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(続)夢二と大杉 大正の恋愛
(続)夢二と大杉 大正の恋愛 p308~314
 *順不同となり、申し訳ありません。
 この一節は「問題の箇所」の一節に続くものです。
 

・・・この二つのこと、結婚の「誓約書」ということと、またその中身として自分だけが「ほかの女といかに関係してもかまわない自由をもつということ」が抜き出して語られたことの無態さにはただ驚歎のみがある。アナキストは「おれは何人女をつくってもいいが、お前はおれ以外に男をつくっちやならん」というように、自由を我に保証し、不自由を他に強制するような発想を全く保有しない。他人が自由であればこそ、われも自由であることができる、と考えるのでなかったら辻棲があわない。彼らがその甲羅に似せて掘った穴が、「大杉の誓約書」という奇態な発想となり、出席者の誰ひとりもが、それを疑問とし得なかった無残につながったのである。
 んな古い話をひきずり出して紹介するのは、夢二や大杉が表面化して主張した大正の恋愛観が、当時どんなに無理解の中に非国民的な思考として抑圧されたであろうか、と想像せざるを得ないからである。
 また、恋愛とはあくまで好いた惚れたの(ママ)個人感情に発するものでありながら、またその失敗も成功も個人間の問題のごとくでありながら、その実は社会の問題でしかないことを、自由恋愛への弾圧の歴史によって知ることだってできる。そのように理解するのでなければ、なりよりかまわず、ある理想主義に生きようとした大正の先人たちの人間らしい苦闘をも理解することはできないのだ。
 私はアナキスト大杉栄や自由の画家竹久夢二の、大正における先駆的な恋のいきさつに目を据え、その歴史的意味を考察することを広く諸君にもすすめたい。その実態に迫ることはそれはまた現代のわれわれを取り巻く大きな不合理と非人間的な政治の問題に迫るひとつの方法、必至でうつくしい論議だろうと思うからでもある。
私は大杉栄が、彼の一対三の恋愛問題に当面するに至った径路とその成行とについて、私なりの観測と結論を求めようとしている。
先ずこんな順序になるだろう。

★大杉には年上の妻堀保子がいた。そこに神近市子との恋愛が始まった。才能ある婦人記者神近市子は新しい女性として大杉の注目をひくに足るものをもっていた(当時運動と経済生活との両方に行きづまった大杉がしばしの慰安を、近づいてきた若く新しい女性の神近に求めたのであろう)。若い女性、新しい女性が、気力に張切った男をとらえるのはありそうなことである)。
 大杉はその前進的な、自由を求める才能を見守って夙に辻潤の若い妻であった伊藤野枝に注目し、好意を寄せていた。野枝もまた辻潤がいった「大正の風雲児大杉」に魅かれるものがあった。すでに心情的に恋人同士のごとき思いを互に認めつつあったことを後日に告白している。
しかし妻ある身の大杉は神近と恋愛し、さらに伊藤野枝は話し合いの上で辻潤と別れて一人立ちすべく家を出た。安成二郎が雑誌『女の世界』で伊藤野枝、神近市子の二人と大杉栄に、この三人の恋愛感情が、やがて今後に如何に具体的に進められるものであるかの意見を求めて発表したのはこの時であった。大正5年の『女の世界』6月号には「一情婦に与えて女房に対する亭主の心情を語る文」(大杉栄)、「三つの事だけ」(神近市子)、「申訳丈けに」(伊藤野枝)の三つの文章と、この破天荒とも                                             いうべき恋愛問題について自身の意見を述べた安成二郎の「大杉栄君の恋愛事件」(すでに紹介)が掲載されたのである。ここではまだ私がそれについてほとんど触れていなかった神近市子の意見をかえりみたい。神近が葉山の旅宿で大杉へ刃傷に及んだのは、このときから6ケ月ほど後であった。
 私はその神近市子の「三つの事だけ」から次のニつをとくにとり上げる(それは安成への手紙として書かれている)。
「一昨日私は大杉さんに逢いました。あの人はあなたの御依頼になる今度の原稿を書いておりました。そしてそれに書く要があったと見え、『あなたの気持は改めて聞くまでもなく、今迄可成り好く話もしていたから大抵私が考えてる通だろうが、野枝さんから来た手紙に、あなたに就いての事が詳しく書いてあるので、一寸あなたの野枝さんに対する今の気持を確かめたいから、言って見ない?』と言って野枝さんの手紙を出しました。それには前便で私に対して好意と友情を持てそうだと書いてあり、後便には『前便にはああ言ったけれど、矢張り自分にはあなたを通じての神近さんであり、神近さんとあなた、私とあなたとの関係は各自独立している』といった様な事が書いてありました。・・・3人の間に取り残されている解決の多くは、主に此事に関っていると思います。それで私はもう少しこのままに自分をも人をも凝視していたいのです。・・・
ここらで私は自分が恋愛ないしは結婚生活というものについて持っていた気持を、お話して置く必要があるだろうと思います。私は昨年の夏頃から結婚生活というものが、決して男女の幸福を永続させるものでないという事を判然考え始めていました。結婚生活に就いての私の疑問は隨分以前からの事で、それは主に私の愛している姉夫婦の生活に見た実際に依るものです。・・・とるに足らぬ可笑しい位の原因が夫婦を一時的に仇敵のようにして了うのです。そしてその争いは年々より烈しく、数も増して行くのです。性格の相違か、生活の不安か、生理的の理由かとも思えますけれど、その複雑な気持ちの知れぬ私には、唯夫婦であることがその原因と考えたのです。そのほかに孤独を好む私の性格は、愛人とでさえも朝も晩も共にいるという事は考えた丈でも私を疲労させる事で、そんな事から全く結婚生活というものには、心を引かれた事はありません。・・・
大杉さんに対する気持は、今は非常に静かです。あの人に逢って居れば、私は少しの不安も動揺も感じません。今はあの人を見て居れば、私は自分の成長と攫取(かくしゅ)とをさえ心掛けて居れば好い様です。」

大杉よりも、伊藤野枝よりも、この文章で見るかぎり神近市子の心情が最も初々しい。すでに子の母であり妻である野枝や年上の妻との十年もの生活をもっていた大杉に比べて、妻子ある男と一度だけ恋愛したという神近の方が心情的に初々しいとしても、それはあたりまえのことだったかもしれない。
この三人の手紙や手記によって、座談会「近代日本文学史」でいわれたような姿の多角恋愛の存在は、形としては当事者によって語られ、その中身が、前人未踏のごとき「いい気な」ものらしく見えるということも事実であろう。妻ある男をとりまいて二人の女が、わが恋心を語っているのである。これだけで品行方正な愛と結婚の理想主義者たちを驚倒させるには十分であっただろう。しかも彼らは互に人格的に独立し、経済的にもひとりで自分を賄って行くという。世間の男どもから見たら、何とうらやましい大杉であろうか。鼻もちならぬいい気さ加減でもあっただろう。
 昭和の大戦争後の一流評論家たちでさえ、このことを目して(手前流に解釈して)「非常に男性中心の自由論なんですね」「男女同権という観念が単純で浅くて……」という、軽々しい理解でしかない。・・・

軽々しい理解とは何事をいうのか。
結論からいえばこれは軽々しい試みであったかもしれない。だが失敗したから軽々しいのか。失敗を覚悟してやった冒険であっても軽々しいといえるのであるか。この試行の恋愛事件は、どんな新しい試みを敢えてしたのであったか。そのことを私の知るかぎりでは、その異常な一対三、あるいは一対二の男女の関係の中で意識して、未来に向けて試みた、というそのことの評価はまだなかった。未来の歴史に向けての、恋愛による実践的な行為であったことに言及した者は、その時から現在までの、日本の社会主義者の中にもいなかったようである。
多角な男女のかかわりとは、ブルジョアその他の社会におけるブルジョアどもの爛れた愛欲の現実であるなどとわれわれはいい切れるであろうか。一夫一婦という形のいい理想が、永い人類の歴史の末に今もってひろく形式的に守られているには、十分にそれだけの理由あってのことではないだろうか。

それは多角的な恋愛は人類の歴史の過去には必ずあり、そこから進んだ形で1対1が出現した。男女の社会的地位が変動しても、権力者から下層の社会に及んでも基本形としてどうやら維持されてきた。第一に経済的な問題、生活様式としての家の問題、地域社会の安全保証のための必要等々が考えられもする。家の基本としても一対一がもっとも簡便で明快である。つまり社会と国家のための存在として今後も維持される必要がある。国家が権力と支配の絶対形式となっている現在でも、家による支えが覆えされないかぎり、一対一は男女の結婚の形式としてもっとも現実的で民衆的である。

震度二くらいで、とても地殻を奔騰させるには程遠いが、その揺れを感じたものがいないだろうように、自由が近代人の要望に現われて以来、如何なる人の生涯にも恋愛の自由が、考えられなかったということはなかったであろう。第一の結婚に至るための恋愛の自由はどうやら世上の常識の線まで来つつあるが、一たびの恋愛と結婚の後の、次のものへの自由はまだ容易に、普遍的なものというまでに至っていない。現在の日本憲法は離婚と結婚の自由を認めており、当然再婚以後のことも許されているはずだが、現実にはそれはまだ多少の困難の中におかれている。いうまでもなく、自由がその線にまで、その境域にまで達してひろがることは、現在の日本社会の安定をゆさぶることが目に見えているからである。

大杉栄は、再婚などということではなく、一対一の結婚という形式を破ることを考え、その実行を語り合ったのである。しかし大正のセンチメンタルな自由主義にはむずかしい愛情というものが絡まねばならなかった。大杉らの多角恋愛はそのことによって、内と外から非難され、妨げられて破局に至ったのである。多角恋愛の同志であった神近市子が、大杉中心(このとき堀保子はすでに妻としての圏外にいた)の三人の関係のなかで、愛情の不均一に女らしい不満を自覚しつつあり、やがて野枝による敗北を意識して、ついに日蔭の茶屋の一夜、大杉を刺殺せんとするまでにエキサイトしてしまった。
殺人罪(未遂)に問われて神近が横浜地方裁判所で述べた言葉は、それはそれなりに私は気に入っている。大杉栄を刺殺せんとしたその動機について聞かれたとき、じつに毅然として彼女は「私は嫉妬に狂って大杉を刺した」と笞えている。大杉を中にしてもっとも近代的な恋愛とそれを生かすための生活とその相互関係について考慮をめぐらしながら、大杉も伊藤も、そして神近市子も、この言葉の前にあまりに見事に敗北したのだと私は思う。平均ということの嫌いなはずの大杉栄がこのような手ぬかりをした、ということは、チョツと舌打したくなるような、愉快な思いに導いてくれるところがある。愛情の平等化、波風たたぬ恋愛なんて何にするものぞ、ときっと考えたことがあるにちがいない大杉ではあるが、この時はしばし、奇妙に卑近な理想主義にとらえられたらしい。

 私は、多角な恋愛が成立たぬなどと主張しようという気はない。それは可能性のあるものだと思う。しかし大杉のこのときの構想は静止的である。流れ来るものと流れ行かんとするものとの一時的なバランスを、やがて崩れて形をかえることの必然において考察したのでなかったとすれば、わが大杉栄、のとんだ軽はずみである。
 私はいつの頃からか、辻潤の妻であった伊藤野枝と心情的に恋愛し、肉体的に神近市子にひかれていた大杉が、世間のうわさと世評のかまびすしさの中で、堀保子の始末も出来ないままに、いくらかやけ気味に、いくらか虚勢的に、愛の平等などという奇態ないいわけを止かなくしたのではなかった
かと思うことがある。しかしこの中にただ一つ明瞭にいえることは、世評にかまびすしかった「女性の人間性に思いやりがない」とか「女性の生理条件を無視した」のではなかったということである。むしろその逆である。一夫一婦の制度と習慣をこわすこと、でなかったら男と女の関係の自由は、恋愛にも結婚にも生活の上にも、不可能だと考えていたであろうことは確かであろう。

 ★夢二と大杉ー大正の恋愛(三)完
 


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