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『知られざる真実』を読み込む。
 25) 外国資本への利益供与

  かつてジャパン・アズ・ナンバーワン』(エズラ・ヴォーゲル氏)と言われだ日本だが、バブルが崩壊した、90年代以降、日本の重要性が低下の一途を辿った。日本の金融力が増大し、日本が米国資産を買い占めた80年代後半は「ジャパン・バッシング=日本叩き」が喧伝されだ。
 90年代に日本の力が衰えると、クリントン大統領は訪中の際に日本に立ち寄らず、「ジャパン・パッシング=日本素通り」と表現された。さらに日本への関心喪失「ジャパン・ナッシング」と言われるまでになった。

 こうしたなかで米国が熱いまなざしを注ぎ続けた分野がある。日本の金融市場だ。1996年時点で★日本の個人金融資産は、1200兆円存在した。その55%、700兆円、が預貯金で滞留していた。米国個人金融資産に占める預貯金の比率は20%だった。米国は日本の金融市場を「宝の山」と見抜いた。
  米国の対日金融市場攻略は75年の日本の外為法改正を伏線として1983年に始動した。83年10月に来日したレーガン大統領は日本の金融市場自由化を求め「日米円ドル委員会」が設置された。84年以降、日本市場の自由化が急速に進展した。米国が本格攻勢に転じだのは96年だ。橋本首相は11月に「日本版金融ビッグバン」の構想を発表した。キャッチ・コピー「フリー・フェアー・グローバル」は米国証券会社幹部から首相秘書官に渡されたメモにあった。
 米国は1997年の橋本政権の大増税政に強く反対した。私は1996年10月にニューヨーク、ワシントンを訪問して確認した。ブラインダー・プリンストン大教授(96年1月までFRB副議長)とも面談した。だが、米国政府は97年3月5日に日本の政府予算案が衆議院で可決されるまで、すべての対日政策批判を封印した。私は2月20日に衆議院予算委員会公聴会で大増税政策に反対する意見を表明した。
 日経平均株価は96年12月19日に2万円を割った。橋本政権の経済政策が「セル・ジャパン=日本売り」を招いたと攻撃された。橋本政権を救済したのは米国だった。1月30日、グリーンスパンFRB議長が、「日本は悲観的になり過ぎている」とのコメントを発表した。コメントで株価が反発し、橋本政権は教われた。米国は「日本版ビッグバン」を推進する橋本政権の崩壊を回避したかったのだ。
 90年代末から2000年代前半にかけて、米国は収穫期を迎えた。米国の日本底値買い戦略に全面協力したのが小泉政権だ。二枚目のグラフを示す。1990年の株価を100とすると2003年4月の日本の株価は19、米国の現在の株価は500だ。10~13年の期間に日米の株価は1対1から1対20に変化した。この状態で日本市場を全面開放した。
 資本力を増大させた米国金融資本が日本進出を本格化した。日本企業は資本力が枯渇し瀕死の状況に陥った。この状況下で小泉政権は海外諸国に「対日直接投資倍増計画」を約束した。日本政策投資銀行が外資系ファンドに資金支援までして外国資本の「日本買い取り」を促進した。
 
 日本市場の自由化、開放政策は方向として間違ってはいない。しかし、★★日本の国益を考慮すれば、日本経済の再建を優先し、日本企業の財務上の体力が回復した段階で市場開放するのが正しい。小泉政権は日本経済の悪化を誘導し資産価格を暴落させたうえで、外資系ファンドの日本侵略を全面支援した。明治政府は政商に官業を払い下げて財閥を生み出した。小泉政権は外国資本に優良な日本企業と不動産を破格の安値で提供した。「国を売る」政策姿勢だった。
外国資本が安心して「日本の底値買い」に踏み切れた鍵が「1・3・5の秘密」に隠されていた。金融恐慌が発生しては大損失が生じる。「1・3・5の秘密」を掴み、2003年5月以降の資産価格上昇のシナリオを念頭に入れて底値買いを進めたのだと思う。★★「1・3・5の秘密」は米国資本が「つかんだ」情報ではなく、日本政府に「持ち込んだ」情報だった可能性が高い。
 
 「1・3・5の秘密」も「フリー・フェアー・グローバル」同様に米国の智恵だったと考えられる。日本の優良実物資産の所有権が大規模に、かつ破格の条件で外国資本の手に渡った。全国のリゾート施設、ゴルフ場の大半が外国資本の所有物になった。リップルウッド、ローン・スター、コロニー・キャピタル、カーライル、サーベラス、KKR、モルガン・スタンレー、ゴールドマン・サックス等の外資系金融資本が日本の優良実物資産を破格の値段で取得した。象徴的なケース、が旧日本長期信用銀行の買収、再上場だった。
 日本長期信用銀行は1998年10月に破綻した。政府は98年3月末時点の長銀の自己資本比率を10%超と認定し健全銀行として取扱った。その長銀が破綻した。最終的に8兆円もの公的資金が投入された。
 旧長銀の売却は見かけ上は「競争入札」によった。複数の購入希望者が名乗りをあげた。その中に「リップルウッド」という米国の投資ファンドがあった。
 私は1993年から96年にかけて米国スタンフオード大学フーバー研究所で客員フェローを務め、帰国後、2003年まで野村総合研究所の主席エコノミストを務めた。米国には3か月に1度、ニューヨーク、ワシントンを訪問した。政府要人、金融専門家、エコノミストと情報交換するためだった。
 米国の首都ワシントンD.C.には経済政策に関する政策当局の極秘情報を扱うコンサルティング企業がいくつか存在する。FRB元最高幹部などが企業を設立していた。取り扱う「コンフィデンシヤル情報」の対価は驚異的に高額だ。月に2、3度送られるA4用紙2、3枚のメモだけで年間情報料金が2000万円だったりする。契約にはカテゴリーがあり、最上位の契約では顧客の要請に基づいて調査が行われるが年間費用が数億円になることもある。政府要人との面談設営なども業務に含まれる。広い意味でロビイストの活動と言える。
 大手金融機関の金融取引は数千億円から兆円単位で行われる。損益も千億円単位で変動する。機関投資家はワシントンやニューヨークの「コンフィデンシャル情報」を必死に入手しようとする。情報会社の格好の顧客になる。
 私もコンサルティング企業との関わりが深かった。旧長銀が入札に掛けられた1999年夏、ワシントンでこの問題を調査した。旧長銀の落札先が「リップルウッド・ホールディングス」という米国投資ファンドに内定したことが判明した。
 
 帰国して旧長銀の売却先決定を注視した。9月28日、金融庁は旧長銀の譲渡先をリップルウッド・ホールディングスにすると発表した。官製談合の摘発が絶えないが、長銀のリップルヘの売却決定には不透明な部分が多い。価格銀争入札は借入希望者が提示する落札希望価格のなかで最も高い価格を提示した業者に売却する仕銀みだ。リップルウッドが提示した条件が日本政府にとって最も有利でなければならない。だが、事実は異なる。

 リップルウッドの旧長銀購入条件が日本政府にとって★最も有利なものではなかったことが発覚した。旧長銀の処理に政府は8兆円もの公的資金を注ぎ込んだ。旧長銀を政府はリップルウッドにわずか10億円で売却した。(八千倍)リップルウッドは1200億円の自己資金を投入し、旧長銀を「新生銀行」に名称変更して2004年2月19曰に再上場させた。再上場時の株価初値は872円で時価総額は1兆1235億円になった。★★1200億円の元手がわずか3年11か月で1兆1235億円になった。濡れ手に粟だ。
 リップルウッドの旧長銀購入に「特殊な条件」が付いていた。また、政府はかなり強引に新生銀行の上場を容認した。「特殊な条件」とは★★★「瑕疵担保条項」のことだ。木村剛氏は2000年5月の著書『通貨が堕落するとき』(講談社)に「瑕疵担保条項」について詳述した。「そごう危機」が表面化して旧長銀売却に伴う「瑕疵担保条項」が明るみに出たのは2000年6月だ。木村氏は早くから瑕疵担保条項の問題点を指摘した。
 ★条項は新生銀行が引き継いだ資産が貸出先企業の倒産・不振などで目減りし、3年以内に2割以上の損失が生じた場合、国(預金保険機構)がその債権を簿価で買い戻すことを約束したものだった。この条伴が付されれば、銀行は状況の悪い融資先を意図して破綻に追い込むことになる。融資先の状況が悪化して融資債権の時価評価が2割以上下落すれば、曰本政府が債権を簿価で買い取ってくれる。★★「そごう危機」の表面化によって付帯条項が明るみに出た。「そごう」に債権をもつ金融機関が新生銀行に資金負担を求めた際、新生銀行が「瑕疵担保条項」を根拠に追加資金負担を拒絶したからだ。
 新生銀行が追加資金負担を拒否したのは当然だ。「瑕疵担保条項」を保持しているから、「そごう」が破綻しても新生銀行は損失を蒙らない。逆に破綻すれば資金を確実に回収できるから破綻を希望する。そごう、が破綻すれば曰本政府が損失を補填してくれる。問題は旧長恨の売却先が適正に決定されたかだ。買収希望業者がいかなる条件を提示したか。国会で論議はあったが情報が十分開示されていない。
 リップルウッドが提示した瑕疵担保条項付きの買収条件は曰本政府にとって「最も有利な条件」でなかった。長銀買収に名乗りをあげたのは、リップルウッド、JPモルガン・オリックス、中央・三井信託銀行、パリバ銀行の4グループだった。最終的にリップルウッドと中央・三井信託銀行に絞られ、中央・三井信託は公的資金による5000億円の支援を求めたという。金融再生委員会が難色を示し、リップルウッドが公的資金負担額3000-5000債円を提示した結果、落札を手中にしたという。だが、リップルウッドの条件には「瑕疵担保条項」が付されていた。これを含めるとリップルウッドヘの落札は適正でなかった可能性が高い。

 リップルウッドには米国の政界大物が深く関与した。クリントン政権の財務長官だった★ロバート・ルービン氏もリップルウッドの社外取締役に名を連ねた。ルービン氏は米国のゴールドマン・サックス証券の会長を務めたことがある。政府は旧長銀売却に際してゴールドマン・サックスをアドバイザーに選定し6債円もの対価をゴールドマンに支払った。ゴールドマンは政府に「瑕疵担保条項」のリスクを忠告する義務があったはずだが、実行しなかった。

 新生銀行は2004年2月19日に東京証券取引所に上場した。上場申請から審査、承認までの手続きは★異例の早さで実行された。しかし、旧長銀がリップルウッドに売却された経緯が不透明で、国の債務負担行為としての適正性を欠いていること、および新生銀行が抱えている訴訟案件についての投資家への説明が不十分であることから、上場容認に異論が噴出した。
 2004年2月17日の衆議院予算委員会で、民主党の中津川博郷(ひろさと)議員が質問した。瑕疵担保条項適用の実態も追及した。新生銀行は瑕疵担保条項を最大限に活用するために激しい「貸しはがし」を実行した。7兆7000債円の貸出債権が3年間で半減したという。321の企業が追い込まれ、債権額で1兆1,702債円が預金保険機構に持ち込まれ、機構は8530債円を支払った。日本政府の負担は激増した。この負担が旧長銀落札時点で検討されねばならなかった。
 しかし、★論議が十分に尽くされぬまま政府は「新生銀行」の上場を容認した。★政府責任者は竹中金融相だった。
 米国は90年代後半から2000年代前半にかけて日本収奪を加速させた。日本の生保、担保が次々に外資系企業に変身し、米国資本は大銀行、大手証券を次々に手中に収めた。
 1998年12月に破綻した日本債券信用銀行は「あおぞら銀行」に改称したのち、2003年9月に米国資本サーベラスに渡った。東京の地域銀行だった東京相和銀行は米国系投資ファンド「ローンスター」に渡った。小泉政権が日本の優良経済資源を破格の安値で米国に売り渡すことに全面協力したのは紛れもない事実だ。

26) 露見した郵政米営化の実態 へ続く。


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