カウンター 読書日記 『ルポ最底辺』
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『ルポ最底辺』
★今日の一冊

『ルポ最底辺』 生田武志 ちくま新書 2007/08/06 定価:777円(税込)

 *****************
冒頭の引用から・・

第1章不安定就労の極限

● 釜ケ崎の衝撃
 1986年4月7曰、21歳のぼくは初めて大阪市西成区にある日雇い労働者の街、「釜ヶ崎」に来た。
 京都市の同志社大学の近くの下宿を出て、電車を乗り継いで約1時間半、大阪環状線の新今宮駅を降りると、そこには今まで全く見たことのない世界が広がっていた。
 駅を出て周囲がわからないまましばらく歩くと、作業服を着た50歳前ぐらいのおっちゃんが近づいてきて、「にいちゃんは何しに来たんや?」といきなり話しかけてきた。知らない人にいきなり話しかけられたのに少々ビックリしたが、顔には出さずに「ここでボランティアしたいと思ってきたんだけど……萩之茶屋2丁目ってどこかな?」とタメ目で答えた。すろと、ろのおっちやんは、道のわきの花壇に植えてあった花をひとつつまんでぼくに差し出し、「ボランティアって、愛やろ?」と言うのだった。「そうかも:・・:」「2丁目は、あっちやで」。そんなことを言って、おっちやんはまたフラフラと、どこかへ行ってしまった。来て早々経験したことのないような出会いをして、ぼくは驚きながらも少々感動していた。そしてその後、釜ケ崎でころした「出会い」を数え切れないほど繰り返すことになる。
 しばらく歩いて釜ケ綺の中心に入っていくと、道でゴロゴロと死んだように寝っ転がっている人がいっぱい目に入ってきた(本当に死んでいる人にもやがて何度も出くわすのだが)。周りを見ろと、狭い路上には屋台が並び、作業服姿のたくさんの労動者が店の前や路上で酒盛りをしていた。何人かが立ちションを当たり前みたいにしていて、ションベンの匂いが街のあちこちに立ちこめていた。駅前の道路の分離帯の真ん中では、―人の労働者がまわりに誰もいないのに大声でしやべっていた。近づいて聞いてみると、「神様の話」を手振り身振りしながら説教しているのだった(数ヶ月後、「なんてここで説教してるんですか、人の多いところでしたらいいのに」と言うと、その犬は「私はこの場所で神さまから教えを受けましたから」と言っていた)。街を歩くと、誰も入れないように金網で完全に封鎖された公園があって、その中ではニワトリが数羽、元気に走り回っていた。街中を野良犬や飼い犬が群れをなして駆け回り、無数のハトが路上に舞い降りて、おっちやんたちが投げるパン屑をついばんでいた。どう見ても、現代日本の光景とは思えなかった。

 この当崎、0.62平方キロメートルの釜ヶ崎には2万5000人の日雇い労働者と1万人以上の住民が生活していた。
 釜ケ崎は当崎も現在も「口本最高の人口密度の街」であるらしい。多くの人が日雇い労働で現場に行っていたとはいた、街は作業着の労働者でお祭りのようににぎわっていた。そして、平均年齢が四上代後半のたくさんの労働者がぼくの方を見て、崎々さっきの人みたいに「学上か?」と話しかけてくる。すごいとこに来ているなあと思いつつ、ぼくは「釜ケ崎キリスト教協友会」の施設のひとつ、目的地の「喜望の家」を探し当てた。

●「路上死数百人」の街
 ぼくが釜ヶ崎の存在を知ったのは、テレビ番組でだった。
 1986年1月、ドキュメンタリー番組「中村敦まの地球発22崎」が釜ケ崎を特集した。仕事をさがす日雇労働者、仕事がなくなったために真冬に路上で野宿している人たち、野宿の現場をまわる「越冬」の夜回り、路上から施設に入所する人たちなどを放映した。
 番組を見ていると、日雇労働者は病気やケガ、あるいは不況で仕事がなくなると収入がなくなって次々と野宿になっていく。そして、特に寒さの厳しい冬に多くの労働者が路上や運ばれた病院で死んでいく。こうして大阪市内だけで年間数百人が路上死していくという。  ・・・略

 **********************

<重要関連ブログ> 「旗 旗」
http://bund.jp/modules/wordpress/index.php?p=399
★2007年8月28日(火曜日)
大阪府警がNさん逮捕は言論弾圧であると自白-「普通は逮捕されない」
 ・・・以下の裁判記事などを是非。

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著作者からのメッセージを筑摩書房のWEBより

「釜ヶ崎」化する日本
生田武志
 八月発行のちくま新書「ルポ 最底辺 不安定就労と野宿」についてここで触れるにあたって、あるとまどいを覚えている。この本では自分自身の経験について多く触れている。だが、自分がけっして大した仕事をしてきたわけではないことは、よくわかっているからである。
 さらにやっかいなのは、本は一つなのに内容が二つあるという点である。第二章以降で描かれるのは、現にいま、われわれが生きている時代の話である。しかし、第一章は、すでに一三年(一九九四年)から二一年(一九八六年)も前の出来事であり、これはもう物語というより、日雇労働者の街である「釜ヶ崎」の歴史と、自分自身の青春のひとコマを描いたものにすぎない。しかし、この第一章抜きですますわけにはどうしてもいかない。そんなことをすれば、第二章以降の大半がわからなくなってしまうからだ。 釜ヶ崎は日雇労働者の街であり、長らく日本で「不安定就労と野宿」の問題の中心だった。ぼくが釜ヶ崎に初めて行った一九八六年、釜ヶ崎近辺では一〇〇〇人近い日雇労働者が野宿をし、そのうち二〇〇人近くが毎年路上死していた。ぼくはそれを見て、「日本にもこんな場所があるのか」と驚いた。そして、それからボランティアとして釜ヶ崎に通い、二年後からは日雇労働者として仕事をし、日雇労働運動や野宿者支援活動を続けてきた。
 この一九八六年に労働者派遣法が施行され、釜ヶ崎などの「寄せ場」だけで黙認されていた「労働者派遣」が一般に認められる。そして、一三年後の一九九九年の派遣法改正によって労働者派遣は原則自由化され、それ以降、極限の不安定雇用と言うべき「日雇い派遣」が急増した。人材派遣業者から携帯電話やメールで仕事の紹介を受けて、一日限りの職場で働いて賃金を受け取るこの「新・日雇い」は、二〇〇七年現在「グッドウィル」「フルキャスト」二社だけで一日数万人を派遣している。この両社での仕事について、労働条件などのトラブルの相談が労働組合に相つぎ今や、「かつてトラックの荷台に集められた日雇いの不安定な働き方が規制緩和でよみがえった」(東京ユニオン・関根秀一郎)という状況である。つまり、一九八六年には健在だった「日雇労働者の街=寄せ場」が、一三年後の労働者派遣法改正を契機としてあらゆる職域、地域に拡大し、いわば日本全国が「寄せ場」化したのだ。
 フリーターは現実として「多業種の日雇労働者」である。不安定雇用の労働者の多くは、突然の解雇、低賃金、危険な労働など、雇用側の一方的な都合、あるいは理不尽な横暴に最もさらされやすい立場にいる。しかも、ちょっとした病気や何かのアクシデントでいつクビになるかわからない。こうした不安定就労の問題は、我々が体験してきた日雇労働の諸問題とそのまま重なっている。現状のままであれば、フリーターの一部は日雇労働者がそうだったように野宿生活化していくだろう。「不安定就労から野宿へ」「プレカリアートからホームレスへ」という社会問題の主役が、かつての日雇労働者からフリーターなどへと移っていくのだ。いわば、「日雇労働者がリハーサルし、フリーターが本番をしている」という状況である。
 したがって、この本は二〇年のスパンで「不安定就労と野宿」のリハーサルと本番を描くことになる。そして、この本が「全体として本質的な統一を保ちながら」おのずとふたつの話に分かれたことを、ぼくは喜んでいる。第一章を読み終えた段階で、読者はそれから先を読み始める価値があるかどうかを自分で決めることができるからだ(亀山郁夫訳「カラマーゾフの兄弟」より一部引用)。

(いくた・たけし 批評家/日雇労働者)  

 


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