カウンター 読書日記 <続> 今、梶山季之を読む(2)
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<続> 今、梶山季之を読む(2)
★ 引き続き「岩波書店」のHPより。
 「岩波現代文庫では,梶山季之氏の作品として7月に代表作『黒の試走車』,8月に朝鮮小説の白眉である『族譜・李朝残影』を刊行しましたが,今月は氏のルポライターとしての作品の中から,この『ルポ 戦後縦断――トップ屋は見た』を刊行させていただきます.
 梶山氏は1975年に45歳の若さで急逝されましたから,今年は三十三回忌にあたります.この間,改めて梶山氏の生涯と作品に光を当てようという機運が盛り上がっているようです.岩波現代文庫での三冊の刊行もその一つですが,それ以外にもさまざまな動きがあります.梶山季之資料室編『梶山季之と月刊「噂」』(松籟社)が刊行されました.また梶山氏が学園生活を過ごした広島ではこの六月に記念シンポジウムが開催され,中国新聞は関連記事を報道してきました.さらに最近では読売新聞文化欄(8月21日),読売新聞編集手帳(8月22日)などで梶山氏が取り上げられ,『週刊読書人』9月7日号では「特集 いま甦る梶山季之」が一面を飾っています.
  なお★インターネット上では,電子版「梶山季之資料館」が管理人・橋本健午氏によって,この間の梶山氏についてのあらゆる情報を的確に整理,紹介しており,好評です.
 さて,岩波現代文庫では,梶山氏の多面的な活動,多彩な作品の中から三冊を刊行させていただきましたが,今回の一冊は氏が週刊誌のトップ記事を飾るトップ屋として大活躍していた時代の作品を中心に構成されています.まずそのあたりの経緯を振り返っておきましょう.

 ●1958年『週刊朝日』誌上で『文藝春秋』が新人ルポライターを養成することを知った梶山氏は応募して採用され,ライター生活に入ります.6月『週刊明星』の創刊とともにそこにはせ参じスクープ記者として著名になります.59年1月には,同年4月創刊予定の「週刊文春」のためにトップ屋グループを独自に編成し,3月には特訓した記者を引き連れ梶山グループとして文藝春秋を「主戦場」として活躍するようになります.以後わずか二年間ではありますが,梶山氏は文字通り『週刊文春』のトップ記事を書き続け,その合間にラジオ脚本を書くという多作ぶりでした.昼夜兼行で取材と執筆に明け暮れる日々であったことでしょう.
 本書に収録されたルポの大半は,この時期に取材され執筆されたものですが,後年になって往事の取材を手がかりに新たに執筆したものも含まれています.
 本書に掲載されたルポは,多彩な主題を扱っています.その中でも厳しい報道協定に縛られて自由に書けない新聞記者の間隙を縫い,『週刊明星』で皇太子妃についてのスクープをとばし,実録小説を執筆したことは初期において彼の名を高めたといえるでしょう.
  皇太子妃の決定,国鉄鶴見事故,赤線廃止,王子製紙争議等の戦後史の重要事件をはじめ,蒸発人間の深層に迫るルポ,下着までも共有する共同体の探訪記,国有財産払い下げの恩恵を蒙った人々,関東大震災をバネにして利殖に成功した人々の成功談,敗戦以来訪ねたソウルの探訪記,観光都市へと変貌する広島で被爆の意味を問い続ける人々と,本書に収められた主題は極めて幅広く,戦後史の現場を鮮やかに複眼的な視点で描いた文章として,現在も十分に一読に値するものであると信じます.
 しなやかな観察眼と腰の強い取材力が,昭和30年代の深部を照らし出しています.ぜひ本書をご一読いただき,このトップ屋稼業の後に執筆した『黒の試走車』の世界と読み比べていただきたいと思います.
 本書は,梶山季之ノンフィクション選集(5)『ルポ戦後縦断』として1986年に徳間書店から徳間文庫として刊行されました.(*下の写真のもの)
 
                 20070919170450.jpg

 ●掲載作品の初出は以下の通りです.
・皇太子妃スクープの記(『文藝春秋』1968年6月)
・話題小説・皇太子の恋(『週刊明星』1958年11月16日)
・かくて「鶴見事故」は起こる(『文藝春秋』1964年1月)
・赤線深く静かに潜行す(『文藝春秋』1959年1月)
・ストライキの果て(『文藝春秋』1959年12月)
・蒸発人間(『週刊読売』1967年4月28日)
・産業スパイ(『中央公論』1962年5月)
・白い共産村(『文藝春秋』1958年6月)
・国有財産は誰のものか(『中央公論』1965年7月)
・不思議な官庁・通産省(『中央公論』1963年5月)
・ブラジル「勝ち組」を操った黒い魔手(『週刊文春』1966年1月3日1月10日)
・関東大震災を生かした人々(『文芸朝日』1963年9月)
・財閥の葬儀委員たち(『文藝春秋』1959年8月)
・丸ビル物語(『文藝春秋』1958年5月)
・朴大統領下の第二のふるさと(『文藝春秋』1964年2月)
・ヒロシマの五つの顔(『文藝春秋』1958年8月)

*梶山季之 かじやま としゆき  経歴は略す(ウィキペディアの記述に譲る)。

<目次>
・皇太子妃スクープの記
・話題小説・皇太子の恋
・かくて「鶴見事故」は起こる
・赤線深く静かに潜行す
・ストライキの果て
・蒸発人間
・産業スパイ
・白い共産村
・国有財産は誰のものか
・不思議な官庁・通産省
・ブラジル「勝ち組」を操った黒い魔手
・関東大震災を生かした人々
・財閥の葬儀委員たち
・丸ビル物語
・朴大統領下の第二のふるさと
・ヒロシマの五つの顔
 ***************************

 <人物>(以下はウィキペデイアより。)

 梶山 季之(かじやま としゆき、1930年1月2日 - 1975年5月11日)は日本の小説家・ジャーナリスト。
父が朝鮮総督府に勤務の為、朝鮮京城で生まれた。五木寛之は南大門小学校の後輩。敗戦後引き揚げ両親の郷里、広島県佐伯郡廿日市町地御前(現廿日市市)で育つ。広島二中(現広島観音高)を経て広島高等師範学校国語科に入学。在学中から地元の同人誌を糾合し、広島文学協会を設立するなど精力的に活動した。また私淑していた作家原民喜の自殺に衝撃を受け、彼を記念する碑の建立に奔走した。
1953年卒業後上京。横浜鶴見工業高校の国語教師を務めた後、喫茶店の経営をしながら同人誌を主宰。1955年三浦朱門らのいた「新思潮」(第15次)同人になり小説を書く一方、フリーで「週刊明星」「週刊新潮」に記事を書いた。1958年ルポライターになり、1959年「週刊文春」創刊に際しトップ屋グループを作り名を売った。またこの時期「梶謙介」のペンネームで小学館の学年誌などに多くの冒険小説も書いた。1962年、自動車企業間の苛烈な競争を背景にした経済小説『黒の試走車』がヒット。「企業情報小説」、「産業スパイ小説」という新分野を開拓した。トップ屋をやめ多くのベストセラー小説やルポを書き、高度成長期の一躍流行作家となった。1966年、『週刊新潮』連載の小説『女の警察』により、刑法175条(猥褻物頒布)の容疑で略式起訴され、同誌編集長野平健一と共に罰金5万円の有罪判決を受ける。1969年には文壇長者番付第一位となった。
ジャーナリストの世界において、記事執筆のためのデータ収集を専門とする「データマン」、そしてデータマンの集めた情報を元に記事を執筆する「アンカーマン」という分業体制を確立したのは、日本では梶山が最初であると言われている。
あらゆるジャンルの作品を手掛けたが、生涯のテーマは、朝鮮・移民・原爆とも言われ、日韓併合による創氏改名に迫った『李朝残影』など資質の高い作品も残している。晩年は繁栄する世相を反映しエロティシズムへの傾斜を深めた。一文ごとに改行するスタイルは、時に原稿料目当ての枚数稼ぎとも揶揄された。

1971年月刊「噂」を自費創刊。

1975年5月7日、ライフワークである長編小説『積乱雲』の取材のために訪れた香港のホテルで突如吐血。一時は容態が安定するもののその後急変、5月11日早朝、食道静脈瘤破裂と肝硬変で死去した。まだ45歳の若さだった。
作品数は多く、現在まで合計1000万部を超える売り上げとなっている。文庫でも絶版が多くなっているものの、近年、雑誌などの特集により、その膨大な作品群を再評価する動きが出ている。
● 主な作品
黒の試走車 - 産業スパイ小説。
赤いダイヤ - あずきの先物取引を描いた小説。
李朝残影 - 朝鮮物の秀作(直木賞候補)。
生贄 - デヴィ夫人をモデルにした小説で、名誉毀損で訴えられたため絶版。
せどり男爵数奇譚 - 古書の世界を描いた小説。
と金紳士 - アダルト漫画の先駆。
銀座遊侠伝 - ヤクザの異端児とされた祐天のテルをモデルにした。
苦い旋律 - 女性週刊誌に連載。レズビアン、ニューハーフ物の実質的嚆矢。
男を飼う - SM、女装、様々なフェティシズムを扱っている。
悪人志願 - 西武グループの創設者堤康次郎をモデルにした小説。

● 逸話
梶山は文壇の先輩柴田錬三郎とドボンに興じて負け続けた結果、柴田に多額の借金を作ってしまった。その後、両人が或るホテルの開業記念式典に来賓として招かれた折、柴田は梶山に向かって「来賓として挨拶する時、お前が××××(女性器の卑語)と言ったら、これまでの借金を全部帳消しにしてやる」と言った。すると梶山は、自分の番が廻ってきた時、壇上のマイクの前で「私はポルノ作家の梶山季之であります。人生は、××××であります」と挨拶した。(立川談志「酔人 田辺茂一伝」1994年、講談社、p.187)
女性の名器を指す「ミミズ千匹」を一般に知らしめたのは梶山の小説「女の警察」といわれる。この作品の創作のきっかけは、中国地方の温泉芸者で、昭和40年前後に400万のマンションを建てた女がいて、さっそく「ぜひお話をうかがいたい」と梶山が会いにいったことから。色白で27歳のなかなかの美人に「なぜそんなにお金がたまったか」と聞くと、某有名人が毎月30万ずつ送ってくれ、他にもいろいろ旦那がいたという。その訳を聞くと女は「私のはミミズ千匹らしいのです」と答えた。さらに試してみるかと言われ「30秒我慢できたら、私のマンションを差し上げます」とまで言われた。当然ながら挑んだ梶山だったが、17秒フラットでダウン。それでも「先生はお強い方ですわ」と言われた。様々な分野で流行小説を量産した梶山だが、そのバイタリティーは女に対しても同様で、スケベ物に関しての梶山の体験は、読書への情報とサービスになった。講演旅行で4日間のうち3晩は女を変え、一晩のうちに違う女を2人相手にすることもあったという。しかし梶山の浮気は律儀型浮気と言われ、生活の中に乱れたものはなく、人に恨まれることもなかったという。(東京スポーツ、日本性豪列伝 有栖川寧文、2007年7月11日)
 ************************
 (続) *ここまでは、前置きです。
 

 必読・お薦めHP

 ●電子版 梶山季之資料館 TOPページ
  http://www002.upp.so-net.ne.jp/kenha/kaji_s.html

 ★次稿から本論に入ります。
  

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