カウンター 読書日記 藤原新也、怒る!2007/10/01(Mon)
読書日記
日々の読書記録と雑感
プロフィール

ひろもと

Author:ひろもと

私の率直な読書感想とデータです。
批判大歓迎です!
☞★競馬予想
GⅠを主に予想していますが、
ただ今開店休業中です。
  



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


藤原新也、怒る!2007/10/01(Mon)
2007/10/01(月)

★死んだときだけ騒ぐな。生きている時に何をしているかをフォローしろ
もうほとぼり冷め、どこ吹く風である。
ビルマ(ミャンマー)で死んだジャーナリスト長井健司さんのこと。

 イラクで死んだ橋田信介さんの場合もそうだが、大メディア、とくに民放テレビはジャーナリストが戦場やデモの場で死んだときだけ、鐘や太鼓の大騒ぎでそれを美談に仕立て上げる。

 戦場に行ったカメラマンやジャーナリストが死ぬというのは、あたりまえとは言わないまでも、そういったリスクを覚悟で仕事をしているわけだから交通事故と同じようなものであり、ただ訃報を流すだけでよい。

 というより運転・交通事故がそうであるように死んだということはそこになんらかの当事者の落ち度というものが往々にして介在しているものであり、むしろ冷静にそのことを検証しなければならない。

 そう言う意味では、かつてベトナムで幾多の前線に出て最後まで死ななかった岡村昭彦のような者を褒め称えるべきであり、「ライカでグッドバイ」の沢田教一のように、グッドバイしてはならない。その意味でキャパも同様。死んだカメラマンやジャーナリストを賛美するという風潮は情緒先行の日本人の悪い癖である。

 さらに苦々しいのは、大メディアはジャーナリストが死んだときにだけまるで食い物のように大々的に番組作りをし、彼らにとってふだんこういった地道な苦労をしている者の仕事のプライオリティというのは無きに等しいことだ。それが証拠に死んでからはじめて長井健司さんや橋田信介さんのような人が世の中にいたのかということを皆知るわけだ。

 私の近くにもそういった仕事をしているものがいるが、生活は窮々としており、食うや食わずである。死んだら打ち上げ花火のように一躍3日間は有名になるだろう。一銭の金にもならないがね(笑)。そういった反面たとえばタモリのようにいい歳をしてただウダウダと若者に擦り寄ってご機嫌を取り、無意味に生きのびているようなやからが莫大な資産を成すわけだから富める者はさらに富み、窮する者はさらに窮するという大貧民(*大格差)の構図。

 民放テレビ他は長井健司さんの屍をメシの種にして十分稼いだわけだから、せめてその屍の出演料をご遺族に支払うべきである。

 ***************

 2007.10.2(火)

 ●軍事政権と民主主義の間 ふたたびビルマ問題について。

 ★誤解を恐れずに言えば軍事政権というのは痛し痒しというところがある。

 民主主義に程遠く、また海外の情報をシャットアウトしているために、今日のような情報の画一化(アメリカ化)世界の中で、昔ながらの風景や習俗などが生きながらえているという不思議な現象がある。

 七十年代に訪れた韓国がそうだった。
当時は日本人が一人でぶらぶらとうろつくというような世界ではなかったから、旅館に入るなり行く先々で秘密警察が部屋にやってきて詳細な取調べを受けなければならなかった。
北のスパイ、もしくは赤軍派の分子ではないかとう疑われるわけである。

 インチョンのホテルでは夜中に拷問を受けているようなうめき声が聞こえ、下手をするとああなりかねないとゾッとしたものだ。
テレビなどは終了時に国旗がなびき、軍歌が流れて終わる。

 そういった締め付けの厳しい中、風景は夢のように美しかった。
人々のたたずまいもかつての世界というものはこうではなかったかと他国人でありながら郷愁を覚えるほど美しかった。
若者の姿にも頑強なものがあり、今の韓国映画の俳優に見るようなやさやさしい者はいなかった。

 それが朴大統領が暗殺され、ノテウ大統領に政権が移ると、民主主義の波が押し寄せる。
ノテウのキャッチフレーズは「普通の人」だった。
この普通という言葉には、人々の心を安心に導くような響きがある。
普通という言葉とともに民主主義が始まったのだ。

 だがそれから7年後に当地を訪れた私は唖然とする。
かつてのあの韓国の風景や人々の美しさは失われ、文字通り「普通」になっていたからである。

 オリンピックが開催された後の韓国はさらに普通になった。
その普通の産物のひとつがまるでエステサロンから抜け出たような韓国男優ということだろう。
オリンピックというものは世界各国を4年ごとめぐりながらその国独特の文化を平準でつまらないものにしていくという恐ろしいところがある。
いま北京で昔からの下町が強制的に次々と壊されているのはその典型的な例で、こうして見るとオリンピックはまるでローラーで地面を填圧するように未来永劫に世界を平坦にして行くわけだ。


 ビルマにしても同じことで現在の軍事政権下では(それを肯定するというわけではなく)「風景」が残っているはずであり、この国に民主化の波が押し寄せると瞬く間にかつての韓国と同じような道を辿るだろう。

 一方、ビルマの現在の軍事政権の権力者は民主の困窮を傍目にその生活が奢侈を極めるという報道がなされている。
また奥地の国境地帯の少数民族を迫害し、その文化を破壊しているという情報も伝わる。

 アジアの先進国である日本は、ひとりのジャーナリストの死とその遺品にこだわるのも当然だが、それ以上に、そういった少数民族の破壊行為を許さないという立場での圧力をかけるべきだろう。

 井の中の蛙という言葉があるが、ビルマはまるで日本で言えば財団法人日本相撲協会のように外の世界との交流のない閉鎖世界である。
私が訪れた時も官憲たちの冷酷な特権意識を持った目は今でも焼きついている。

 おそらくジャーナリストが一人凶弾に倒れたことに対する日本人と彼らの意識の温度差は計り知れないものがあるはずである。

 

スポンサーサイト


この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
トラックバックURL
→http://2006530.blog69.fc2.com/tb.php/267-5b6d0b26



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。