カウンター 読書日記 秋山清「性と自由について」
読書日記
日々の読書記録と雑感
プロフィール

ひろもと

Author:ひろもと

私の率直な読書感想とデータです。
批判大歓迎です!
☞★競馬予想
GⅠを主に予想していますが、
ただ今開店休業中です。
  



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


秋山清「性と自由について」
 p336-339

・・・ところで、このときからまる10年前、当時21歳の大杉(すでに堀保子と結婚していた)はすばらしい自由恋愛論を書いている。
 「現社会と恋愛とは、氷炭相容れざる仇敵である。恋愛の繊手を縛する鉄鎖は『資本』という嫉妬深い現社会の主人に握られている。恋愛がその美わしき頭をもたげて、自由の野に舞い出でんとするには、 まずこの鉄鎖を打ち破らねばならぬ。すなわちまず『資本』という現社会の経済組織を破壊せねばならぬ。自由恋愛の花は、共産制度の野において、初めてその高き匂いを放つのである。」(『家庭雑誌』明治39年12月)
 「離婚を非認するは、はなはだしき誤謬である。青春の男女は、必ずしも常に、当を得たる結合をなすものでない。・・・種々なる誤れる愛に陥いるものである。この場合において、もし離婚を拒絶するならば、いかにして結合の永久に幸福なるを望むことができよう。故に自由結合は、決して永久的結合を拒否するものでなく、むしろ、これがために欠くべからざる条件である。また、結合に完全なる自由を許さずして、愛を基礎とせる結婚ができるものであろうか。愛は必然に自由を要求するものである。」(同上)
自由恋愛というものはこれらの発想につきると思う。しかし実際はそうはいかない。堀保子、神近市子、伊藤野枝、この三人の女と大杉との恋愛関係の、その時間的な推移と刺殺事件を経て、最後に野枝と大杉の一組に帰結するまでこの有名な事件の筋書の骨子は、10年前に大杉が書いた「予の想望する自由恋愛」のとおりだといってもまちがいではない。ただ不自由極まる経路をへてこの結論に到達したのである。
 自由恋愛(もちろん性の自由ということでもある)について、もう一つ大杉栄の意見がある。
「どうかすれば、もう五年か十年かすれば、こんなふうな内容の、もっとも形式にはいろいろ変わりはあろうが、たとえば同じ自由恋愛でもあるいは一夫一婦のあるいは一夫多妻のあるいは一婦多夫のあるいは多夫多妻の種種なる形をとることができようが、                                    男女関係は、大して珍らしいことでもなくなって、したがって一々その男や女の心持を公表しなければならないというような必要もなくなるのだろう。」(一情婦に与えて女房に対する亭主の心情を語る文」『女の世界』1916年6月号)
たいへんな楽観論といえるだろう。このようになることが、「資本主義社会」を変革しただけで容易に出来るとは私にはまだ考えられない。世間に三角関係、四角関係といわれた、彼を中心にしてもつれた恋愛関係の中でこういっているのだから、つまり古い道徳的規制の下でこういっているのだから、進歩的な意見のように見え易いが、私はいわゆる革命社会も余程未来の方に行かないと、大杉の言うようなこの「自由」は到来しないだろうと思う。そしてその到来の時は、人間が生物としての生命的下降線を辿っているときではあるまいかと思う。「資本」の社会を変革しないと恋愛に自由がないという説に賛成するとしても、また葛藤のない恋愛、一夫多妻、一妻多夫のような状況における平穏は、何かあまりに私を刺戟しない。自由恋愛がこのような無気力な形に花咲くものと考えることは、たのしくない。私は何かこれに反撥を感ずる。もちろん、その事の時期において大杉はこう書いたのであるが、であるとすれば革命家として安易に過ぎる。資本の世の中の法律と道徳と習慣は、その自由主義者の生存をさえおびやかすだろうからである。
 しかし、大杉栄が身動きならぬ恋愛の葛藤のなかにあって、理解と了解によって、上に述べたような形で、自由恋愛と性の自由の具体化を念じたとしても、その安易さのなかにひそむ現実からの遁走の姿勢を、さほど笑えたものではない。何故なら、後にはここに至るまでの実践があったからである。
 私は戦後20数年、1970年代に居る。大杉の多角恋愛は1915、6年である。大正のデモクラシーと戦後の民主主義がともかく経験され、資本主義国家の枠内で、自由が求められて不思議がられない時代である。大杉の時代は自由は叫ばれることも少ない時代であった。性生活即一夫一婦の時代、その下での自由恋愛の実行だったのである。21歳のときの颯爽たる自由恋愛論の、早すぎた実行を助けたものは強烈な彼の自我主義であった。自己がより拡大されて生きたいという欲望、理性的感情的欲求的なる一切をまっしぐらに自己に実践するに当って、やはり社会の圧力に抗し難いものがあったのであろう。神近の短刀はその古い社会の刃であったのではないか。
 恋愛、性、の自由とは、もっとも個人的な問題が社会に規制されるところからの苦しみを伴うものとなっている。戦後に次第にそれへの風潮がつよくなり、欲求は高まって来たが、やはり「自由」からは遠いと思う。社会的規制力のもっとも強大な「国家」が、日本において「家」による呪縛的な圧力によって永くその自由を圧してきたこと、それはまだ現実に力を失ってしまってはいない。どのような形であれ、国家(または社会)が現在の如くにか、それに近い姿で存続するかぎり、性の自由などということは夢でしかない。しからば恋愛の自由はあるというのか。とんでもない。恋愛と性が別のものであるかのような錯覚がわれわれに伴っているこの事実は、この錯覚の中に権力による詐術があるということである。
かつての日本国家は恋愛(精神の)をさえ許さなかった。いまは男と女が手をつないで歩くくらいのことは大目に見ている。だから自由があるというのではない。一妻一夫の否定とか、自由セックスなどといえば、それはまだ異端でしかない。
 私の結論はだから、恋愛にも性のことにも自由は未だない、ということである。その実行があり得るとすれば、それは体制破壊の突破口となり得るはずだ、ということ。           1971年10月5日

    「性と自由について」 <完>  
 

スポンサーサイト


この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
トラックバックURL
→http://2006530.blog69.fc2.com/tb.php/278-ae6f09fa



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。