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象徴天皇制。
 ●象徴天皇制成立時期の風景 (2)
 

・・・天皇にたいする忠誠はほとんど問題にならず、一般民衆にとっては天皇は存在しないも同然であった。その天皇が、明治になって陰から担ぎ出されて、政治支配の結集点に祀りあげられた。にもかかわらず、天皇は日本の現代の国家神道の心臓であり、もしわれわれが天皇の神聖性の根抵を掘り崩し、これに挑戦するならば、日本の全機構は大黒柱をひき抜かれた家のように瓦解するだろう!と。
 おそらくグルーらの天皇観が念頭に置かれていたにちがいないが、ベネディクトは「天皇と実際の統治者との二重統治」の存在に気付いていた。そして、日本人の天皇イメージが、太平洋諸島にときどき見いだされる神聖首長の観念と同じものであることを指摘する。この神聖首長は、みずから他力を行使する場合もあれば、それを他人に委託する場合もある。いわば、政治に関与することもあれば、関与しないこともあるが、つねにその身体は神聖かつ不可侵であった。このとき、ベネディクトという文化人類学者の眼差しが、天皇制という主権の、秘められた基層の風景の一端に届いていたことは、疑いない。
 裁かれる天皇はそれゆえにこそ、とりあえずは斥けられねばならない。戦後日本の政治指導者が、天皇と民主主義の共存を唱え、天皇を民主主義の精神の顕現とみなす演説をおこなうとしても、この、アメリカ人にとっては無意味以外の代物でしかないデモクラシーの説明にたいして、ただちに否定することはしない。すなわち、日本は西欧的なイデオロギーのうえに立つよりは、そうした過去との同一視の基盤に拠ってたつほうが、いっそう容易に市民的な自由の範囲をひろげ、国民の福祉を築きあげることができる、と ベネティクトここで、歴史のなかの天皇像をそれなりに踏まえつつ、日本社会の民主主義的な再編という政治課題に沿うかたちで天皇観を語っていることを、忘れるべきではないだろう。  
 
 
 ★それでは、敗戦後の混乱のなかを取材のために歩きまわったジャーナリストの眼には、天皇‐および天皇制はどのように映っただろうか。『ニッポン日記』の著者の描く天皇像は、やや異なった貌をみせる。
 マーク・ゲインが天皇の地方巡行に同行したときの記述は、なかなか興味深いものだ。沿線の村々の住民は、天皇奉迎のために総動員されている。ゲインはそこに、あとで知ったこととして、隣組をつうじて警察の動員命令が下されたことを書き留めながら、生き生きとこんな情景を記している。

 天皇は、群衆を見つめながら、その通りの入口に立ち止まり、群衆も天皇を見つめた。それから、まるで後半のラウンドでゴングの鳴るのをきいた傷ついたボクサーのような恰好で天皇はのろのろと歩を進め、両側の民衆にいかめしく挨拶した。彼がかなり進むまで群衆は差し控えていた。が、ついにこの冥土の首都の沈黙は破れた。群衆はゴミの山の上からうねり寄せ、天皇を幾重にも取り巻いた。子供や女たちは蹂躙された。そば近くまでもよれないものは、外側に立ってすすり泣きをはじめた。乾いた眼つきの女が、何人か泣き声をたてていた。
私はこれまで群衆の病的な興奮状態を見た経験は何度もあるが、こんなに突然でこんなに顕著なのははじめてだった。
 

 隣組や警察による動員といった背景はあるにせよ、民衆の天皇にむける病的な興奮の眼差しと態度は、まぎれもなく天皇のいる風景のひと駒であった。そして、ゲインが描く巡行する天皇の姿もまた、たいへん興味深いものである。天皇にたいする畏敬の念とは無縁な、外国人ジャーナリストの冷徹な眼がとらえた天皇の姿と表情は、痛ましいまでに生々しい。

 (天皇の)顔面にはおりおりハッキリした痙攣が現われ、ひっきりなしに右肩をぐいと引く癖があった。歩くときは、右足を少し外側へ踏み出すが、その足はまるで自分の意のままにならないかのようだった。彼は明らかに興奮し、平静を欠いていた。そして、自分の于や足を持ち扱いかねているようだった。(中略)事の次第にいっこう無関心なアメリカ人たちは、みんなこの人間離れのした「あ、そう」という声を待ち構え、お互いに肱でつっつきあったり、笑ったり、真似をしたりした。が、そのうちにふざけた気持も消え失せ、私たちはありのままの天皇を見ることができるようになった。いやな仕事を無理矢理やらされている疲れた悲愴な男、そして自分に服従しない声音や四肢を何とか支配しようと絶望的にもがいている男。これが天皇のありのままの姿だった。
 
 アラヒトガミ(現人神)天皇を体験したことのない世代に属する者であっても、この外国人ジャーナリストの筆によって切り取られた天皇の表情や姿を前にしては、しばし言葉を失うはずだ。たぶん、ここには生き神を演じることを誕生のときから強いられてきた、ひとりの生身の人間の、幾重にもひき裂かれた苦悩と悲惨をこそ読み取らねばならないのだろう。マーク・ゲインというすぐれたジャーナリストが凝硯していたものもまた、そうした天皇の生ける現実であったにちがいない。
 
 ゲインは天皇巡行の背後に、日本の支配層のしたたかな政治的巧緻を認める。かれらが作り出そうとしているのは、国民の福祉に熱心な関心をもつ民主的な天皇という、いわばあたらしい神話である。古い神話とポツダム宣言とのあいだに、すこぶる狭小ではあるが、ひとつの中間地帯を発見すること。それがあたらしい神話の意味だ。ゲインはそうして、かれら真の支配者たちが天皇個人にたいしては、きわめて稀薄な愛情しかもつことなく、かれら自身の都合のいい理由で天皇に尽くし、しかも使い回していることを見届けたのだ。

 



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