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選挙とは (1) 秋山清
●「民主主義」の根幹をなす<選挙>について、
   先人の論議をみていきたいと思います。

 先ず、秋山清氏から。日付は1968年です。
 

 **************

・・一体、多くの善良な市民たちは現在のようにくりかえされる議会と政党の不信が、政治家個人による問題とのみ思っているらしいが、そこがまったく私らの考えるところとは逆なのだ。
 1人のすぐれた品性の政治家が仮に存在したとする。その人が、たとえば現在の自民党や社会党のごとき既成政党に加わり、一人前に代議士に当選して、院内で発言できるかというと、これはまったく無力なのだ、政治家-政党-党幹部-代表者というように、下からのデモクラチックな発言や政治的見解によって党が運営され、政治活動がなされている、というように諸君は考えているか。いるとしたらこんな大馬鹿なことはない。
 まったくそんなことはない。政党というものほど独裁的なところはない。たとえば自民党に、なんのデモクラシーがあるか。党と政治との関係は、代議士の頭数を多数集めて、それを総裁の独裁に従わせることにしか、その政治的活動の狙いは存在していない。一度だって佐藤の施政に対する反対が、議会で公けに、自民党代議士から発言されたことがあったか。それは本当は、無いということがまったくおかしいのだ。だが反対が自民党から出た例はない。社会党も共産党も全く同じことだ。

 鉄の結束と党内デモクラシーという美名をふりかざしてスターリンの独裁下におかれたソ連を考えるまでもなく、国家と議会と政党と政治家との関係はまったく同じだ。それは人の意識やデモクラシーの問題ではなく、それはたしかに物理的現象なのだ。

 選挙の季節には「清き一票」という言葉が流行する。「清き一票」とは、自分の意志で自由に、何者にもコントロールされずに投票するということである。つまり自分の意志を自然に政治に反映させるということである。投票によって、清い自分の意志を政治に参加させることが出来る、ということが「清き一票」の意味であるが、こいつが真赤なイツワリなのである。
投票すれば、それっきりわれわれの政治の権力は、彼らのものとなって、われわれは政治(国家と政党)の支配と独裁の下におかれる。佐藤の如き輩を政治の支配者としたことは、われわれの意志が、選挙の間に奪い去られたことでしかない。
 このことは、単に「選挙」におけるわれわれ市民と政党や政治の関係を語ったにすぎない。

 投票による代議制度以前に、では何か良い政治参加の方法があるか。これは「現代の政治は如何にあるべきか」という問題になる。そしてそれはアナキズムの政治論に通ずる。
 われわれは、政治的行動の第一歩として、投票をやめること、やめることをすすめることで、歩み出そう。
 目の前に七月参院選挙がぶら下がっている。それに向けて強力にわれわれの反選挙の主張を対決させよう。

          (『アナルコス』創刊号・一九六八年六月)

 

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