カウンター 読書日記 「夢二と大杉」・秋山清
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「夢二と大杉」・秋山清
  ★秋山清著作集・<第七巻・自由おんな論争>に収録されている「夢二と大杉」を紹介する。
 この一文は、最初月刊誌・『展望』の1975年10月号に発表され(*秋山の脱稿は8月17日とある)、後1978年に、『夢二とその時代』(第三文明社)に、収録された。
 と、この<第七巻・自由おんな論争>の巻末にはあるが、この『夢二とその時代』(第三文明社)のほうは、未確認である。
 早速紹介していくが、雑誌掲載文としては、かなりの「長編」なので、先ず巻頭を、その後当該部分を、最後に全文を(というつもり)・・・という順で紹介していきます。
 
 *****************
 

●夢二と大杉 大正の恋愛 (*秋山清著作集第7巻 p 290~)
-
 大正(1912~1926)という時期には、話題となったいくつもの恋愛事件があった。恋愛が事件か、という問いが発せられても不思議はないが、それは現在の感覚でしかあるまい。とにかく大正における恋愛は事件だったのである。むろん、社会的事件であるためには、それだけ世間がそのことに注目した、という事実がなければならない。いいかえれば、恋愛は社会的に関心を買うに足る社会問題だったのである。
 今ならば毎々の週刊誌や女性雑誌に、映画役者や歌手さんたちの惚れた、はれた、別れたの記事は跡を絶たないが、それに何か社会的な意味があるからではなく、あまりにしばしば話題となることによって、はなはだしく恋愛が軽っぽいものになっているからのことで、もはや井戸端会議の話題以上ではない。第三者にとって恋愛は、本来そのように扱われて然るべき日常茶飯事のはずである。だがわが大正期の恋愛は、時に人目をそばだてさせるに足る社会的な事件であり、新聞の紙面をにぎわす三面のトップ記事でありえた。ということは、その時代、恋愛の自由はタブーであったということである。
国家または家の掟はその自由を許さなかったからである。時代がすすんで自由が拡大されたからでもあろうが、ひょっとしたら恋愛は、現代ではもう「恋愛」ではなくなったのかもしれない。
それは昭和の五十年という変転の時代を挟んでの彼方と此方の落差かもしれないのだが、何といっても、いくつかの恋愛事件が記憶されている大正に、ささやかな照明をあてて見たいとかねがね私は考えてきた。
 ずばりといえば、男の女の心中である。大正時代には相愛の者同士が思うにまかせぬ、ということで、生きることのあきらめとレジスタンスを兼ねた心中沙汰がいくつかあった。それに比べて現代は無理心中は報道されるが、当事者同士が、周囲に愛のふかさを思いしらせることを敢えてしながらの相対死は非常にすくなく、またそれはどのニュースでなくなっている。
 昭和8年の神奈川県大磯の坂田山心中は、当時すばらしい反響を呼んだが、あれには昭和に居のこった大正的な事件の性格があった。西条八十作詞、中山晋平作曲の「坂田山心中」がヒットして全国的に流行したのは、すでにこのような純情な心中が珍しかったからで、いわば大正の残映といったものであろう。そこには以下のような歌詞があった。

♪あなたを他家(よそ)に嫁がせて
何んで生きよう生きらりょう ぼくも行きます母様の
おそばへ貴女の手をとって

二人の恋は清かった
神様だけが御存知よ
死んでたのしい天国で
あなたの妻になりますわ

昭和のこの心中には何者かへのレジスタンスの如き感情があまりないかのように見えるが、やはりそうではない。これはカソリックの信仰のなかで育てられ、神の掟のままに愛情と結婚をまで支配しつくされた者たちが、神の掟に死をもって対抗したのである。この場合の神は即ち社会の掟であり、道徳であり、また宗教的秩序というものであった。心中しながらなお二人がプラトニックなままであるということが誇大に喧伝され、そのことが善男善女どもの涙をいっそう誘ったのであるが、何といっても死んでしまっては敗北でしかない。昭和に入ってまで、まだ恋愛は(即ち個の自由は)古いしきたりや道徳や家の掟に支配されていた。坂田山心中は哀れではあったけれど、死を以って応待するのであれば、たたかう余地は十分あったはずである。しかしわが日本のどこかでは、昭和になってもまだかかる「圧力」が人間を支配していたことの、これはよい証拠である。
というのは、それよりも十年、十数年も早く、わが大正期に、われわれの先人たちは、恋愛(と自由)のために悪戦苦闘の足跡を残している。心中によって我を曲げなかった者、社会とジャーナリズムの余すことなき非難に抗しきって、我を貫いた者も稀にはいたのである。それは社会的に非難されつつもまたその行為は注目され、話題にもなったのである。しかし、昭和50年代の今日(1975年)と違って、大正という時期では異性同士が互いに心に相手をえらび、相擁して生きるということは死にさえつながったのである。

***************

次に「問題」の箇所の引用です。 (続)・・・

 


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