カウンター 読書日記 熊楠・『十二支考』より。
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熊楠・『十二支考』より。
 南方ワールド、「犬」編をほんの少しだけ。

  ***************

 ●ルーマニア人は、犬の寿命を二十歳と見立てたらしい。その話にいわく、上帝世界を造った時、一切の生物を召集してその寿命と暮し方を定めた。一番に人を召し、汝人間は世界の王で、両足で直立し上天を眺めよ、予汝に貴き免状を賦与し、考慮と判断の力、それからもっとも深き考えを表出すべき言語の働きをも授くる。地上に活き動く物は空飛ぶ鳥から地を這う虫までも汝に支配され、樹や土に生ずる諸果ことごとく汝の所用たるべく、汝の命は三十歳と宣うた。人間これを承って喜ばず、いくら面白く威勢よく暮したってただ三十年では詰まらないやと呟いた。

 次に上帝、驢馬を招き、汝は苦労せにゃならぬ。すなわち、常に重荷を負い運び、不断笞うたれ叱られ、休息は些(わずか)の間で、薊や荊の粗食に安んずべく、寿命は五十歳と宣う。驢馬これを聞いてひざまずいて愁い申したに、慈悲無辺の上帝よ、某(わたしは)そんな辛い目をして五十年も長らえるは、いかにも情けない。どうか特別の御情けで二十年だけ差し引いていただきたいと、その時強慾の人間差し出て、さほど好まぬ驢馬の二十年を某(わたし)へ融通されたいと望みの通り二十年加えて、人の命を五十歳と修正された。

 次に上帝犬を呼び、汝は汝の主たる人間の家と産を守り、ひたすらこれを失わぬよう努力
せにゃならぬ、すなわち月の影を見ても必ず吠えよ、骨折り賃として硬い骨を噛り粗末な肉を喰らい、寿命は四十歳と聞いて犬は震え上がり、そんなに骨折って骨ばかり食えとは難儀極まる。格外の御慈悲に寿命を二十歳で御勘弁をと言うもおわらぬうちに人間また進み出で、さほどに犬の気が進まぬ二十年を私に下さいと乞うたので、また二十年を加えて人の寿命七十歳となった。

 最後に上帝、猴(さる)を呼び出し、汝は姿のみ人に似て実は人にあらず。馬鹿で小児めいた物たるべく、汝の背は曲がり、常に小児に嘲弄され痴人の笑い草たるべく、寿命は六十歳と宣うを聞いて、猴 弱り入り、これは根っからありがたからぬ、半分減じて三十歳に御改正をと聞いて人間またしゃしゃり出で、猴の三十歳を貰い受けて人の寿命は百歳と定まった。

 かくて人間は万物の長として、最初上帝が賜わった三十年の間は何一つ苦労なしに面白く暮し遊ぶが、三十過ぎてより五十まではもと驢から譲り受けた年齢故、食少なく事煩わしく、未来の備えに蓄うる事にのみ苦労する。さて五十歳より七十まで、常に家にありてわずかに貯えた物を護るに戦々競々の断間(たえま)なく、些の影をも怖れ、人を見れば泥棒と心得吠え立つるも、もとこの二十年は犬から譲り受けたのだから当然の辛労である。

 さて人が七十以上生き延ぶる時は、その背屈み、その面変り、その心曇り、小児めきて児女に笑われ、、痴人に嘲られる。これもと猴(さる)から受けた三十年だからだと。

 *もう5~6年前になるか、県・美術館から乗車された中年婦人にこの話をしたことがある。
 面白いので早速帰りの新幹線で読みたいと言い、駅近くの書店で岩波文庫を求めて行った事だった。


●『今昔物語』二九に、
 陸奥の山人、数匹の狗(犬)を連れて山に入り大木の胴中に夜を過ごす。夜更けて狗ども皆伏せたが、長年飼った大変賢い拘(犬)一匹が急に起きて主に向って吠えやまず、そのうちに踊り掛かって吠える。太刀抜きて戚(おど)してもますます吠え掛かる。こんな狭い処で食い付かれては、と思うて外へ飛び出る時、その拘(犬)、主人がいた洞の上方に跳び上り物に食い付く、さては我を咬むとて吠えたでないと知って見ると洞の上から重き物、落ちる。長さ二丈余、太さ六、七寸ばかりの蛇が頭を狗に食われて落ちたのだった。さては我命を救うたこの犬は無上の財宝と知って狗を伴れて家に帰った。その時拘を殺したら狗も自分も犬死にすべきところじゃったとある。

 この話が移り変って『和漢三才図会』六九には、犬頭社は参河(三河)国上和田森崎にあり、社頭四十三石、犬尾社は下和田にあり、天正三年中、領主・宇津左門五郎忠茂、猟のため山に入る、家に白犬ありて従い走り行く、一樹下に到り忠茂にわかに眠を催す、犬傍にありて衣の裾を咬えて引く、やや覚めてまた寝ぬれば犬しきりに枕もとで吠ゆ。忠茂熟睡を妨ぐるを怒り腰刀を抜きて犬の頭を切るに、樹梢に飛んで大蛇の頭に喰らい付く、主これを見て驚き蛇を切り裂いて家に還り、犬の恋情を感じ頭尾を両和田村に埋め、祠を立てこれを祭る。家康公聞きて甚だ感嘆す。かつ往々霊験あるを以て采地を賜う。けだし宇津氏は大久保一族の先祖なりと出し居る。

 『今昔物語』二六に、
 参河(三河)国の郡司、妻二人に養蚕をさせるに、本妻の蚕皆死んで儲けもなくなったので夫も寄り付かず、従者も逐電(去り)して淋しく暮す内、養いもせぬ蚕一つ桑の葉に付いて喰うを見付けて養う内、家に飼った白犬がその蚕を食うた。蚕一つすら養い得ぬ宿世を哀しみ犬に向いて泣きいると、この犬鼻ひると二つの鼻孔より白糸二筋出る。それを引いて見ると陸続として絶えず、四、五千両巻きおわると犬は死んだ。これは、仏神が犬に化し、われを助くる事と思うて、屋後の桑木の下に埋めた。夫の郡司たまたまその門前を通り、家内の寂寞たる様子を憐み、入りて見れば妻一人多くの美しい糸を巻きいる。夫問うて委細を知り、かく神仏の助けるある人を疎外せしを悔い、本妻の方に留まって他の妻を顧みず、かの犬を埋めた桑の木にも繭を作り付けあるを取りて無類の糸を仕上げた。やがて国司を経て朝廷に奏し、かの郡司の子孫今にその業を伝えて犬頭という絶好の糸を蔵人所に納めて、天皇の御服に織ると見ゆ。すこぶる怪しい話だがとにかく三河に昔犬頭という好糸を産し、こんな伝説もあったので、犬頭社は、もとその伝説の白犬を祀ったのを後に大蛇一件を附会して犬尾社まで設けたのでなかろうか。
 
 犬が大蛇を殺して、主人を助けた話は、西洋にもある。ベーリング・グールドの『中世志怪』六章や、クラウストンの『俗談および稗史の移動変遷』二巻一六六頁以下に詳論あり。今大要を受け売りと出掛ける。十三世紀の初めウェールスのルエリン公、その愛犬ゲラートをして自身不在ごとにその幼児を守らしめたが、一日外出して帰って見ると揺藍に児見えず。そこら血だらけで大の口に血が附きいた。さてはわが子はこの犬に食われたと無明の業火直上三千丈、刀を抜いてやにわに犬を切り捨てた。ところが揺藍(ベビーカー)の後ろに児の啼き声がする。視ればわが子は念なくて、全く留守宅へ狼が推参して児を平らげんとする処をこの犬が食い殺したと判った。公、大いに悔いて犬のために大きな碑を立て、これを埋めた地を犬の名に基づいてゲラートと名付けたそうだ。

 中世欧州で大いに読まれた教訓書『ゲスタ・ロマノルム』にはいわく。
フォリクルスという武士、妻と婢僕を伴って試合に出掛け、ただ一人の児を揺藍に容れ愛する犬と鷹を留め置く。城辺に棲む蛇来て児を嘸(咬)もうとすると、鷹、翅(羽根)を鼓して犬を起し、犬、健闘して蛇を殺し地に伏して疵を舐める。
 ちょうど、そこへ還った乳母は逆上、犬が主人の児を啖った(食った)と誤解し、逐電の途上主人に遭ってその通り告げる。主人大いに怒って帰り、迎える犬を斬り殺し覆った揺藍を視ると、児は無事で側に蛇が殺されている。フォリクルス早まったと気付いても跡の祭り。
 槍を折り武道を捨て聖上を巡拝して、再び還らなかったと。一三七四年筆の、ペルシャの『シンジバッド』十七に述ぶる所もほぼ同前だが、これ犬の代りに猫としている。・・・
 


 ・・・熊楠公の博覧強記並ぶものなく、とどまる所を知らず、・・・以下略・・・
    

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