カウンター 読書日記 先哲かく語りき。
読書日記
日々の読書記録と雑感
プロフィール

ひろもと

Author:ひろもと

私の率直な読書感想とデータです。
批判大歓迎です!
☞★競馬予想
GⅠを主に予想していますが、
ただ今開店休業中です。
  



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


先哲かく語りき。
  ★「美しい国(美国=アメリカ)を目指す」だの「吉田松陰の訓えに学ぶ」だのと

 ほざいていた日本は長州の「七光り」政治家が入院という「緊急避難」を謀ったという。

 今頃は、ベッドのうえで、「何か」に怯えながら、松蔭先生の著作でもひもといているのだろうか?

 そう願いたいものだ。

 手遅れは、「茶番劇」の一要素だから。

 **********************
  


 ★ こちらも、松蔭の手紙など読み直してみる。・・・
 


  ●「死して不朽の見込あらばいつでも死ぬべし。

  生きて大業の見込あらばいつでも生くべし。

  僕が所見にては、生死は度外に措きて唯だ言ふべきを言ふのみ」

                          (高杉習作宛書簡 安政六年七月中旬)

 ●「僕ば忠義をする積り、諸友は功業をなす積り」
                          (某宛書簡安政六年正月十一日)

 ***************************
   

 ★ ★何も、松蔭を礼賛するつもりは毛頭ないが、こと「誠心」についての松蔭の言葉に限っては、人間としての最低の義務=「自身に恥じぬ生き方をする」から外れてはいないので、記した。

 もって、瞑すべし。

 日本中「サイン」が横行していて、小うるさいことこの上ない。 


 誤解を招くと七面倒なので、補注。・・・

 「松陰が愛した『孟子』の「至誠にして動かざる者は未だ之れあらざるなり」という言葉は、彼のこの確信の支えとなった。もう一つは、この誠心は死を賭した行動と結びつくことによって、そのもっとも高い極限の形、したがってもっとも強く人に訴える力を発揮する地点に到達するという確信である。彼の説く諌争、つまり死を以ていさめる精神、がそれである。松陰の考えでは、まず長州藩が先頭を切って、尊王攘夷の大義を天下に明らかにする行動に出れば、諸藩もめざめ、幕府は孤立し、現状打開の道も開けるという発想であったが、肝心の長州藩はこの松陰の訴えに耳を貸そうとしなかった。彼は、時には食を断つなど、文字どおり死を賭けて現状打開を試みるが、徒労に終わるばかりか、結局は、そのあまりの過激論のゆえに、同志からも孤立するという窮状に立たされるのであった。こうした状況に至れば至るほど、松陰の念頭をよぎるのは誠の極限形態としての死の選択であった。彼は、その最晩年、門人に宛てた書簡で、「余りも、本人が臆病になり切ったがむごいから、一人なりと死んで見せたら朋友故旧、生残ったもの共も、少しは力を致して呉れうかと云ふ迄なり」(野村和作宛書簡 安政六年四月四日)と書き送っている。いわば天下に対して死を賭けた最後の諌争を試みるというのが、積誠を追求しつづけた彼のたどり着いた地点だったのである。」

 ★大略その通りであろうが、わたしはこれにも「死ぬなら勝手に死ねばよい」との「聖上」の言葉を

 お返ししておきたいと思う。

 なぜか、犬死にしろなんにしろ、「死ぬのはイヤだ」からである。

 奴隷状態に甘んじていいのか?だって・・・

 結構じゃないか。

 王様くらい「溶解」してやるよ。(笑)
 
   
スポンサーサイト


この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
トラックバックURL
→http://2006530.blog69.fc2.com/tb.php/246-842e19c3



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。