カウンター 読書日記 『オールニートニッポン』(13)
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『オールニートニッポン』(13)
 第4章 続き。

 ●おれたちは飲み会の費用が出せない

赤木: だから、そういう運動とかに行って、話が終わって、その後、「ちょっとみんなで飲みに行きましょう」みたいな話になるわけじゃないですか。すると、そうしたところで2000円か3000円かかるわけですけど、それが払える人と払えない人が実はいるんですよ、そこに。今までの労働運動をやっている人たちは、そこに気を使わない。
雨宮: フリーター労組とかプレカリアート・メーデーの飲み会って、公園なんですよ(笑)。高円寺一揆はそもそも最初から路上だし。
赤木: うん、そうですね。
雨宮: 飲み会に左翼のおやじとかと行くと、―人3000円ぐらい取るんです、あいつら。私は今は払えますよ、フリーターのときはキツかったけど。でも、払えない人がいっぱいいるじゃん、フリーターとか無職なんだから。若い人たちでやってるプレカリアート運動の打ち上げなんかではみんなで公園に行って、コンビニに買い出し行って、100円でソフトドリンクもらったり、ビール飲むんだったら500円ぐらいとかカンパして、そうやって超原始共産主義みたいな感じなんですよ。そういうところから作法が違うっていうかね。
杉田: そういうところに現れてしまうのもありますよね。無意識の何かが。
雨宮: やっぱり団塊の世代は金持っているんですよ。3000円の飲み代に困るっていう、そういう世界があるっていうことをまず知らないもん。
赤木: うん。やっぱり彼らは、当然のように給料を得てきたと思うんですね。年上の人が「お金が欲しい」と言うとき、そのお金というのは、自分の生活以上のものを欲しい。車だったら、軽自動車よりも普通車、普通車よりも3ナンバーっていうような。家だったら、遠いところよりももうちょっと利便性のいいところっていうふうな意味で「お金が欲しい」。けれども、われわれの場合は「お金が欲しい」というのは、本当に生活の根源的なレベルで「お金が欲しい」ということを言っているわけでして・・・。
雨宮: 電気・電話・ガスが止まったから金が欲しいって、そういうことですよね。
赤木: その辺の違いが単純に「何かよこせ」というようなことを言うときでも、すごく隔たっている気はしますよね。
雨宮: 私も右翼に入る前後、おじさん方の左翼のそういう運動に関わったりしたこともあるんですけど、フリーターだと本当にお金も時間もないから、呼ばれても会議とか集会とかに行けないんですよね。そうしたら怒られる。私は週に6日ぐらい働いていて1日しか休みがなかったから、せっかくの休みに<おじさん左翼>の訳のわからない会議なんか行きたくないんですよ。でも「その日休みならその日に会議」とかって、すごい強引だし、それで飲み会に行ったら3000円ぐらい取られるし、月収10置ぐらいのフリーターに。
 そういうので、かなり苦労した。そこの断絶はもう10年前に経験している。今のプレカリアートの運動、当事者から始まってすごくいいと思うんですけど、それ以外の左系の上の世代の人たちとは、やっぱりどうしても断絶がある。理解されない部分はありますね。

●誰に向かっての「生きさせろ!」

杉田: 雨宮さんの本の『生きさせろ!』っていうタイトル、これは誰に向けて言っているのかと・・・。国や企業ですか。つまり、誰かへの呼びかけですよね。「あなたたちは私たちを生きさせろ!」と。やむにやまれぬ天に向かっての祈りなのかもしれないけど。
雨宮: そう、結構、天に向かって叫んでいる感じ。国でしょう、企業でしょう、あと、バッシングをするいわゆる大人。フリーターの娘、息子を持つ親。その周りの友達とか。正社員になっちゃったらフリーター・バッシングする友達とかいるじゃないですか。憎たらしい、何かどうしようもないやつが。でも今、生きること自体がすごい難しいというか、条件付きというか何らかの基準を満たしていないと生きられない社会ですよね。たから、すべての人ですね。全部。自殺しようと思っている人に対しても言っているかも、「おまえは死にたいけど、おまえの肉体を生きさせろ」みたいな。
杉田: なるほど。
雨宮: 「生きていちゃいけない」と思わされている人があまりにも多いけれども、でも、全然そんなことはない。私なりいろいろな人が、「とにかくあなたの生存は、もう100%肯定します」と。無条件の生存肯定としての「生きさせろ」。
杉田: 「生きさせろ」って、例えば自立的に「生きねばならない」とか
「共に生きよう」じゃありませんよね。誰かに「分配してくれ」っていう、何かを「くれ」っていう。
雨宮: そうですね。
杉田: 赤木さんもそうだと思うけど、求められているのは、米騒動の米価ような、すごく具体的なものですよね。人権云々もあるけど、その手前の、「5000円くれ」みたいな。
雨宮: 「100円貸してくれ」とかね。
杉田: 赤木さんの感覚で重要なのは、左翼系の人がワークシェアとか
ベーシックインカムに関して何かを語るわけだけれど、自分の既得権を手放すことを考えずに安易に言うな、と,もし自分の人生に水増しがあると自覚しているなら、まずは自分に何がてきるか、どんなに卑近であれ具体的な実行を前提に何かを言ってくれ、と。そういうふうにダイレクトに迫っている。きれいごとでは絶対に終わらせない。例えば今、会場から赤木さんへの批判的コメントがあったとしても、「じゃあ、あんたはどうなんだ」「今そういう質問をしているあなた自身は何をよこせるの?」と。
赤木: 本当におれ言いますからね。ワークシェアとかベーシックインカムとかいうときに、「じゃあ、あなたの仕事を分けてくれ」と。ただ、それはやっぱり理解されないですよ。何か質問をそのまま返しているような印象で受け取られてしまいますよね。だけれども、それは本質だと思うんです。やっぱりお金と仕事がまずなければ、それ以外の生き方の問題であるとか、よりよい仕事と社会の関係であるとか、自分との関係とか、そうした問題というのは関係ないと思うんですよ。その先のことですよね。けれども、何かそこがごっちゃ混ぜになって、例えば自分が「正社員になりたい」と言ったときに、向こうは 「正社員でもこう苦しいんだ」ということを言う。でも、こっちとしては「その苦しいとこもでもいいから正社員にしてくれ」っていう。それこそ戦争にしろ、じゃあ「イラクにおまえら、みんな行かされるんだ」と言われても、こっちとしては「いいよ、行かせてくれ」と言う。それで少なくともお国から給料が出るわけですから、だったらそれでいいかなと思いますよね。

●「おまえは悪くない」で片づけられないこと

杉田: 自分は世代診をあまり信じていなくて、同じ75年生まれだからって変に野合してもしようがないので、いくつか問題提起をさせてください。   例えば湯浅誠さんが「格差ではなく、貧困の議論を」と言うわけです。個人の能力や努力に応じて、一定の格差が生じるのは仕方がない、という言い方はできる。でも、★貧困は基本的に社会の中にあってはならないものだと。規範的な意味をふくむわけですね。「貧困があってもいい」という言い方はできない。★しかし行政は、70年代ぐらいから生活保護の「捕捉率」(生活保護を受けるべき人をどれだけ制度が捕捉しているか)の調査すら公式にはやめてしまっている。大規模な貧困調査も行われていない。なぜかというと、貧困があると一度認めれば、政府はそれらの人々を救済しなければならないから。
雨宮: 金かかりますからね。
杉田: これに対して湯浅さんが言うのは、貧困は本来「自己責任」の埒外にあると。そこでは自己責任は問えないと。はっきりそう言っている。「貧困になったのも自分の責任だろう」という世の中の通念をひっくり返そうとしている。それはとても重要で、なぜなら雨宮さんの『生きさせろ!』でも指摘されていますが、追い詰められた人の多くが「自分が悪い」「こうなったのは自分の責任だから仕方ない」と自分を責めてしまうからですね。
雨宮: きつければきついほど、そう言いますからね。
杉田: 「自分か悪いから仕方ない」とまず思ってしまう、正確には思い込まされてしまう構造がある。これは70年代の運動でも「内なる優生思想」とか「内なる女らしさ幻想」とか言われているポイントですね。まずそれが1つある。そういう洗脳というか呪縛から解放するために「あなたは悪くない」「悪いのは社会や行政の側だ」という認識を当事者に差し入れなきゃいけない。それはすごく大事だと思うんです。でも、確かにそうではあるんだけれど、「すべての責任が社会の側にある」「すべての責任が上の世代にある」という言い方になってしまうと、例えば雨宮さんや赤木さんがそれを人々に対して主張するとすれば、★一種の宗数的な方向へ流れてしまいませんか。
赤木: 宗教?
杉田: つまり、洗脳っぽくなりますよね。「あなたは悪くないよ。悪いのは世の中だからって、これ、カルト宗教と論理的には同じ。追い詰められた人の精神には、「あなたは悪くない」と言ってくれる誰かへの依存と盲従が生じる。確かに、イラクの人質事件以来の自己責任論はむちゃくちゃで、弱い立場に置かれた他者に責任を押し付けるためのロジックでしかない。それはわかった上で、しかし、やっぱり例えば自立や個人の責任というものにはポジティブな何かがありませんか。マンガ版の『ナウシカ』じゃないけど、自立的かつ他者とともに「生きねば」という自分を律する感覚は、稀有なものだと思う。しかも、生活に余裕のある人の自立ではなく、負け組の自立、経済的貧困の中での精神的自立ということを考えざるをえない。つまり、外側の貧困と同時に内なる貧困とも戦うべきじゃないか。もしかしたらこの感覚自体がある種の恩恵や余裕の産物、思い上がりかもしれませんから、そこは正してほしいですけど。ただ、「おまえは悪くない」だけで片付けられないものもあると思う。
雨宮: 私も、あまりに自己責任論バッシングをしているので、「『自己責任論』がどれだけ嫌いなんだ」と思われがちなんですけど、基本はもちろん、人が生きるにあたっては自己責任のもとにあると思っているんです。自分の仕事自体がもうすべて自己責任だから。それもあって私は自己責任論者だったんですね、プレカリアート運動に出会うまで。自分がそうやってきたっていう自負やプライドがあったので。だから、自己責任と言いたがる人たちの気持ちもすごくわかる。でも、そんなものにすがっていてもしようがない。★結局、きついんですよ、それはすごく。自分にも厳しくなるし、他人にもものすごく冷たくなる。そこで優しくない自分がすごく嫌だったんです。もちろん自己責任は基本にはある、フリーターだって、ニートだって、ひきこもりだって、みんなそれはある意味自己責任ですよ。ただ、今は自己責任じゃないものまで「自己責任」と言われて背負わされているから・・・。
杉田: そうですね。それはあるね。
雨宮: 例えば「60%はあなたの責任だけど、40%は社会的要因だ」と
いうふうに分けられると思うんですよね。それを今、全部いっしょくたに背負わせて、背負うほうがかっこいい、自立した個人であるみたいな、そこのロジックに対してはものを言いたいので、「基本は自己責任」というのは変わらないんですけど、多分私が食えなくなったら、「全部社会が悪い」と言って暴れますね(会場 笑)。
杉田: 1つ懸念というか、今後暴力のステージが上がっていくだろう中で、自分が自分であること、何かへの没入や熱狂に染まらないでいられることが大事だと思うんです。最近の生存権運動も、丸山真男の言葉を借りれば、依然ずるずるべったりの「のっぺり反逆」であり「すべてが騒々しいが、同時にすべてが小心翼翼としている」だけなのかもしれない。するとそこでは左も右も、機械的に入れ替わってしまいますよね。赤木さんは、『オルタ』の雨宮さんとの対談で、「貧乏人大反乱集団」とか・・・ああいうアナーキーなムーブメントに対して、人々が連合するのもいいんだけれど、自分としては、むしろ1人でぽつんと、部屋で普通に生活していたい、と言っていますよね。群れることの大事さはありつつも、個人の領域を守りたい、という感じですよね。
雨宮: そう。だから、私、この2人が多分「素人の乱」に行っても、あんまり中に入れないんじゃないかなって(笑)。
赤木: そうですね。自分としては、単純に普通の1人前の大人として生活したい。1人前の大人というのは、やっぱり普通に家族がいて、車持っていて・・・。
杉田: というのは、結構危ういところもある。つまり、生活のどん底から「生活の糧を分配してくれ、お金を分配してくれ、さらに生の尊厳も分配してくれ」と望んだときに、歴史の流れを見ると、そこで一気に(ナポレオン・)ボナパルトみたいな人物が出てくるわけですよ。社会の底辺に置かれたさまざまな人を集めて、その欲望を吸収しつくして、「わかった。あなたたちには金も尊厳もやるから、帝国のために尽くしてくれーみたいな・・・。
雨宮: ああ、そうですね。
杉田: 左翼の人々では分配と言っても限界がありますからね。貧困層や逸脱者たちの要求を一気に吸収できるのは、ファシズムやナチズムだったという歴史があるわけで・・・。若者の左傾化か言われて、最近では「2チャンネル」の世界ですら「右」から「左」へと旋回しているそうですが、そこからさらにゆり戻すかたちで暴力のグレードが一気に振り切れる可能性はある。そういう現実の潮流に対する免疫力のありかは、依然、丸山真男のいう「コチコチの個人主義」にしかないんじゃないでしょうか。赤木さんは今「一人前の大人」という言い方をしましたけれど、それはすごく大事な感覚という気がするんですよね。
雨宮: だから、今のフリーターの解決策が全部「素人の乱」の活動になっちゃうときついんですよ。だって、自分で店やんなくちゃいけないですから。店をやって、居場所をつくって、交渉をして、仲間と交流して、その上でさらに店を維持していくにはものすごい労力がいるし、やっぱりみんなが店をできるわけがない。
 *************
 

★また、この辺で「閑話休題」。
 
 次の節、●「フリーターズフリー」のこと へ進む前に、一言。

 「平等」「社会的公平さ」その最初の前提(条件)について、考えて見ます。

 主な参考書は、ジョン・ロールズの著作で、「正義」とは何か、
 
 特に、今回は、<「出発点」での公平=平等さ>とは何か、ということを

 テーマに考えていこうと思います。  

 
 ★今日は、「明け番」、明日は1年に2度ある「健康診断」なので、
 アップは遅れる(来週になる)かも、です。悪しからず。

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