カウンター 読書日記 秋山清「性と自由について」
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秋山清「性と自由について」
P331~
・・・検事が「要するに彼等は情交に最も好都合な自由恋愛」と告発したものを、弁護士も「その自由恋愛はその実、自由交接主義」と同調的に侮蔑し、神近もまた「心体一致の恋愛ではなかった」と認めて、恋愛や性を汚れたものとする理解の中に片足をつっこんだままであった。
 大杉栄の同志たちが日蔭の茶屋事件で見せた態度もまた、旧道徳的であった。ある者は大杉の醜聞を社会主義運動を汚すものと考え、ある者は許すべからざる不道徳であるかのように怒っている。荒畑寒村も負傷入院の大杉の枕元に立って「大杉の『自我の拡充』はエゴイズムなかかる恋愛沙汰の合理化ではなかったか」と考え、「もう大杉といっしょに歩めない」ことを痛感したことを、後年語っている。誰も葉山事件にまで至った大杉の恋愛沙汰に、アナキストの性の自由という大きな課題を見ようとはしなかった。大杉栄自身といえども、戦後二十数年の今日私たちが、このことを回想しつつ考えるように、性の自由への先駆を自分の行為のなかに見出していたのであろうか。
 日蔭の茶屋の事件にたいする批判としては、検事、弁護人、大杉の同志との他にもっと外側的な世間の目というものもあった。新聞雑誌に現われた識者らのその輿論にたいして大杉は「ザックバランに告白し輿論に答う」(『新日本』大正7年1月)と題する意見を発表した。事件の翌年早々、まだ神近市子の公判中のことであった。それは輿論というよりも、ばくぜんたる世論ともいうべきものであったかもしれないが、そこに大杉の自由恋愛にたいする意見を読むこともできる。また「大杉事件と自由恋愛」というような特集が組まれて二十数人が動員され、そこにこんな意見もあった。
  「どこまでも自由意志で、自己の観望するところを土台として対者を選択せよ、というのが自由恋愛なのです。・・・人の夫であろうが、人の恋人であろうが、好きだから食付いて行くというのは、獣性恋愛です。」(山田わか)
 「性愛は、全然自分1人においてのみ相手の愛を占めていたい要求を持つものである。・・・で性愛とは、ある1人と1人との間で行わるべきものであって、当然一夫一婦たるべきものである。」  (山田たづ)
 「大杉氏が自分の主義がこうであるから、お前が犠牲になれと言うのは、常に平等を云々としている人としてはおかしな言葉である。それは平等でなく本当の征服である。」(武者小路実篤)
 「この痴情事件は帰するところ大杉の奉じている思想の誤謬に胚胎したのである。・・・その社会主義は科学的に健全なる社会主義ではなく、極端なる危険性を帯びる無政府主義的サンジカリズムであった。それがために数回入獄した前科者である。」(一条生)
 「人情は不変のものではない。いったん相愛して、終生かわらぬものもあろうが、また、年とともに相愛のものもある。そうした場合に、いったん夫婦になったからと言って、やむを得ず、共白髪まで睨み合って、添い遂げるなんどは、馬鹿な話、かえって罪悪を犯すものである。・・・日本社会の問題となった自由恋愛の件は欠陥のみな現社会にこれを行わんとした失敗の事件のみである。自由恋愛はもっとも進んだ世においてこそ行わるべきものである。」(坪内士行)
 「私もある意味において自由恋愛を平常から主張しているものである。しかし私の主張する自由恋愛なるものはわれわれが配偶者を選ぶ場合の選択の自由ということで、それ以外の自由を意味するものではない。すなわちいったん自由に選択して結婚した以上は、双方ともにこれに制限をせらるべきものである。」(安倍磯雄)

 これらの意見は、『六合雑誌』『太陽』『新聞の新聞』『日本評論』『ピアトリス』『婦人公論』等に発表されたものであり、当時意見を書いた者はこの他にも十数人を数えるが、概して自由恋愛そのものには寛大な態度のごとくである。にもかかわらず大杉がこれらに対して猛烈に反駁したのは、これらの意見が、当時の社会的現実と摩擦するものとしてではなく捉えられているからである。性道徳という、時代の道徳律の下に自由恋愛を押し込めようとするものにすぎないことを、これらの理解を示すがごとき意見の中に見て、大杉はむしろその見せかけ自由恋愛論に猛烈な反感を示したのであった。たとえば一条生の意見にたいして彼は次のようにいった。
 「先生はいずれヤソ教育者かそれに近いものであるうと思われるから、ここに主イエス・キリストの話をして聞かせる。キリストのヤソ教は、科学的に健全なるヤソ教ではなく、極端に危険性を帯びる無政府主義的ヤソ教であった。それがためについにはりつけにされて殺された大罪人である。」
これなど、現体制順応の姿勢ではどんな自由もあり得ない、ということを明確にいい切ったものである。他の論者たちも、自由恋愛に理解を示すかのような姿勢の如くでいながら、その所説のどこかで限定を付し、それによって結局は自由恋愛を否定するものでしかないことに烈しく反発したのである。しかし世論が大杉らの行為に与しなかったことはあたりまえだったかもしれないのだ。彼の同志らがこの恋愛事件に示した態度は、その人々がそれぞれの形においていわゆる真面目人間であって、その分だけ大杉に比較して、アナキズムにおいて、または社会主義において、あるいは自由への期待において、恋愛の実行において、彼らは遅れていたのであったから。それは社会体制への不同調、反抗の底が浅かったのだといいかえられることかもしれない。荒畑寒村が、「放縦なこの恋愛をジャスティファイするものではあるまいか」と考えたという、その大杉の「生の拡充」の意味を今ふりかえって見よう。
  「生には広義と狭義とがある。僕は今その最も狭い個人の生の義をとる。この生の神髄はすなわち自我である。そして自我とは要するに一種のカである。・・・カはただちに動作となって現われねばならぬ。・・・力の活動は避け得られるものでない。・・・さればわれわれの生の必然の論理は、われわれに活動を命ずる。また拡張を命ずる。・・・生の拡張には、また生の充実を伴わねばならぬ。むしろその充実が拡張を余儀なくせしめるのである。・・・かくして生の拡充はわれわれの唯一の生の義務となる。われわれの生の執念深い要請を満足さするものは、ただ最も有効なる活動のみとなる。
また生の必然の論理は、生の拡充を障擬せんとするいっさいの事物を除去し破壊すべく、われわれに命ずる。そしてこの命令に背く時、われわれの生は、われわれの自我は、停滞し、腐敗し、壊滅する。」
  「僕の生のこの充実は、また同時に僕の生の拡張である。そしてまた同時に、人類の生の拡充である。僕は僕の生の活動の中に、人類の生の活動を見る。」
 これは大杉を明治・大正の社会主義運動の中でもっとも他の者たちと区別することのできる言葉であり思索である。一ロにその特長をいえば、たとえば、社会変革の運動の最中だからそのため自分個人の欲望を犠牲にし、差控えよう、というような、そこここに在る考え方とはっきり対立していることである。自分か出来るだけ自由に、欲望の拡充の方向に生きようとすることと、反抗して現社会体制にたたかいを挑むことは、二つであるべきではない。それは1つでなければならないというのである。また社会運動をするために、世間から指弾されるようなわがままな生き方は謹まねばならぬというごとき思考は、大杉のもっとも反対するところであった。この立場から葉山事件にたいする同志たちや世論を見るとき、そのあまりな落差に目を見はらされる。宮嶋資夫が「たかが女の恋に溺れて主義主張を葬り去るとは、情ない奴だ」と大杉に向かってののしったとき、宮嶋の恋愛にたいする論理はほとんど封建時代そのものであった。★「男は女に溺れてはならない、主義のためには」という彼の考え方の中には男尊女卑が抜きがたく巣食っている。それは当時の目本の社会主義者に共通するものであった。女子と小人は養い難し、ともに大志を語るものでない、とすれば、男児有閑の時に溺れるもの、
いいかえれば女を男の玩弄物視する思想にまだ片足をつっこんでいたのだ。
 大杉の「生の拡充」を、この男対女の問題にもって来れば、男女は対等に互に自我を生かしきらねばならぬという主張であり、革命運動の中に置いて考えれば、運動のために自分の欲望や生命を投げ出せばいいというのではなく、運動することが自由の欲望を満足させるものでなければならぬと同時に個の自由、個の満足がその中に在るのでなければならぬ、ということになる。それは社会運動のためには犠牲になるべきだという青白い思考を排して、逆にその運動の中に自我を生かし切ろうとする思考なのである。アナキストとして自覚していても宮嶋や山鹿泰治は、おそらく、社会運動のために自己の欲望(この場合は恋愛と性の自由)などは差控えるべきだという思考の側に与したにちがいない。これは私の想像であるが、ふだんの座談であれば、話題として彼らもそれくらいの自由は理解し得たかもしれない。しかし、スキャンダルとしてこの上ない爆発をした「大杉刺殺」と、そこまでに至ったいわゆる大杉の多角恋愛が世間に表面化した途端に、彼らの中の極めて古い道徳性が、野枝を殴らせ、大杉をののしらせたのではあるまいか。男女平等、性愛の自由を語りつつも、その出現が社会に指弾されたとき、これらの道徳的で潔癖な人々は、とつぜん躓いたのであろう。彼らのその折の怒りと行為は、世間の大杉らにたいする思惑に加担するものでもあったのである。
 ところで、当時者である大杉栄は、いったい恋愛や性の自由について、そのことの現実とのかかわりについて、どのように考えていたのであろうか。
    (続く)
 

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