カウンター 読書日記 『犬身』(続)
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『犬身』(続)
★南方熊楠 『十二支考』(岩波文庫下巻)の「犬に関する伝説」を脇において、

 読み進めば、少なくとも犬派の方には「至福の時」が保証される。

 「 ・・・
 お話作りはさすがに中学に進むと部活動や人づき合いに取り紛れてだんだんやらなくなったが、現実での犬との触れ合いは飼犬が死んでからも絶やさず、近所で飼われている犬を飼主に断わって散歩に連れ出したり、友人の家の犬と遊んだり、スーパーマーケットの前などで飼主を待つ犬にまめに愛想を振り撒いたりと、ささやかではあっても交流経験を積み重ねたので、それなりに犬を見る眼を養えたし、犬とのつき合いの技術も磨けた、自分なりの犬観も自然とできて行った、と思う。学問的な知識はあまりないけれど、犬を飼った期間が短いわりには犬とのなじみがある方ではないかと自負してもいる。

 大学の卒業旅行で久喜と一緒にインドに行った時こそ極楽で、牛や山羊が放し飼いにされていることが知られているインドの町には野良犬も多く、自分から人なつっこく寄って来るのもいるし、人間を見ようとしないでじっと誰っているのでも、たいていは舌を鳴らして呼ぶと近づいて来て撫でられるままになるので、久喜が「汚ないからやめろよ」「噛まれても助けないぞ」と言うのも聞かず、房恵は毎日夢中で犬との親睦に励んだ。それで何度か久喜と喧嘩をした。

 「ガイドブックに書いてあるぞ、インドでは狂犬病が根絶されていないから、野良犬に近づくなって」
 「そんな公式的な注意を鵜谷みにしちゃだめよ。噛まれなきや狂犬病にならないでしょ。わたしは噛まれないように注意してるわよ。よく見てて。わたしは自分から犬には近づかない。呼ぶと嬉しそうな顔をして寄って来る噛みそうにない犬としか遊んでないから」
 「真菌とかエキノコックスとか、犬からうつる病気はどうするんだよ?」
 「それは・・・防げないね」
 「真菌なんて、おまえにうつったらおれにもうつる可能性があるんだぞ」
 「そんなことが怖いんだったら、わたしには指一本触れないでよ」
 「犬馬鹿め。おまえの脳味噌はたぶん半分くらい犬でできてるな」

 埃っぽいゲストハウスの部屋で久喜が吐き捨てたそのことばが、房恵の心を揺さぶった。大学在学中女子学生たちに「けっこうきれいな顔立ちをしてるのに、いつも剽軽な顔つきでいるからあんまりハンサムに見えない」と囁かれていた久喜の顔が、インドに入って以来あちこちで眼にするヴィシュヌやシヴァやクリシュナらインドの神々の絵姿のように美しく見えた一瞬でもあった。
 「ああ、そうだったんだ」思わず呟いた。
 「何が?」 腹立ちの治まらない口調で久喜は尋ねた。
 「ずっと変だと思ってたの。でも、今俯に落ちた。わたしは体は人間だけど、魂の半分くらいは犬なのよ」
 「何言ってんだ。おまえはほんとに・・・」

 久喜は顔をしかめたのだけれど、久喜に対する感謝の気持ちでいっぱいだった房恵は、いつかしら「犬化願望」と名づけた自分の願いを、小学校二年生の時以来約十四年ぶりに人に打ち明けたのだった。
 「性同一性障害ってあるじゃない? 『障害』っていうか、体の示す性別と心の性別が一致していないっていうセクシュアリティね。それと似てるのかな、わたしは種同一性障害なんだと思う」
 「日本に帰ったら精神科の病院に行けよ。医者は新しい病気を学会に報告するチャンスができて喜ぶだろうな」
 すんなり納得するはずもなく、久喜はそう嘲った。
 
 房恵にしても、自分で思いついた病気だし、笑いを誘う話の種として楽しもうとする気持ちもないではなかったのだけれど、体は人間、魂は犬という「種同一性障害」の概念は房恵の特性を理由づけるのにあまりにも便利だった。犬への愛情と犬化願望だけではなく、人間の誰にも、男にも女にも、恋愛感情や性的欲求を抱かない理由まで説き明かせるのだから。おかげで自分でも自分の特性に納得が行き、居場所がはっきりしたという気がして、安心感を得たばかりではなく、感激に涙ぐみそうにもなったのだった。
種同一性障害という病気を、百パーセント信じてはいないけれどいくらかは信じている、ないしは信じたいと願っている。馬鹿みたいだと感じるけれど、自分でも笑ってしまうけれど、この思いつきは手放せない。房恵の心境はそういうものだった。以来、人間との性行為にはますます冷淡になった。房恵を口説きにかかる人間がいると、わたしとのセックスは獣姦なのに、わたしが人間の姿をしているばっかりにわからないんだ、と相手が気の毒にもなれば、そんな気持ちになる自分が滑稽で吹き出しそうにもなるのだった。

 「種同一性障害って言ったって、じゃあ、おまえ大とセックスできるのか?」久喜は何箇月かの間、まっとうに追及した。「できないだろう? でっち上げだろう、そんな病気?」
 「いや、体の種と魂の種が違っているから、犬と人間と、どっちの種に対しても性的に不能なんじゃないのかな」
 「よし、そこまで言うんなら一生言い続けるんだぞ、種同一性障害とやらだって。後になって『やっぱり違ってた』なんて言ったら怒るからな」
一生言い続けられるかどうか断言はできないけれども、あのインド旅行から八年、三十歳になっても房恵の自己認識は変わらず、年を経れば経るほど、自分が人間には「馴れ親しんだ感じ」以上の好意を持てなくて、犬に対しての方が情熱的になる、という確信が深まって行く。ただ、種同一性障害という病気を思いついた当初の喜びはとっくに薄れ、今では、じゃあ種同一性障害のわたしはいったいどうしたら満足の行く生き方ができるんだろう、と考えては、何も思い浮かばず気落ちするようになっている。
 
 性同一性障害であればさしあたっては性転換手術が目標になるのだろう。けれど、種転換手術は技術的に不可能だし、かりに犬になれたとしても、室内飼いでまともな食事を与えてくれ散歩にもきちんと連れて行ってくれる立派な飼主に恵まれればいいけれど、ろくでもない人間に飼われて虐待されたりいばられたり繋ぎっ放しで放置されてはつまらない。野良犬として気ままに生きようにも、日本にいてはすぐに保健所に捕えられ殺処分されるのが落ちで、幸せになれるとは思えない。
実現可能な希望としては、将来犬と一緒に暮らしたいというものがあるにはあるけれど、・・・以下略。
 
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