥のさえずりは、鳥が発したのか、自分か発したのか、まったく判らなかった。初めての経験で、これが「純粋経験」です。自分の理性がまったく加えられていない経験、これこそ真理であると、西田先生が四高の学生だった時に、金沢の街を歩きながら、達観したものです。

藤原: カント(?)の言う、「我思う、ゆえに我あり」ですね。

太田: そういうことです。しかし、ぼくは、そんなばかなことはないと思ったんです。物理学が求める客観的な真理もあるじゃないかと思ったりしました。それで、哲学に向かわず、物理学を志すようになったのです。
 四高(しこう)は東大を目指す者が多いのに、物理を学びたくて京大に進みました。当時の京大には湯川秀樹先生がおられたからです。一年の時の主任教授でもありました。ただ、先生は学生に教えることより、どちらかというと朝から晩までご自分の研究に没頭されていた。先生のいいところかもしれませんが、弟子にすれば、かなわなかったでしょう。

藤原: 東大と京大を比較つもりはさらさらないのですが、東大というと、どうしても官僚を養成するところの印象が強い。それに比べて京大は、哲学にしろ、科学にしろ、思索するタイプの人間を養成するところではないかという気がするのですが。

太田: その通りです。哲学にしても、東大の哲学は文献学であって、西欧の哲学を解釈し、教えることが仕事で、オリジナルなものがなかった。
 湯川先生のオリジナルな学問である「素粒子論」なども、東大には講座がなくて、湯川先生かひと月に一度、上京して教え、それで東大にも素粒子の基礎が形成されたんです。

藤原: やはり中央なり、権力なりに対してアンチテーゼがないと、文化はアウフヘーベンしていきませんね。

太田: ですから法科でも京大には滝川幸辰先生がいて、批判する立場を貰き通しました。

藤原: 戦前、危険思想だとみなされ、文部省は処分しようとしたが、京大の教授会は認めようとせず、対立が起きた。いわゆる滝川事件ですね。

★水素が「トリレンマ」を解決する

太田: さて、京大で物理学を勉強していけばいくほど、実は西田哲学を見直すようになっていきました。私が入った時は、もう西田先生はおりませんでしたが、京大の哲学講座を長く持っていて、強い影響を与えていました。
 日本のオリジナルな哲学というと、西田哲学が最初のものです。湯川先生も西田哲学に傾倒されていました。

藤原: 京大の哲学講座は、後に京都学派と言われるほどで、波多野精一、田辺元などもいて、その中心が西田さんでした。弟子には三木清などがいます。錚々たるものでした。

太田: 西田さんが思索を垂ね、極めたことが、「弁証法的一般者としての場の論理」でした。弁証法というと、ヘーゲルですが、それはテーゼとアンチテーゼでジレンマなんですね。西田哲学の言う「弁証法的一般者」とは、多次元的な矛盾を称したものです。つまりトリレンマなんです。

藤原: トリレンマというのは、二項の対立ではなく、経済成長、エネルギー需要、環境保全が、恋愛での三角関係のような構図になっているということですね。それぞれが、いい意味でも、悪い意味でも、影響を与え、問題化している。

太田: 既存のエネルギーは、化石燃料(FF)と言われる石炭、石油、天然ガスといったもので、これらは資源枯渇性があり、経済効果とか、地政学的なエフェクトが大きかった。一方でそれを使うことで、環境汚染や大気汚染、最近ではC02の問題を生みだしてきた。
 資源の豊富なものは、価格は安くなるが、環境を悪くする。天然ガスなど、元々資源が少ないものは、価格は高いが、環境汚染は少ない。こういったことがトリレンマなんです。
 そして、これらの問題が解決できないと、経済的には価格が不安定になり、高騰を招いたりすることになります。

藤原: 今、先生がおっしやったことを図式化(図1・P40)したものが、目の前にあります。価格の高騰を招くのなら、それを安定させるためにはどうすればいいのか、価格、枯渇、汚染と、それぞれで考えてもしょうがない。この三つの関係をどうしていけばいいのか。要するに、環境をクリーンにし、資源が再生可能なものを、これからのエネルギーの中心にしていくことであり、その具体的なものがH2、水素エネルギーであるという。そう理解してよろしいでしょうか。実に興味深いことです。

太田: その通りです。

藤原: これが先生が念願とされている最大のテーマであり、サスティナブル、持続可能を目指した社会におけるエネルギー活用につながるというわけですね。

太田: サスティナブルにしようと思ったら、多次元的でなければいけないんです。ヘーゲル的なテーゼとアンチテーゼでは解決できない社会になっているということです。ということは、西田哲学は、今の社会においても、指導原理になりうると思います。

藤原: そこで、これらを踏まえた上で、今日は、水素エネルギーについて、ご教授願いたいのですが。

 <続>
 



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