カウンター 読書日記 秋山清「性と自由について」
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秋山清「性と自由について」
 性と自由について  P326~331
 

・・ここに、面白い記録がある。・・

 「……被告(註・神近市子)、栄、野枝の三人は自由恋愛の仮面の下に情夫の争奪戦に耽り居るものにて彼等三名は二六時中恋愛研究に没頭し醜陋なる生活を送れるに他ならず、取も直さず彼等は★色情狂に過ぎず、大杉栄は有数の社会主義者というも抑も何事をかなせる。要するに彼等は彼等の情交を続くる上に最も好都合なししを以て自由恋愛を唱うのみ。普通の殺人犯と目し差支えなし。
  意義の広狭を問わず、原因は嫉妬なり。・・・要するに三人とも★畜生道に落ち禽獣に等しきものなり。・・・」

 これは大正6年3月の横浜地方裁判所における検事の論告である。面白い記録といったのは隔世の感があるということである。自由恋愛の仮面、情夫の争奪戦、二六時中恋愛研究、取りも直さず色情狂、等の言葉は、そのような形容、表現を用いざるを得なかった論告者の、性とか恋愛とかにたいする観念の根底を語りつくしており、それが、ある道徳を要求する階級的優位者の側のものであることを明らさまに示していることで、いっそう私は興味ふかい回想を強いられるのである。恋愛あるいは性の行為一般をひっくるめて、劣情と唱えた精神的風上の奥底を覗かせている。

 神近市子の弁護人(鈴木富士弥)は、検事の論告にたいして、神近における刺殺の動機は「嫉妬である」と主張して、
   「嫉妬とは憤怒こそ主因にして、市子の憤怒は全部大杉の不誠実に対して発せるものなり。大杉には被告を愛するの誠意なく、当初より単に其肉を弄ばんとせるものなることを知るべし。彼の自由恋愛は其実自由交接主義なりしなり。而も被告は熱烈に大杉を愛したる故に相手の仮面悉く剥落するに及んで甚だしく憤怒を発せる次第なり。」
といったのである。
 検事と弁護士は、被告をめぐって対立していて然るべき言論が、ある共通な観念とその上の共通な理解に立つ同族的なるものであったことを、そのときどこまで自覚していたであろうか。それは性の自由のあまりに道徳的な理論でのみあったということである。「生の拡充」という個人主義的な主張が大杉のアナキズムの強い柱の一本として在ったのだが、認めるにせよ否認するにせよ、その論理の個人主義的な強烈さなどは、根っからここでは問題とされていない。ただ法律―それを支える道徳と生活的慣習とその観念に立つ論告であり弁護でのみあった。大杉における、神近における、自我はいささかもここではその存在を認められてはいない。弁護人よりも被告(神近)の方がはるかにナイイブであり、毅然たる意見と態度であった。
 神近が、「私の行為が、不公平な異性への反抗の為め世の婦人に代って敢えてしたと言ったなら如何にも立派に聞こえるかもしれないが、正直のところ全く『嫉妬』が大きな理由の一つである。」と認めたことは快いほど堂々としている。はるかに回想すれば、このとき神近は大杉をさんざん批判したが、その批判よりも、検事の諭告と弁護人の言葉にたいして、はからずも次元のちがう問題であることに触れたことの方が、現代的な発言であったかに見える。少なくとも恋愛と性の自由を否定する論告と弁護の言葉に対立するものであった。このとき神近は大杉にたいしての自分の思いをこう述べている。
「これを単純なる嫉妬―愛人を他に奪われる妬みからのみ出た殺意と解釈されるのは堪えられない。嫉妬を抱いたのは事実だが、あの最後の晩に大杉が公平に自分の気持を話して、どうしても貴方とは手を切るほかにないのだと言い聞かせてくれたら、もちろん悲しみも嘆きもしたろうが、少くとも殺意は起さなかっただろう。」

 こういった神近と、弁護人と検事との三者三様の形で、大杉は非難されている。ここにもう一つ、大杉の同志たちの非難を加えるなら、まさに四面楚歌である。
 これらのなかで一番いいのは、現在から見て、前にもいったように神近の公判廷における陳述である。すくなくとも恋愛と性の自由を否定するところはなかった。四囲の者たちは検事から同志たちに至るまで、彼らの性の自由の思想に否定的であった。アナキストであった宮嶋、山鹿らに至るまで、彼らの意図の如何にかかわらず検事と意見を等しくしていたのであった。
そして私は、なによりもここで、神近市子の恋愛と性の自由についての意見に注目したいと思う。神近が自己の刺殺行為の基に嫉妬の大なることを自覚し、それをかくさず自陳したのは見あげたことであった。嫉妬は女の秘むべき感情であるとするのが、日本の女に課せられた永年の道徳律であり、神近はそのことにも抵抗したが、しかし公判廷では、大杉にたいして以下のように陳べている。
 「やはり(刺殺の)根本的な動機は、大杉が長い間理論を弄び、私の感情を踏みつけたのに対する憤怒だと思う。・・・私は大杉と恋愛する前長いこと大杉を尊敬信頼して居り、恋愛関係に入ってからも通例の恋する人々とはよほど性質の違った愛を分ち合って来たと信じている。だからあの晩、私が大杉の全人格から流れ出るべきはずの愛の基調の不純だったことを知り、しかも味わった失望憤怒の内容には世間にいう嫉妬以上の種々な気持の加わっていることは勿論である。」 神近はこれにつづけて「利己的な愛で野枝が私の愛し合っている男を横から奪おうたって素直に渡すものか、という感情があった」「嫉妬は人間の一番いけない恥ずかしい感情だとは考えられない。だから嫉妬だけが兇行の原因だと非難されても、私は恥ずかしくも心苦しくも思わぬ」と割切ったことをいっている。私は神近のこの言葉は大正期の女の発言として堂々たる意見だと思う。ただどうしても私には神近にたいしてある批判的意見が伴う。それは大杉についてこういっているところである。前記の「通例の恋する人々とはよほど性質の違った愛を分ち合って来たと信じている」「大杉の全人格から流れ出るべきはずの愛の基調の不純だったことを知り」等について、私はこれではけっして、如何なる瞬間においても恋愛至上の思いではなかったと思う。つまり神近の中の女性は、女らしく恋にも性にも燃えあがったとはいえないのではないか、とうたがいたくなる。

 「市子はだまっていた。ショックの後には憤りと屈辱が咽喉元までこみあげてきた。考えたこともない保子の立場がはじめて胸にきた。市子ひとりの事でさえ、おとなしい保子が半狂乱になるほど傷つき、決して心からそれを認めてなどいないという状態を市子ははっきり思い浮べた。保子がその上、まだ野枝と夫との新しい恋愛をどうして承認するだろう。大杉のいい気な恋愛理論が市子にははじめて妻の外に妾を何人でも蓄えて恬然としている男の獣的な我ままとしか考えられなくなった。大杉はいつものように、むしろ、野枝との新しい恋の発展過程に興奮した情熱をあらわにして、当然のように市子を求めた。市子はどうしてもその夜、神経も欲情も大杉に随いてゆくことができなかった。もともと市子は、大杉と肉体関係に入って2ヶ月あまりになっていたが、一向に性愛の慶びというものにはめざめていなかった。精神が大杉への愛にあふれているから、愛する男の欲するものを与える喜びが湧くという程度に、その欲がはあくまでも観念的なものだった。キリスト教の教育で育った市子には性愛を不潔視する少女趣味的な感覚がまだのこっていて、性行為は、一種の義務的な習慣のような感覚でしか捕えられていなかった。」(★瀬戸内晴美『美は乱調にあり』)

神近が「愛人を奪われることの妬みから出た殺意と解釈されるのは堪えられない」といい、また「通例の恋する人々とはよほど性質の違った愛を分ち合って」といったところ、そのような恋愛であったといったことに、かくされた問題があったのではないかと私は気がかりである。世間の思惑も、体裁も、自分の日頃の地位や立場から来る気構えなど一切を振りすてて、大杉とすれば妻のあったことさえその瞬間に忘れ、神近とすれば「通例の恋とは違う愛」などということを忘れ去った、そんな情感の湧き立ちがあったら、この事の紛れはもうすこし異なってはいなかったか。教養とか学問とか、見識とか、社会主義とか、そんなものをある短い時間に振りすてて、ただ一人の男とただ一人の女であることを現出し得る者同士の間に於いてはじめて、恋愛も性の自由も有り得るものではあるまいか。そのとき理性と感情との区別は失われなければならない。その余の時間はすべて、その時のためにのみあるのでなければならない。これは私における一個の理想論であるが、この理想主義―恋愛至上あるいは性の自由―から、神近の以上の言葉、彼女の大杉との性愛にたいする反省は、あまりに離れすぎてはいなかったか。
 
 小説『美は乱調にあり』の中の、私の引用した部分は、このような理解を伴った充分の表現であるように私には考えられる。公判廷の陳述で、自分の嫉妬を認める発言をしながら、一方に没我的な恋愛ではなかったことを主張している。これは多分間ちがいのない事実であろう。事実であったからこそ神近は、野性味に富んだ伊藤野枝の、女と男では極端に対する態度がかわったという、その捉われざる「女」の表現とその内なる「女性」に、見事に敗北を喫したのではあるまいか。
いいかえれば、たしかに恋愛や性の自由について、神近は検事や弁護士とは一線を画しているかに見えながら、それは社会制度やその基調となっている封建的な感情の面においての落差ではあったが、より深い意味において性の自由をわがものとした見解ではなかったようである。日本の封建臭のつよい、家を中心の恋愛や性の問題に比べては、神近のキリスト教的教養には自由の幅のひろいものがあったが、それは自由をその限界内において捉えるものでしかなかった。だから大杉との恋愛を許し、喜びながら、性の喜びとすることのできない教養的な観念論に支配されるものであったのであろう。
  (続く)
 

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