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「問題」の箇所・
 ★再度確認しておくと、この記事を書く(秋山清の文章を紹介する)主な目的は、現在も書店に並ぶ岩波・「現代文庫」版でも訂正はもちろん注記もされずに、読者に読まれているから、ということに異議を唱えるということである。
 「怠惰」に起因するディス・インフォメーションほど有害なものはない。

 ***************

                IMG_0099_1.jpg

 
 <三>
 大杉栄をめぐる恋愛についての、当時から現在までに至る理解は依然として甚だ心もとない。それは当時の新聞記事や雑誌を調べれば意外なほどの無理解を曝露し得るであろうと私は考える。しかしそういうところからでなしに、当代の批評家たちが太平洋戦争後にやった連続座談会記録「近代日本文学史」の中にもまったくといいたくなるほどの無理解を発見することができる。
この座談会の中の「『近代思想』から『文芸戦線まで大正期の社会主義文学』」は昭和38(1963)年、九月号の雑誌『文学』(岩波書店)に載ったものであり、出席者は猪野謙二、中野重治、勝本清一郎、平野謙、稲垣達郎であった。そこでは大杉らの恋愛問題について次のように語られている。

「勝本: 大杉栄が結婚の条件として出している条件はずいぶん自分勝手なものでつまりお互いに、全部、生活的にも、経済的にも独立していくこと、それから、ほかの女といかに関係してもかまわない自由をもつことだとか、そういうことで、やはり女性側の人間性というものについての思いやりというか、それはぜんぜんない。非常に男性中心の自由論なんですね。それから女の人もその当時、青鞜派なんかの議論をみていくと、男女同権という観念が単純で浅くて、それも女性としての生理的条件を、全部無視してる議論なんですね。
猪野: 『近代思想』のときは妻君の堀保子という人が・・・
勝本: 編集していたわけですね。
猪野: やっぱり広告取りとかそういうところでもいろいろやっていたわけですね」

語られていることは僅かにこれだけであるが、ここに現われている誤解や曲解、よくいって理解不足、それは日本の文学的な知識人に対する長く大きな私の歎息をついに慰めてくれないものとなっている。またこの時の話を受けて中野重治が『共同通言』による座談会でいったことは、またまた驚くべきものであった。勝本の発言、それを受けての中野の発言について私は小さな抗議をしたことがあり、そのことを、ここに略記して、大杉栄らの恋愛にたいする日本人全体の理解不足の甚しさを考えてみたい。このことに触れて一度書いたことがある。
「中野重治の女性観」と題した私の小さな文章は次のようである。・・・

「私の手許に1965年(昭和40)1月13日の『南日本新聞』の切抜きがある。
それは中野重治、臼井吉見、伊藤整の『時代と文学』という年頭の座談会記事で、中野の発言個所に赤線がひかれて、鹿児島の友人から送られてきたものである。
*******
「中野: 理論とか観念とかよりも先に、生活というものがあるんだなあ。文学はその生活から 出てくる。かといって若い人たちは別に理論や観念を排斥しているんじゃないんだ。『目的意識論』のころとは隔世の感がありますよ。あのころは生活はむちゃくちゃで、言うことは立派 なんだ。大杉栄なんかも、えらいことを言っているけれども、女房の伊藤野枝と結婚したときの誓約書では、おれは何人女をつくってもいいが、お前はおれ以外に男を作っちやならん、などとひどいことをいっている。まあ、理論や観念も大事だが、それだけでは解決しないことに、
昔は気がつかなかったんだな。いまの人は、生活を先行させてやっているんだろうが、そのことこそ大事なことですよ。・・・

私(秋山)にはすぐ二つのことが考えられた。一つは中野のいった『大杉・伊藤の結婚誓約書』なるものがはたして存在していたのか。あったとすればその中身は、大杉栄について今日まで伝えられている彼の思想と行動への理解が根底的なところで動揺すべきものであること、これがもう一つのことだ」

この問題を私がどう処理したかといえば、あまりな中野重治の発言を私はそのままには信じかねたが、彼はその抗議的な私の発言を認めた。そしてそのことの出処は、前記の座談会「近代日本文学史―大正期の社会主義文学」における勝本清一郎の発言による、というようなことであった。今見ると言葉はちがっても、このニつの発言の主旨は一致している。そこで私は勝本を訪ねていって、大杉・伊藤の結婚誓約書がどこに在ったのか、それを確認したのか、と問えば、勝本は大杉の著作の中にそのことがある、といって私を持たせて書棚にあちこちと手をさし伸べたりしたが、私を持たせる数時間ついに大杉の結婚誓約書なるものは発見されなかった。むろん当然のことである。聞いたことも見たこともないものだ。

前に示した恋愛あるいは結婚などのことについての、たとえば彼の「一情婦に与えて女房に対する亭主の心情を語る文」等におけるどこにも、結婚を制約の手段として考えるがごとき意見はなかった。そういう意見の大杉とそれに賛成する伊藤野枝との間に「誓約書」なるものが必要であろう理由はなく、当然昭和の文学評論家たちの如何なデタラメといえどもそれを発見出来ようわけがない。
しからば何故にかかる言説が、座談の場といえども出現したのであろうか。私はそのことを、そこに出席した評論家たちの、恋愛あるいは結婚観の封建制に依るところだ、と断定せざるを得ない。
座談会のあった昭和40(1965)年のその時点で、そのときから50年も昔の大正5(1918)年の事件の当事者たちに、この評論家たちがはるか遅れているこの考え方、自由についての思考の不足に、ただただ感歎するのみであった。
彼らのアナキズムーアナキストへの無知をここに探り当てて非難しようなどとは思っていない。しかし男と女の平等ということの正しい意味、日本の家族制度とそれに従属するのみの恋愛と結婚ということ、それに対立してのみ守られるであろう「自由」ということ等々についての、彼らの不見識、その思考のお座なりは悲しんでもかなしみ足りない思いである。
この人々でさえもこんなのだから、まして大正期の大杉や夢二が、とにも角にも実践にまで持ち込んで生きた、それらのものと自由とのかかわりの現実が、如何な強固なコンクリート壁に正面衝突するような苦しみとそれにたじろがぬ決心、否要求であったかを、あらためて思い知らされねばならない。
それからまた、この二つの座談会出席者が、もし人間のための解放、生存と生活の自由の原則に今すこし深く思いをめぐらしたのであれば、大杉栄にたいする勝本や中野のような無理解を示すことはなかったであろう。・・略

   (続)
  
 

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