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 『持丸長者』
 ●『持丸長者』の一節。

 ★ 貝島・麻生家が長州・三井閥と結びつく
 


 はて、苦労にも色々ある。貝島財閥の創始者である貝島太助は、もとは貧農から身を起こした一介の石炭運搬人であった。ところがこの労働者が、石炭採掘に乗り出し、何年も失敗の苦労続きのとき、金となれば目がない三井の番頭・井上馨に知られたことから、貝島は財閥と政府の権威を活かせるようになり、さらに日清戦争で石炭価格が暴騰すると、巨利を博して一気に炭鉱王まで階段をのぼりつめた。この集団が、戦争が起これば莫大な利益が転がりこむことに味をしめたのは自然な成り行きである。
 貝島太助に知恵をつけてもらったのが、飯塚市の大庄屋をつとめる麻生太吉であった。麻生も、自分の小作農地から石炭が出ることを知って、父と共に初めは手掘りで石炭採掘を始めたが、やがて本格的な採炭のために井上馨に接して採掘権に利便をはかってもらい、結局彼らが掘り出した石炭の販売先は三井物産となった。貝島太助も麻生太古も、三井銀行・三井物産を操る井上の後押しを得て、巨大な資産を築いたのだから、その見返りが、強欲な井上に戻ってこないはずがない。

 どこへ行っても顔役を演じて懐に金をかき集め、全国第八位の持丸長者となった大蔵大臣・井上馨である。この大臣の姪が腹を痛めて生んだ子が鮎川義介と妹・鮎川フシ(フジ)であった。福岡の炭鉱王・貝島家は、ここから関西財界の大物・藤田伝三郎一族の鮎川義介に近づくことになる。山口県出身の鮎川は東大に機械を学んだ優秀な技術者だったが、芝浦製作所に入社してあえて職工からたたきあげ、渡米して工場労務者として働き、帰国後は井上馨の支援を受けて福岡県の戸畑に戸畑鋳物を創業していた。長州~福岡は江戸持代から関門海峡を挟んで海の仲間である。そこで貝島太助の息子・太市が鮎川フシを妻に迎えて、政界の長州閥にも橋頭堡を築き、ますます強大な勢力を広げていった。

 これに対して★麻生家は、石炭掘りを始めた麻生大吉の孫・麻生大賀吉が吉田茂首相の娘・和子と結婚して、戦後に吉田内閥の側近として政財界に君臨し、飛ぶ鳥を落とす勢いとなったことは有名だが、それは原因ではなく、あとの結果である。吉田茂の実父・竹内綱は、三菱総帥・岩崎弥之助の岳父・後藤象二郎から長崎県貝島炭鉱の経営を任されて石炭業界を勤かす主役の一人だった。そして、吉田茂のひと回り年上の姉・竹内菊子が、当持土木工学の技術で日本を主導した工学持士の白石直治と持婚し、白石が若松築港を創設して会長に就社したため、そこから石炭を出荷する★麻生家と吉田茂が結ばれるのだ。竹内・吉田・後藤・白石はいずれも土佐閥であり、この仲を取り持ったのが黒ダイヤ・石炭であった。

 これで物語は終わらない。貝島太市は貝島炭鉱を創立し、その兄・貝島栄四郎は貝島鉱業社長として1933年の長者番付で福岡県第一位となり、その頃には日産コンツェルンの総帥となった鮎川義介が、この身内の石炭資産をとりこんで、三井、三菱に次ぐ第三位の新興財閥にのし上がっていった。やがて廬溝橋事件から日中戦争が勃発すると、待ってましたとばかり近衛文麿内閣を動かして、国策会社・満州重工業開発総裁となった鮎川が満州に乗りこみ、鉄道を除いて、満鉄の事業をそっくり引き受ける日が近づいていた。
 
 残る一人の★筑豊石炭王・伊藤伝右衛門は、日本一の女優・原節子主演の映画『麗人』で悪役にされ、まったくの誤解を受けてきた伝説の人物である。貧しい魚問屋の行商人の息子に生まれ、極貧の中から炭鉱経営を志して着々と道を拓き、一代で産を成して巨財を築いた男である。この出世物語は貝島・安川・麻生とさして変らないが、この石炭王・伝右衛門だけは、成金と馬鹿にされてきた。なぜ悪役にされたかと言えば、妻が、映画で描かれたようなヒロインとあべこべに、まったくできの悪い女だったからである。偏見に満ちた映画である。

 伝右衛門の妻は、原節子が扮した柳原輝子で、公家一族から出て、大正天皇の従姉だった。魚問屋と天皇家が結婚すると何か起こるか。この女が、伝右衛門よりふた回り年下で、歌人として柳原白蓮と名乗った。伝右衛門が白蓮と結婚し、飯塚市幸袋に、若妻のために屋根を赤銅葺きにした豪奢な銅御殿(あかがねごてん)を建てて住み、妻妾同居で生活したのだから、夫にいくら金があっても女としての白蓮はたまらない。”貧乏人の成り上がり者と軽蔑して、白蓮が★宮崎滔天の息子・宮崎竜介と駆け落ちし、しかも夫に三行半を突きつけた旨を新聞に公開したのだから、伝右衛門は世間から一万的な指弾を浴びた。宮崎滔天は孫文の辛亥革命を支援した偉大なる男で、格別この夫婦物語と直接の関係はない。本当に悪いのは、伝右衛門たち民衆に飢えを強いて華族としてのさばり、金が欲しくなると彼らに無心した皇族公家たちの横暴さであった。

 この石炭が、哀しい歴史を秘めていないであろうか。

 島原鉄道の重役だった宮崎康平が作詞・作曲した★「島原の子守唄」を、一度聴いてみればよい。
    おどみゃ島原の おどみゃ島原の
    ナシの木育ちよ
    何のナシやら 何のナシやら
    色気なしばよ しょうかいな
    早よ寝ろ泣かんで おろろんばい
    鬼の池ん久助どんの道れんこらるばい

 この歌詞にある「久助どん」とは、人買いである。三井三池炭鉱で掘り出された石炭を海外に輸出するため、明治11年に長崎県島原に口之津港が開かれ、人買いによって石炭と一緒に船底に押しこめられた若き娘たちがいた。「からゆきさん」と呼ばれた彼女たちは、島原や天草から出て中国や東南アジアに渡り、娼婦として働き、名も知られず、ほとんどは二十歳前後の若さで異国にその骨を埋められた。ほんの子供が「お前じゃ働き手にならん。食い扶持が多すぎる」と言われ、娼婦になるほかなかった人生を、当時の政治家が知らなかったはずはない。いや、明治政府・大正政府・昭和政府は知ろうともしなかった。
 

  ★★柳原義光が、妹の白蓮を伝右衛門に嫁がせたのは、貴族院議員に出馬するため金が欲しかったからである。二人の父である元老院議長・柳原前光(さきみつ)が妾腹に生ませた子が白蓮であることを批判せずに、魚問屋から身を起こした。成金の伝右衛門の妻妾同居だけを批判するほどの不条理はない。もしモラルを説きたいなら、★★明治天皇が妻妾同居で床を共にした女は、一条美子はるこ(昭憲皇太后)、葉室光子、橋本夏子、千種任子ことこ、柳原愛子なるこ(白蓮の叔母で、大正天皇の生母)、園祥子……と、一体何人の女がいたかと、等しく並べて語るがよい。★★柳原前光は、明治維新の戊辰戦争で新政府軍の東海道先鋒副総督をつとめて江戸城に意気揚々と入城し、房総半島に出兵して千葉県佐倉藩を帰順させた時、佐倉に★名医・佐藤泰然一族が開設した藩営病院の★佐倉養生所を閉鎖に追いこみ、住民を苦しめた罪深い男である。その後、まったく何のいわれもなく、朝鮮を武力で征服するべしと、強硬な征韓論を唱えた愚か者の代表者である。そもそも白蓮は、女性解放の先駆者でも何でもない。実に高慢な、華族意識にかたまった自我の強い人間であった。

 世間の悪罵にひと言も言い返さなかった伝右衛門は、三井と組まず、大正鉱業を設立して社長となった。確かに成金には違いないが、★★麻生太吉と共に嘉穂銀行(現・福岡銀行)育ての親となり、地元の若者を教育するため現在の時価で数値円という大金を寄付し、遠賀川の改修に力をつくし、私財を投げ打って女学校を創設し、大いに地域に貢献してきた。伝右衛門の孫は貝島家から嫁をとった。まこと、郷土の長者にふさわしい。・・・引用了。

************************ 

 
 別に皮肉ではないが、明治大帝、流石の「絶倫」振りである。

 あの桓武天皇の正当な子孫というべきだろう。

 桓武については以前にも紹介していました。

 http://blogs.yahoo.co.jp/sckfy738/19275080.html  


  ★5月7日に現天皇の発言を以下のように紹介した。

  「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると

  『続日本紀』に記されていることに韓国とのゆかりを感じています」(2001年12月)

  ************

 
 平安京の建設者・桓武天皇とは如何なる人物か。
 その一端を示すエピソードをひとつ。

 ★保立道久著・『平安王朝』(1996.11.20 岩波新書)には、こうある。以下引用。
  

 1.桓武天皇のイメージ

 * 謎につつまれた前半生  

 
 このような桓武の子だくさんと精力については、宇多天皇の「寛平遺戒」(かんぴょうゆいかい)の証言があり、それによると、桓武は平生の昼はたくさんの子どもたちの遊び相手をしながら、身辺を掃除する采女(うねめ)たちにはとくに「表袴」(うえのはかま)という簡便な袴を着させていた。それは気持ちが動いたときに、「御するに便ならむと欲」したためであったという。桓武が前半生においても何人かの妻子をもっていたことは確実である。 
 


 休憩・・・*誤字・脱字等は徐々に訂正します。ご寛恕を。
 
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