カウンター 読書日記 ●吉薗周蔵の手記11-(4)
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●吉薗周蔵の手記11-(4)

 ●吉薗周蔵の手記11-(4)

 ★東亜煙草社長室に飾られていた佐伯祐三の代表作 

              
                20071101205618.jpg

 
 本稿の前身は平成8年から本誌に掲載された『陸軍特務吉薗周蔵の手記』で、タイトルの通り『周蔵手記』を解読・解説したものである。平成8年の4月号の第1回以来、ひたすら手記の解読を続け、成果は本誌に毎月掲載してきた。周蔵が上原元帥の命を受けて大連・奉天に出張した大正元年5月条の解説はその第34回で、平成11年1月号に掲載された。解読の対象は『周蔵手記』別紙記載の『私文・張作霖氏の美術品を写したる釈明』で、出だしは次のように始まる。「五月六日に家を発ち大連に来たるは、上原閣下の自分に対する親心のやふなものと心得ている。満洲東亜煙草なる会社の設立の権利を、自分にも分けて下さる手筈のための目的であった。大連にて室原重成と会ひ、すべてやっつけて来るやふにと言はれていたが、会ってみると室原さんは自分の先輩であった・・(中略)・・持参なる三万円を渡し、自分も一人前に東亜煙草なる会社の権利者となる・・」。

 右(上)の文から、上原が東亜煙草および満洲東亜煙草なる会社に関与したことは疑いないが、それ以外に手掛かりもなく、第34回は結局『私文』を字義通りに解釈した内容に終わった。ところがその後の調べで、東亜煙草が同年に新会社を設立した事実はないと分かった。つまり満洲煙草は実在したが、東亜煙草が明治11年に設立した子会社であって、大正9年の周蔵の大連行とはまず関係がない。周蔵の義妹池田チヤ(明治41年生)に確かめると、周蔵が関与したのは商号「満洲煙草商店」とのことで、株式会社かどうかも疑わしい。結局、大正9年に東亜煙草の満洲進出計画はあったが、法人化はしなかったらしい。後日、城山三郎の著『鼠』を読み、「鈴木子会社整理方針大綱」が示す関係会社49社の表の中に、「関係密接だが支配株のないもの」として東亜煙草の社名を見つけた。チヤも、東亜煙草の社長室に佐伯祐三の『郵便配達夫』を飾っていたことを思い出してくれた。それは昭和3年、早春のパリで祐三が独力で仕上げた油彩で、佐伯の死後吉薗家に届いた絵の一つである。その絵は、寄贈者の周蔵が東亜煙草に深く関係した証拠となる。高島鞆之助とギンヅルが、日高をダミーーとして間接操縦した鈴木商店は、東亜煙草に対する権利を有していた。それが後年、周蔵に渡ったのである。周蔵が「上原閣下の資本家」と評した日高は、実妹に三軒茶屋に家を持たせ、独身時代の勇作にあてがった。日高妹は勇作の監視役が任務で、勇作の正妻は野津道貫の長女槙子の成長待ちと決まっていたから、入籍はしなかった。高島の姪でもある野津槙子と勇作の縁組は素より、勇作に日高妹をあてがったのも高島がギンヅルの依頼で果たしたもので、日高尚剛はなぜかギンヅルに頭が上がらず、ギンヅルの言うなりにダミーを務めたと『周蔵手記』は記している。

 
 *なお、中ほどの佐伯・「郵便配達夫」の写真は、ブロガー手許の書籍
 からの撮影で見づらいでしょうが、不悪。

 ★周蔵の「満洲煙草商店」はケシ栽培を扱う闇業者? へ<続>。 

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