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象徴天皇制。
●象徴天皇制成立時期の風景=一側面に焦点をあてた、赤坂憲雄
 の論考を、★『結社と王権』(講談社 現代文庫 2007.7.10)から
 紹介する。

 (*初出は、1991.6 『歴史読本』7月号)

  4、イメージ・ひき裂かれた天皇

 ●象徴の由来をめぐって

 一九四五年、無条件降伏後の日本に降り立った占領軍総司令官マッカーサーの前には、おそらく、二つの天皇のイメージが横たわっていた、ひとつは、日本軍国主義の精神的な支柱として、日本の民衆をアジア侵略へと駆りたて、また第二次世界大戦の開戦の詔勅を発した最大の戦争犯罪人として裁かれるべき天皇である。いまひとつは、アジア全域にひろがる日本軍をすみやかに武装解除し、米軍の占領支配をスムーズにおこなわせ、戦後の日本社会を民主主義にもとづいて、再編するための土台として利用されるべき天皇である。
 裁かれる天皇と利用される天皇。このひき裂かれた天皇イメージは、やがて後者に収斂されてゆき、日本国憲法の「象徴」規定として定着した。ついに天皇は戦争責任を負うべき存在として、公開の裁きの場に立たされることはなかった。戦争責任の問題は曖昧に沈められてゆき、結局は昭和天皇の死とともに、裁かれる天皇は歴史のなかに封印された

 象徴としての天皇が浮上してくる背景は、さまざまに掘り起こされてきた。たとえば、中村政則『象徴天皇制への道』によれば、「象徴」の由来については、すくなくとも二つの流れがかんがえられる。米国サイドの、元駐日大使ジョセフ・クラーク・グルーを中心とした知日派の天皇観、英国王室をモデルとした天皇制の理解、そして、日本サイドの、憲法草案作成グループのなかにみられ、また「象徴」規定をたやすく受容することを可能とした日本人の天皇をめぐる歴史観、の三つの流れである。
 第三の日本側の受容基盤として、わたし自身、津田左右吉や和辻哲郎らが残した、戦後間もない時期の天皇制論について論じたことがある(『象徴天皇という物語』)。「象徴」がたんなるマッカーサーや占領軍の押しつけといったものでなかったことはあきらかだが、ここでは米英サイドからの天皇観に焦点を絞らねばならない。
 
 たとえば、一九四六年一月二十五日の日付けをもつ、マッカーサーが米参謀総長アイゼンハワーにあてた機密電報には、こんな一節がある。
 もしも天皇を裁判に付そうというのであれば、占領計画に大きな変更をくわえなければならず、したがって実際に裁判を開始するに先立って、しかるべき準備を完了しておくべきである。天皇を告発するならば、日本国民のあいだに必ずや大騒乱を引き起こし、その影響はどれほど過大視しても、しすぎることはなかろう。天皇は日本国民統合の象徴であり、天皇を廃除するならば、日本は瓦解するであろう。

 こうしたマッカーサーの天皇観の源泉がどこにあるのか、とりあえず問う必要はない。たとえば日本の敗戦の数年前から、グルーは天皇個人と天皇制とを区別すべきこと、天皇は象徴として、戦後日本の「健全かつ平和的な内部成長にとっての礎石」となりうることを主張した。日本研究者ヘレン・ミアーズはナチズムと天皇制との違いを指摘し、天皇は実際上の指導者ではなく、象徴的な指導者であり、国民統合と日本の文化的伝統の連続性を象徴するものである』ことを論じていた。

 裁かれる天皇/利用される天皇のはざまから、「象徴」としての天皇はマッカーサーと占領軍の前にせり上がってきたのだ。ここではただ、GHQの憲法草案が起草される以前からすでに、「日本国民統合の象徴」としての天皇という位置づけが、たいへん明確なかたちでGHQ中枢部に存在したことを確認しておけば足りる。
 日本国憲法に「日本国民統合の象徴」として規定されて以降、「象徴」としての天皇は曖昧なままに日本人のなかに浸透していったと同時に、外国人の語る天皇像もまた、多かれ少なかれその呪力の圈内にとどめおかれることになった。戦後に外国人が書いた日本論のベストセラーのなかから、いくつかを選んで、外国から見た天皇のイメージが象徴象徴天皇制をささえる源泉のひとつになってきたこと、あるいはそれに寄り添うように流布されてきたことを検証してみよう。

 ●『菊と刀』 『ニッポン日記』

 『菊と刀』は一九四六年、『ニッポン日記』は一九四八年に、それぞれアメリカ国内で出版された。邦訳はその数年後に出ている。ともに日本ではベストセラーになった。『菊と刀』の著者はルース・ベネディクト、アメリカ人類学の第一人者として知られる女性研究者であり、『ニッポン日記』の著者はマーク・ゲイン、戦後間もない時期に一年あまり日本に滞在したジャーナリストである。当然ながら、その著作の目的も文体もかなり異質であるが、どちらもあくまでアメリカ人のために書かれたもので、★日本人の読者を対象とはしていなかったことは注意されてよい。いまだ象徴天皇制が自明性を獲得していない時期の著作ゆえに、『菊と刀』と『ニッポン日記』のなかには、生々しく揺れうごく天皇および天皇制の姿が垣間見える。
 たとえば、『菊と刀』という、日本の土をついに踏むことのなかった文化人類学者の語った天皇像から眺めてみることにしよう。ベネディクトが「二、三のアメリカの権威者たちの指摘」と断わったうえで、こんなふうに論じている箇所がある。
 日本の封建時代七百年をつうじて、天皇は影のごとき存在、たんに名目だけの元首であっったにすぎない。・・・(続)・・・

 
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