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 落合論文・陸軍の裏側を見た吉薗周蔵の手記(9) 
●ネット上に異論出現  批評に回答し提案する 

  本誌七月号の拙稿についての批評をネット上で発見した。吉井友実を検索していたら偶然見つかったもので、『教育の原点を考える』を検索すれば出てくるが、お互い嫌ネット性の読者のために要約すると、①例の写真の撮影場所は、明治維新後に壊した屋敷跡の広場に白壁を建造し、黒幕を垂れた上野彦馬の屋外写場である。
②フルベッキの子供は四歳に見えず、 ウイリアムでなくその姉で、着ているのは女児服である。
③落合は、被写体の佐賀藩士を「平凡な人生を送った」と言ったが、彼らの半分は海外留学までして明治の世を作ったのだから、それらの価値を掘り起こすのが「平凡な作家」の使命の筈で西郷や伊藤だけが歴史を作ったのではないことを落合に伝えよ
――との慶応大学准教授高橋信次なる人物のメッセージも付け加えてある。
 
偶然にせよ、知ったからには答えねばならず、また本稿の主旨にも関連するから、お答えする そもそも私は七月号に明言したように、この写真に関しては傍観者である。理由の第一は『周蔵手記』を今まで見た限りフルベッキにも大室寅之佑にも触れていないからで、解読者としてこの写真を解明する必要がない。
第二に、正直に明かせば、例の少年が大室であろうがなかろうが、私の大室論は左右されないからである。この写真が真に大室天皇説の物証ならば、その貴重性は当然だが、すでに大室説の真相を教わり、それを確信する私にとっては、物証は最早不要である。ただ写真の素性が分かればそれで良いわけで、論文内容や論者の名を敢えて探すまでもなかった。
以上から、ネット批評者に対する回答は、
①撮影場所についての論議が深まれぱ喜ばしいが、前述の理由により私は立ち入らない。
②服飾について意見はない。外人児童は、確かに四歳よりも老けて見えるが、私には男児と思える。
③維新の志士は維新後挙って「郷」に到達したが、一般佐賀藩士は「士大夫」に止まった。歴史形成者を大衆(民)と見るか英雄(卿)と見るかは史観の違いで、当否は決めがたい。郷と民の間に介在する士大夫(臣)も歴史形成者だが、彼らを平凡と呼ぶことの是非は表現の問題と思う。ただし、「平凡人の歴史に関わるのが平凡な作家の使命」との諭旨は、遺憾ながらその主意を解し得ない。
 私なりの洞察を試みるに、例の写真はフルベッキを囲む重要な記念品として、被写体全員に配布された筈で、彼らが維新志士だとしたら、その後、写真の重大性を憂慮した指令があり、焼却されて消えうせたと見てよい。
反対に彼らが佐賀藩士で海外留学もしてそれなりに活躍した歴々だとすれば、写真は大事に保管されて家宝となった筈である。ゆえに無慮四十人の被写体の末裔のうち、十家や二十家が今に伝えている筈で、一枚も見つからないことこそ不自然ではないか。
 されば、論者に勧むるに、今すぐ佐賀藩士の末裔に檄を飛ばし、もし夫れ該写真の家宝中に存せざるや否やを問うは如何? 或いは佐賀藩士中より、例の少年の面影をば捜し出し、「これ実は旧藩士にして後年何某をなせる何某の像」なることを証明し、以って世に問うは、如何。
     (続)
 

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