カウンター 読書日記 『犬身』<追記>
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『犬身』<追記>
 
 最後に、「週刊・読書人」第2714号(11.23)の巻頭特集から。 

 ●松浦理英子『犬身』を読む。  小谷真理 評 

 『犬の眼』というタウン誌編集に携わる八束房恵(やつかふさえ)は、編集長・久喜洋一とつきあっていたが、三十をすぎて、なにかしらの身辺変化を考えるようになっている。
 そんなある日、老犬のナツと飼い主の陶芸家・玉石梓(たまいしあずさ)と知り合い、両者の関係に好意を持つ。
 実は、房恵は、幼いころより犬になりたいという欲望を抱いており、脳内自己イメージが犬であった。
 この本気とも冗談ともつかぬ願望に対し、バー「天狼」の謎めいたマスター・朱尾献(あけおけん)は、房恵の犬になりたい願望をかなえてやろう、と持ちかける。そして、その代償は房恵の魂だというのだ。
 
 メフィストフェレスのごとき奇妙な申し出を受けることにした房恵は、ナツ亡き後、子犬・フサに変身し梓に飼われることになる。朱尾からもらい受けた子犬がまさか房恵であることを知らない梓は、犬愛好友だち房恵との突然の別離を哀しみながらもフサを慈しむ。
ところが、梓の私生活に入り込んだフサ=房恵は、飼主との幸福な関係に満足するものの、意外にも梓の家族には、実はおそろしくこみいったナゾが隠されていたことを知る。

 というわけで、ゲーテ『ファウスト』を彷彿とさせる設定ながら、現代のファウストが踏み込むのは、核家族内部で展開される、いびつなパワーバランスの世界である。戦後の核家族がいかに密室化されるか、監視なき閉鎖空間で操り広げられてきた陰惨な家族密着関係性の物語は、親子・母子・兄妹間の精神的・肉体的愁嘆場と化す。そのおぞましき光景を、ファウストたる犬の視点がとらえ、メフィストフェレス的役割を担う朱尾との間に、対話が行き交う。

 いっけん破天荒で非現実敵な展開だが、そくはかつて、『親指Pの修業時代』で我々を痺れさせた松浦理英子のことだ。細かく的確なディテールが丹念に積み重ねられて圧倒的なリアリティーが立ち現れる。
 その凄さはまさに彼女が帰ってきたという感動を導くだろう。それほど、本書の構成には緻密な洞察が満ちており、筆致は怜悧で、時折さしはさまれるユーモアには、そこはかとない哀しみが漂う。
 たとえば、犬へのメタモルフォセスを扱うとはいえ、身体変貌に関する幻想構築は、複雑きわまりないプロセスを経る。

 三十代の女性が犬に変身する。それはいいとして、その体験は当初女から女=牝犬から始められるのではなく、牡犬から始まり、梓の兄(彬=あきら)の示唆ですぐさま去勢されるのだ。その立場から女飼い主(梓)の私生活が観察される。・・・
 
 犬を必要とするヒトの心情とはいったいなんだろう。異性愛や同性愛、フェティシズムや母子密着、サティズムやマゾヒズム、家底内暴力や近親相姦、ことあるごとにわれわれの関係性はそうした名付けによって切りわけられ、それらの境界の曖昧さを隠蔽されたまま忘却されているけれど、犬との関係などは、その曖昧さのただ中にあって、たしかにそのどれからも逸脱し、宙づりになっているに違いない。
ヒトの身体から犬の身体へ変身する房恵や、親族関係はズタズタでも犬との関係こそ良好な梓のように、極端な行動へと追いつめられていく女性たちが、犬とヒトとの関係性を身近なものとする、その願望の底に、何を隠しているのか。どういう現実感と繋がっているのだろう。
その点、中途で、房恵が考える性同一性障害ならぬ種同一性障害(ヒトと犬はその一例)なる考え方が評者(小谷真理)にはもっともおもしろい部分であった。・・・以下略。

***********************
 
 
 また、インタビュー(聞き手・大野由美子)のなかで、松浦理英子は言う。

 ★ 作品のきっかけは確か2002年ごろだったと思います。「SFバカ本」というアンソロジーのシリーズものをおくっていただいて、楽しく読んだあとに自分だったらどんなバカ小説が書けるかと思ったんです。・・・

 ★ (純血種、ブランド犬信仰について聞かれ、) 
 そうですね、ほんとうの犬好きは人為種かどうかということにはこだわらないのではないか、という疑問は持っています。人為種は犬の身にならないで、人間のエゴのために無理やり作り出してきたものです。
  だから障害があったり、短命であったりといった犬種がいるわけです。しかし犬は本来そのへんで勝手に繁殖していて、自然な性質として人間に対して親しみを感じてくれる生き物だと思うんです。
  そもそも原種に近い犬のかたちのほうが美しいのに、といったような熱い思いは確かにありました。・・・以上。
 
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