カウンター 読書日記 ルイス・トマスを読む(2)。
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ルイス・トマスを読む(2)。
●今日のような世界にあっては、世界の富の再配分という意味での公正さについて語るには適当な時ではないし、またここは適当な場でもない。さらにこのような問題はあまり考えたことがないので、私に語る資格があるとも思えない。しかし、少なくとも専門的な立場からは、地球上のさまざまな地域の人びとが、健康上まったく違う環境のもとにある点について何か手をうつ余地があることだけは、はっきりとわかる。さらに、わが国や、いわゆる先進工業国といわれる国々は、このような不公平を是正するために、何かできることをするという道徳的な義務を負っているように思われる。それはもっぱら私たちが社会的な種に属するという理由からである。
 
世界が安定していて予測可能なものであることは自分のためにもなるはずである。そのために応分の負担をするという、政治的な意味での義務を負うべきではないだろうか。発展途上国の病気の問題は、ある点で貧困と栄養不良の問題であり、次いでこれは人口過剰の問題でもある。しかし実はこれは循環している。人口過剰はある面で、病気、貧困、栄養不良の結果でもあるのだ。この実態にせまり、改善するためには、ある論理的な順序を辿ってこれらのすべての問題に手をつけなければならない。これはただ一つの問題ではなく問題が絡みあったシステムなのである。事態を悪化させることなしにこれを変えるのはむずかしいだろう。生活のシステムによく考え抜かれた変化をもたらそうというのは危険な仕事である。ある部分、ある面を補修することは、遠く離れた別の面に何か新しい、より悪い不都合を生みだすことにつながりそうである。
もっとも危険なのは、何かシステムが存在することに気づかずに手を下しはじめることだろう。この場合のシステムは、この豊かな国の国民をふくめ、あらゆる人びとがそのなかの一部となっている。

 しかし問題をあるがままに放置し、自然のなりゆきに任せるべきであると考えた場合に、将来のできごとが道徳的にはもちろんのこと、政治的にみてもどれだけうけ入れがたいものになるか私には想像もつかない。もし多くの人びとが基本的には治すことのできる病気で死に、また多くの場合、病気の有無にかかわらず飢えのために死ぬことなどを通じて、生きる機会を与えられずに死につづけるとすれば、これは、いずれは人の目に触れざるをえない。テレビ局がかけつけるだろう。死にゆく人びとの国の悲劇と混乱がすさまじいものになるにつれて、テレビによる取材はより詳しく、そして持続的なものになるだろう。これが豊かな国々の視聴者の心に動揺を与えるだろうなどというのは、起こりうる反応を低く見積りすぎている。それだけではすまないはずだ。この間、何十億という困苦のなかにある人びとが、住む場所を離れ、国境を越え、どこであろうと食物の匂いがし、生存への望みをつなぐことのできるところを求めての移動を加速させることになるだろう。あとに残った人びとはすでに進んでいる熱帯樹林の伐採をつづけ、ほかの生物が生存の場としている巨大な生態系を消滅させ、はかりしれないほどの全地球的な気候の変化をもたらし、この惑星の生命そのものを脅かすことになる。

 最大の危険は私たちの反応自体にある。自然のなりゆきのままに任せるとしてみよう。ある日問題が解決不可能になっていることを思い知らされるかもしれない。手をいっぱいに突き出してドアに群がる人びとは拒むべき敵となり、昔ながらの殺すというやりかたでしか対処できないだろう。このようなシナリオは今世紀のような経験をしたあとでは、まったく考えられない話ではない。それどころか私たちはこれを、種全体を守るための自然な行動であると自分を納得させようとするかもしれない。私たちほどの頭脳と技術を備えていないほかの動物はときどき「クラッシュ」によって自分たちの数を減らすという手段をとる。「クラッシュ」は、ある種の数が増えすその種が住んでいる生態系のなかの食料の供給を上回り、地球上でその種に割り当てられたスペースから溢れ出てしまったときに、避けがたく生じる破局的な事態に対して用いられる、生態系上の用語である。しかしほかの生物、私たちが「下等」とよびならわす生物は、選択的にクラッシュすることはない。彼らは一時に、いっせいに絶滅するのである。
 
今後百年のうちには、私たちは北極から南極まで、水陸の居住可能なあらゆる場所をびっしりと埋めつくす可能性がある。ある人びとは宇宙空間のことを真面目に考えていて、街や田園までも組みこんだ巨大な宇宙船を銀河系へと射ちだし、うまく他の天体に住みつく可能性を考えている。

 必要最小限のスケールで、私たちに何かできるだろうか? とくに、今日、劣悪で野蛮で貧苦の生活を強いられている多くの人びとの健康の改善のために、私たちは何を計画すべきなのだろうか。ヒトの数をさらに増やすという危険を冒すことなしに何か行動を起こすことは可能だろうか。もし世界中の人びとが私たちアメリカ人と同じくらいに健康で、出生と死亡率が私たちの場合と同じぐらいだったとしたら、地上はどうにもならないほど人間で溢れかえることになってしまうだろうか? しかし何もしなかった場合でも、すべてを奪われ、残されているのは生殖だけという人びとの、生殖への衡動がおもな原因となっている人口の大爆発がすでに抑えられないところまで進行している現状は残る。こう考えるとほかに選択肢はないように思われる。劣悪な健康状態にある人びとの健康改善はとりくむ価値があるように私には思える。とにかくとるべきほかの道は思いつかない。・・中略・・・
  (続く)。


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