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(続)夢二と大杉 大正の恋愛
                   IMG_0101_1.jpg
              
★秋山清著作集第7巻 p298~304
 

二.
 いわゆる「冬の時代」の下で大正元年(1911)にその時大杉と荒畑がはじめた『近代思想』は大正3年の9月にひとまず廃刊となったが、その『近代思想』を愛読した伊藤野枝は、その当時十九歳で辻潤の妻、1月に長男の一(まこと)を出産し、その頃から無政府主義者エマ・ゴールドマンの著書などに親しみはじめ、大正4年には、平塚雷鳥から『青鞜』を引きついで編集経営に当たっていた。その当時大杉と往来して恋愛感情の芽生えを感じたが、次男流二を出産した後、大正5年(1916)4月に至って辻と離別した。野枝が「貞操に就いての雑感」を『青鞜』に発表したのはそのすこし前のことであった。
 「在来の道徳の中でも一番婦人を苦しめたものは貞操であるらしい。
 私は今まで……私自身のちゃんとした貞操感というものは持たなかった。……
 ……そうして最後に私が従来の貞操という言葉の内容について考え得たことは愛を中心にした男女の結合の間には貞操というようなものは不必要だということだけであった。
在来の貞操という言葉の内容は『貞女両夫(二夫)に見えず』ということだとすれば私はこんな不自然な道徳は他にあるまいと思う。・・・例えばここに良人に死に別れた婦人がおるとしてもしもその婦人が死んだ良人に対していつ迄も同じ愛が続いていてそれが動かすことの出来ない握力強いものであるならばそれはその婦人にとっては独身でいることは不自然でなく普通な事柄であるといわなければならない。・・・貞操という道徳観念をその人達の頭から取り去ってしまって欲するままに動かしたらきっとその人達がよろこんで相手をさがすことは必定である。またそれは決していけないことではないと私は思う。極めて自然な事柄である。

 最も不都合なことは男子の貞操をとがめずに婦人のみをとがめる事である。これは最も婦人の人格を無視した道徳であると思う。・・・男子に貞操が無用ならば女子にも同じく無用でなくてはならない。・・・ところがこの不公平な見解が一般の婦人達をして大変な誤った考えに導いた。」 

 ここには、大正の恋愛観のなかのもっとも自由の方向へ進んだものの基礎が、まず述べられている。日本の道徳観の下で、婦人だけが重荷を負わされているという事実を、早く確信をもって直視している。この婦人を縛る道徳は、それの一方を辿ってゆけば、家につながり、国家につながる。国家の特別な日本的性格といわれる天皇制なるものが、家の仕組の、非現実この上ない封建性の上に出来あがっているものであることにつながり、このことを横に辿ってゆけば、家、身分、地域、のつながりによって、個性の確立と近代的自我が否定され、またその自由が閉塞されざるを得ず、さらには男と女の自由の大きな落差を如何ともし難く固定する。女は男の奴隷なのであった。そこから「貞女両夫に見えず」となり、男の蓄妾の習俗となり、姦通罪における男女の不平等ともなっている。

 伊藤野枝は★十九歳の若さで、この問題を自己において解決していた。当時の社会道徳論が彼ら(大杉を中心とする三人の女たち)の間のいきさつを、正視することさえ出来ず、だからそこに主張されていること、解決されようとしていることを、まったく理解できなかったのは、日本の国家権力の人間性に対する圧力の賜であった。大正3年4年の頃、大杉には年長の妻堀保子があり、婦人記者として注目されていた神近市子との間に恋愛があった。伊藤野枝はその以前から大杉に思想的共鳴を感じはじめ、心理的に親密度を加えてひそかに期待するものがあったという。大正3年9月に『近代思想』廃刊の後、労働者向けの月刊紙『平民新聞』、つづいて社会思想誌として第二次の『近代思想』を出して、ともに弾圧のために動きがとれなくなり、暗い前途に佇立するかに見えた大杉には、このとき神近市子への傾斜と伊藤野枝との親密度の進行も、止めがたく見えた。
 「大正4年11月、郷里今宿(福岡県)に帰って辻潤君との間の次男流二を産んだ。その間に大杉君は神近君と『淡い恋に戯れ』て、運動の弾圧から来る鬱憤に捌け口を与えたりしていたが、一方、野枝さんの面影は次第に彼の心の中で濃度を増して行き……」と安成二郎(★「野枝さんの一生」『無政府地獄』)によって書かれたような状態の後、
「そして四月に、野枝さんは辻君と合意の上で別れ、赤ん坊の流二をつれて千葉の御宿に行って、そこで約束の大毎の原稿を書き、ひとりで立ち上るうとしたのであるが、世間はまだ、そういう場合の婦人の立場に理解を欠いていた。彼女は新聞の非難を浴び、友人からは見棄てられた。野上弥生子、平塚明子は野枝さんの尊敬し信頼する先輩であり、彼女たちも若くて才能ある野枝さんを愛していたのであるが、大杉君との恋愛から全くの他人になってしまった。そのとき野上女史から野枝さんに宛てた非難の手紙は私の手許にあるが、それは非常にきびしいものである。」・・・
 ということになったのである。平塚、野上という当時のすぐれたこの二人の婦人知識人すら、真正に恋愛の自由が、習慣的な社会規制や道徳と対立したときは、その前者を完全に認めるまでにはまだ十分到っていなかった、ということのようである。このとき話題の中心となったのは、一人の男大杉栄を中に三人の女が鼎座の姿でいたということであった。安成二郎は自らその編集に携わっていた『女の世界』でこの問題を採り上げて、大杉、神近、伊藤というその渦中の人の意見のほかに、自分の意見をも添えて、注目すべき次のような見解を述べている。
「僕も世間並みに、神近君との関係を生じて保子さんと別居した大杉君は、野枝さんとの新関係で再び神近君と絶ったものと思って居た。それでは、内容は別としても、形式に於ては、岩野泡鳴君でさえもやる事で、少くとも僕にとっては大きい問題ではない。・・・僕に野枝さんが少しばかり話した。・・・★大杉君との関係が今度の家出の動機にはなったが、それが私の家出の理由の全部であると思われるのは自分の意地が承知しない、という意味であったと思う。昨年の二月、野枝さんは家庭に起った事件(★註・辻潤が野枝の従姉と肉体関係をもったこと)のためにそういう決心をしたのである。・・・が、それを別にしても、家出の理由は家庭にある。・・・大杉君との交際は  辻君の束縛の綱をいよいよ厳重にさせた。ニケ月の苦悶の後、一夫一婦論を擲って情婦として大杉君の許に走った底にはこういう家庭の事情があった。」(安成二郎「大杉栄君の恋愛事件」『女の世界』(大正5年6月号)また安成二郎はこの一文のおわりに、以下のような意見を書いた。
 それは注目すべきものであった。

 「山本勇夫君の『自由恋愛か恋愛の自由か』、江部鴨村君の『制度の罪か』が共に世界新聞に出た。が、矢張り双方とも事件の全体に触れていない。『野枝子と大杉君を争って一敗地に塗(まみ)れた△△女』と書いている事実の真相を知らない江部君の出発点は、ついに大杉君の恋愛観にも、神近君の心にも、野枝さんによって擲たれた一夫一婦制の思想にも徹底的に触れさせずに終った。・・・6月の『新潮』には、赤木桁平(こうへい)君の『大杉栄・伊藤野枝事件を評す』が載るそうだ。どこまで事実を知っているであろうか。」(同前)
 いま、これらの批評や意見をたずね求める時間を持たないが、「擲たれた一夫一婦制の思想」という安成の表現によって、どうやら推察されぬものでもない。しかし私として、野枝の意見と行動を「一夫一婦の思想を否定した」というだけのものとして受け止めたくない。それはもっと幅ひろくさらに積極性あるものとしての理解を要求するであろう。

 大杉栄をめぐる恋愛事件といえば万般にその大詰が日蔭の茶屋の、大杉を神近が刺した事件として知られていて、どのような径路で、そこにまで至ったかは、まるきり知られていない。だからここに、伊藤野枝の立場と安成二郎の言葉を紹介したのである。いいかえれば、殺傷事件に至る間に、それは短い時間ではあったが、大杉と他の三女性の間に、ある感情とその処理についての意見のバランスが存在した時間があった。いや、ある感情をバランスさせようとした時期があったのである。それは当時の常識からすれば土台無茶なことだったかもしれないが、そのような、この多角恋愛についての積極的な努力が、当事者間にあったのか、ということは、ふりかえって考えてみるに足るものであろう。


 大杉によって雑誌『女の世界』(大正5年6月号)に発表された「一情婦に与えて女房に対する亭主の心情を語る文」の中には、以下のような伊藤野枝の大杉に宛てた言葉がある。
「本当に平凡な事実なのですけれども。保子さんといい、神近さんといい、私といい、皆インディファレントでいられる筈だと思います。そうすれば、猶一層よくあなたを理解し合おうとする皆の努力があれば、そこで初めて完全に手を握ることが出来るのだと思います。」
「私としては、保子さんとも神近さんとも、本当に手を握りたいのが望みです。神近さんには、  会ってよくお話しすれば、そこまで進めるかとも思います。ぜひそうあらねばならぬと思います。  そうして初めて私たちの関係は自由なのですね。」
この野枝の柄になくたどたどしくも見える、しかしはっきりした意志表示の言葉にたいして大杉は、同じその文章の中で、次のような考えを述べた。これは★大杉栄の恋愛観の核心をなすもののように受けとれるので、やや長いが、その引用を許されたい。

「最初は、僕に他の女のあるということが、どうしても君には許すことが出来なかった。君には、排他的の厳重な一夫一婦という、一種の理想があった。そこで君は、しきりと僕に、他の一切の女を斥けることを迫った。しかし、僕には、それが全く無意味のことであった。他の女に対する僕の愛は、それよりももっと深そうに見える君に対する愛が生じたからとて、無くなった訳でもなくまた格別減った訳でもない。また、他の女に対する愛が無くなりあるいは減って行って、君にその愛を移したという訳でもない。・・・僕がかく君の要求を斥けながらも、なお君に対して深い愛を抱いていることを、認めない訳には行かなかった。また君自身としても、もし君の要求が容れられなければ僕との関係を絶つと決心したものの、なお僕に対して抱いている君の深い愛を、認めない訳には行かなかった。・・・ついにはそこに君の全身を投ずるの冒険をあえてさせるまでに進んだ。それでも、なお君には、君が進んで来さえすれば、僕が他の女を棄てるかあるいは他の女が僕を去るか、いずれにせよ君に都合のいい何等かの事柄が起って来るだろうという、多少の予想があったけれども、君は、かくして全く僕に君の身を投じて来ると同時に、本当の現実の人となった。もしくは、全く新しい現実の人となった。
 君は僕に保子のあることも、神近のあることも、僕に対する愛の幻惑やまたは仕様事なしのあきらめからではなく、君自身の深い反省と自覚とから、心の奥底から是認するようになった。だが、それと同時にまた、君はこの是認を再び理想化しようとした。・・・」
「諸君の間の関係は、勿論、本妻と妾、もしくは妾同士が、あきらめや妙な粋から、本意なくも笑顔をつくり合っているようなものであってはならない。」

 以上の言葉は、結婚とか恋愛とか、について大正の日本人が常識とし、世間の通念となっていたものを、根底から覆がえそうとする、その立場を明らかにしている。大正5年における大杉栄を中心にした一対三の恋愛問題が大きく話題となったその核心はこのところにあった。

 

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