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*『わが解体』から
*『わが解体』 1971.3.5 河出書房刊 (初出は『文芸』1969年6.7.8.10月号と巻末にある。)

 p14から引用
 著者高橋は、教授会のあるべきすがた・運営方法を提起・批判していくが、他のメンバーの拒絶=権力への依存(機動隊導入ということだろう)という結果に終っただけだとして、続ける。
 「・・・それが教授会の本質だったら、それも仕方がない。しかしたとえば立命館大学で中国学を研究されるS教授の研究室は、京都大学と紛争の期間をほぼ等しくする立命館大学の紛争の全期間中、全学封鎖の際も、研究室のある建物の一時的封鎖の際も、それまでと全く同様、午後十一時まで煌々と電気がついていて、地味な研究に励まれ続けていると聞く。団交ののちの疲れにも研究室にもどり、ある事件があってS教授が学生に鉄パイプで頭を殴られた翌日も、やはり研究室には夜遅くまで蛍光がともった。内ゲバの予想に、対立する学生が深夜の校庭に陣取るとき、学生たちにはそのたった一つの部屋の窓明かりが気になって仕方がない。その教授はもともと多弁の人ではなく、また、学生達の諸党派のどれかに共感的な人でもない。しかし、その教授が団交の席に出席すれば、一瞬、雰囲気が変わるという。無言の、しかし確かに存在する学問の威厳を学生が感じてしまうからだ。・・・以下略」
 
*『回思九十年』から、最後に白川博士の檄を!

 「・・・昔の日本の文書は手紙にしても古文書にしても必要があって、目的があって書かれたもので、今のように展覧会用に書かれたものではないのです。それでは心の込めようがないのです。不特定多数のために書くのですから。」

 「・・・僕は手紙こそ書家が自分の生命をかける場所だと思う。書の本来のあり場所だとね。それにしてもいまの書家はなかなか手紙をかかない。僕は字が下手だけれども、手紙だけは墨でかきますよ。下手であっても何でもいい。とにかくワープロで打ったりするのは最もよくない。」
 以上。

 来年の賀状は墨を磨って書こうか! と思いましたか?

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